ナイチンゲール・デイ

今日5月12日は看護の日[ナイチンゲール・デー]です。ナイチンゲール(1820〜1910)の誕生日を記念して1965年に国際看護婦協会が制定しました。

 ナイチンゲールと言えば白衣の天使としてつとに有名で、クリミア戦争(1854〜1856)の際イギリス軍に従軍し、献身的看護で世界に名を残した人として記憶しています。しかしクリミア戦争にいたる前半生とクリミア戦争後の後半生について改めて勉強する機会はそうはありません。ナイチンゲールの生涯を網羅するような本は、あまり目につかないのです。

 ナイチンゲールは名をフローレンスといいます。このイタリア風の名前は両親の新婚旅行中、滞在先のフィレンツェで生まれたことによりますが、姉も同じ旅行中に生まれているから驚きです。なんと両親は2年に渡る新婚旅行中に二人の子どもを設けたのです。そのくらい金持ちだったということです。

 ナイチンゲール家のユニークなところは、女性には学問はいらないといわれていた時代にあって、二人に徹底的に教育を施したことからも伺われます。おかげで二人とも4カ国語(フランス語・ギリシャ語・イタリア語・ラテン語)を自由に操り、さらにギリシア哲学・数学・天文学・経済学・歴史、美術、音楽、絵画とあらゆる学問を学び、それがあとで大変に役に立ちます。しかも二人ともたいへんな美貌でしたから、社交界でも終始もてはやされることになりました。ただし、フローレンス自身は、そうした境遇をまったく楽しめも満足もしなかったようで、常に自分のなすべき仕事を捜し求めていたふうがあります。そして25歳のとき、自分を満足させてくれるものが看護の仕事だと知ります。彼女は情熱的に看護師になることを望みますが、当時最も卑しい仕事のひとつとされたた看護については、母親と姉が猛反対し、実際に仕事についたのはその8年後になります。

 

 クリミア戦争後のナイチンゲールは、熱病の後遺症のため、ほとんどソファに横になったまま仕事をする生活に入ります。そのかたちで恐ろしく精力的に仕事をし続けたのです。ナイチンゲールのやった主な仕事は医療衛生制度改革で、膨大な資料を集めそれを分析することで数値として政府に要求を突きつけ次々と近代的な病院制度を作り上げていきます。子どものころの学問が役立ったわけで、このことからナイチンゲールの経歴には必ず「統計学の祖」という言葉が入るのです。

 彼女の生涯は非常に魅力的なものです。しかし教員として私が心動かされる一番のことは、ナイチンゲールが子どものころ、たいへんな幸福に包まれていたということです。金持ちだったというだけではありません。あらゆる苦痛から解放され、両親姉妹の溢れんばかりの愛情に包まれて大人になったということです。そうした人は、他人の不幸や苦痛を必要以上に大きく見積もる傾向があるようなのです。

 シュバイツァーマザー・テレサも皆そうです。金持ちだったかどうかは別として、幸福な家庭に生まれ育った者の多くが偉大な慈善家となっていきます。逆に、陰惨な環境の中に育った人は、ナイチンゲールのような底なしの愛情とは別の動機によって動いているようにも見えます。

 こうした人たちのことを考えるとき、子どもは絶対に幸福なまま育たなければならないと、強く私は思うのです。