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「上村くんのこと」~川崎市中1男子生徒殺害事件における学校の対応

 川崎市の中学1年生の上村遼太くんが殺された事件。今日にも犯人が逮捕されそうな様相です。早くから特定されていたみたいですから、証拠固めのための一週間なのでしょう。
 この事件について当初、上村君が学校に来なくなってからの一か月半、学校側が接触していないことに非難が集まりましたが、その後学級担任の女性教師が30回に及ぶ電話連絡、5回の家庭訪問を繰り返していたという発表があって学校の責任を問う声は少なくなりました。

 ただし「夜回り先生」として有名な元高校教師・教育評論家の水谷修先生は、学校が殺したようなものだと痛烈な批判を展開しています。
 論拠はまず、生徒が学校に来ていないという状況で児童相談所に通告するなどの手を打っていないではないないかということ。教育を受けることは国民の権利であるとともに義務であるのに、その義務を果たしていない生徒がいるのに通告しなかったというのは怠慢であるというのです。
 第二に直接上村君に会っていないではないかということ。夜は家にいたこともあったのだからなぜ毎日行って会う努力をしなかったのか。
 第三に、同級生の中には上村くんが不良グループと付き合っていて、顔にひどいアザができるほどの暴力を受けた上に「殺されるかもしれない」と言っていたことを知っていた生徒がいる、その生徒が教師に訴えなかったのはそこに信頼関係がなかったからだ、生徒との信頼関係をきちんと築かなかったのは、それ自体が怠慢なのだというのです
「同級生たちは状況を知っていたのだから、教員もちゃんと聞かなければ・・・。生徒たちに居場所を聞いて、行けばいいだけ。上村君は狭い範囲で動いているのだから、いくらでも会えます。教師は授業だけでいいわけではないし、文科省教育委員会も何も指示していません」

 しかしどうでしょう。
 報道によれば保護者はこの件でほとんど悲鳴を上げておらず、担任の求めに応じて上村君を合わせるための努力もしていません。その状況で、保護者の意向を越えて生徒に手を伸ばすのは、難しいというよりむしろ危険です。保護者の意向を無視して児童相談所に通告するのは、保護者との人間関係を切断することになりかねないからです。

 水谷先生が間違っているとは言いませんが、高校の札付き連中つきあってきた先生と、一般の中学校教師はずいぶんと違っているようです。高校教員は道徳や総合的な学習の時間の授業をしたりしませんし、部活動の指導にも全員がのめり込んでいるわけではありません。高校では生徒指導担当が専任という場合だってあります。

 1月以降の対応としては、上村君の担任教師はむしろ優秀だったと思います。一カ月半に30回の電話連絡と5回の家庭訪問、それだけでも大変なのに全記録が残されているとなると、私のような古い人間にはとうてい太刀打ちできるものではありません。
 平成もすでに四半世紀を越えて平成不況の初期に教員になった先生もすでに40代半ば。この人たちはほんとうに優秀です。

 ただし、学校に来なくなってからの一か月半はこの程度でやむをえないとしても、それ以前、入学してから12月までの間に学校が何をしたのか、それは現在まったく報道に出てきません。離島の人気者が不良グループの一員になるまでの年月、そこにはさまざまな状況があったはずです。
「素直で明るい人気者が不良に拉致されて強制的に仲間にさせられた」では説明になりません。その間、上村君の心性に“先輩たち”と同質のものが育っていたはずです。
 それは別に問うべき問題です。