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「若き沢田研二はオバさんに恋をしたのか」~『世間』という言葉の盛衰と変化の話①

 ある時から「世間」の意味がずれ始めた。
 そして今、「世間」はほとんど使われない。
 かつて強烈に意識した「世間」とは何だったのか。
 どんな変化が「世間」に起こっていたのか。
――という話。(写真:フォトAC)

【若き沢田研二はオバさんに恋をしたのか】

 大昔の沢田研二の歌に『危険なふたり』(1973〈昭和48〉年)という曲があって歌詞に、
「なんで世間をあなたは気にする」
という印象的な部分がありました。
 なぜ印象的だったかというと、いかに素晴らしい女性だとしても「世間」を気にする年上っていったい何歳なんだ? と感じたからです。

 昭和とひとくちに言っても45年以降(70年代)になると社会の様相はだいぶ変わってきます。1969年を頂点とするクソ真面目な“政治(安保闘争)の時代”が終わり、刹那的で享楽的な大量消費時代が始まったのです。
 70年には東京の銀座で大規模な歩行者天国が始まり、発売されたばかりのカップヌードルを食べる姿が全国に放送されました。同じ年、名古屋ではケンタッキーフライドチキン(KFC)、翌71年には東京にマクドナルド1号店が誕生します。新宿副都心の超高層ビル群がニョキニョキと建ちはじめたのが71年以降。大きな出来事としては前回の大阪万博が70年、沖縄返還は72年、札幌オリンピックも72年と、そんなふうに言えば雰囲気が伝わるかと思います。

 文化としては令和の今よりもはるかに開放的・革新的で乱脈で、実に大胆な時代でもあります。ウッドストック・フェスティバル(1969年)の影響が日本にも訪れて、ヒッピーだのアンパン(吸引するためにシンナーの隠語)だの、あるいはピーコックだのフラワーだの、派手で新奇なものがもてはやされたのもこの時代です(なんのことやら分からない人も多いと思いますが、いちいち説明するのも面倒なので飛ばします)。
 沢田研二が『危険なふたり』を発売した73年は、他人の目など気にしない享楽的な生き方こそが追及されたのであり、そんな時期に「世間を気にして年下の男性との恋愛をためらう女性」なんて、まるで想像できなかったのです。
 私はちょうど二十歳でしたが、世間を気にするのは40代以上で、そのころの40代はいまよりもずっとお婆ちゃんで、そんなお婆ちゃんに恋する沢田研二の心象しか浮かんでこなかったのです。ジュリー(沢田研二)、どうしちゃったの? という感じです。

【「世間」とは何だったのか】

 あのとき感じた違和感というのは、いま考えるとあんがい正鵠を得たものだったのかもしれません。それからさらに半世紀を経た今、「世間」という言葉はほとんど使われなくなっていますが、その変化は1970年を起点にして始まったのではないかと思われるからです。別な言い方をすると、70年代より前の時代、私が中学生や高校生だった時代は世の中に「世間」というものが存在していて、若者は「世間」と対峙し続けることが当然だったといった思いがあるのです。

 そもそも当時の「世間」とは何だったかと言うと、いわばそれは「強い同調圧力で人々を包み込もうとする大人社会」のことで、親と教師が代表していたものです。古い常識を振りかざして若者の夢や希望を抑え込もうとする――その圧力をはねのけようとするのが、個人的なレベルで言えば第二次反抗期(11歳~17歳ごろ)、大きな枠では60年代の学生運動(学生による反政府運動)だった、そういった印象があるのです。
 だから、
「なんで親たちは『世間』ばかり気にするんだ」
とか、
「『世間体(せけんてい:世間に対する聞こえ)』ばかり気にして、それが人間の生き方か」
とか、「世間」という言葉は繰り返し使われたのです。

【子どもの「世間」】

 ただ自分が大人となって教職に就き、「なんで『世間』ばかりを気にするんだ」と言われる立場・年齢になったときに気づいたことがあるのです。それは私にとっての「世間」は、広く大雑把な社会全体ではなく、もっと狭い人間関係のことだということです。例えば友人、職場の人間関係、付き合いのある親戚やご近所、あるいは現在は関係が薄くても復活する可能性のある旧知の人々――それらが私の「世間」であって、まったく無関係な通りすがりの人たちの思惑まで考えて生きているわけではないのです。
 「世間体」を気にするというのも、友人や職場の人たちから悪く言われたくない、批判されたくない、迷惑はかけられない、そういった気持ちで、むしろ当たり前の感情です。さらに同じ論理で考えると、子どもたちこそ「世間」を気にして汲々と生きていることが分かります。
 私は以前、親子の対話の形でこんな文章を書いたことがあります。
 (なぜ世間を気にするんだと言われたときの)有効な反撃は「お前こそどうなんだ」である。
「2週間に一辺は床屋に行き、朝は早ようから髪を逆立てるに忙しく、今何が流行ってるか、そればかり考えて、友だちから『ダサイ』だの『クサイ』だの言われないように24時間考えまくってる、そんなお前にいろいろ言われたくないね!」。
 これでいい。
 その上で、
「オレが気にしてるのは友だちだけで、隣近所や親戚が何を考えようが知ったこっちゃない。オヤジはそんなことばかり気にしてるじゃないか!」
と反撃されたら、できるだけ苦みばしった顔と声で、
「隣近所や親戚は、オレの友だちだ」
と答えてやる。それでおしまい。
「ああ言えばこう言う辞典」

 もう四半世紀も昔に書いた文章で、いまはこういう会話自体が少なくなっていると思うのですが、「子どもたちには子どもたちの世間がある」という見方を手に入れたことは、当時の私にとってかなり都合の良いことでした。いろいろな場面で使える――。
 しかし当時もその後ずっと長い間も、私の気がついていないことがありました。それは現代の子どもたちや私が対峙した児童生徒たちには「世間」はあるが、私自身の子ども時代には、なかったのかもしれないという可能性です。
(この稿、続く)