『おはようございます』と言いなさい

 しばらく前に出た講演会で、教師と生徒とは同じ人間である以上、教師が「おはよう」と言い生徒が「おはようございます」というのはおかしいだろう、教師も「おはようございます」というべきだといった話が出てきました。講師がそう言ったというのではなく、そういう話を聞いたということです。その講師の言葉尻には、こうした突拍子もない話題に対する戸惑いの様子が見られました。

 もちろん児童生徒と教員は同じ人間です。しかしだからといって同じ「おはよう」で済ませるわけには行きません。教員の方はその倫理観に従って「おはようございます」と「おはよう」を使い分けてもいいのですが、児童生徒は「おはようございます」でなければならないのです。それは当たり前です。なぜ当たり前かというと、学校内や登下校おいて、私たちは「同じ人間として」子どもと向かい合っているわけではないからです。

 そのことは、たとえば『釣りバカ日誌』の鈴木会長と浜崎平社員に置き換えて考えれば分かることです。

 鈴木建設という企業の場で、鈴木一之助は会長で浜崎伝助は平社員です。会社にいる限り二人は「同じ人間として」向かい合うことはありません。ハマちゃんがスーさんに指示命令をだしたり、スーさんの企業経営に口出ししたりといったことは許されないのです。

 ところが釣りの場では立場が逆転します。ハマちゃんは師匠であってスーさんは弟子です。したがってスーさんがハマちゃんに釣りの指導をしたり生意気な口をきいたりすることは許されません。二人ともああしたキャラですからしばしば分をわきまえず、社内でハマちゃんが偉そうなことを言ったり、釣りの場に会長=平社員の関係を持ち込もうとして奥さんからたしなめられたりといった場面もありますが、基本的に二人が「人間として」向かい合うには、会社からも釣りの場からも離れることが必要になります。

 浜崎家に遊びに来たときに鈴木一之助=浜崎伝助関係は、会長=平社員でも師匠=弟子でもありませんから、実にゆったりと過ごします。これが「同じ人間として」向かい合うときです。

 ちなみに、私の自宅のお向かいに、小学校2年生と保育園年長組の兄妹がいますが、この子たちは私に対して「おはよう」と省略した形で言いますが、私は指導しません。そのとき私は、子どもたちと教師=児童関係にあるのではないからです。

 教育評論家の諏訪哲二は、「学校に子どもは来てはいけない。来ていいのは児童・生徒だけだ」と言いますが、それはそういう意味です。

 学校において、教育者と教育を受ける者の関係が崩れれば、教育なんてできるものではありません。