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「90年代の若者の『世間』:かっこ良さの規格」~『世間』という言葉の盛衰と変化の話②

 強い同調圧力で人々を包み込もうとする人間社会、
 それを「世間」と呼ぶなら、子どもにも「世間」はある。
 しかし半世紀前、私の子ども時代にはなく、
 90年代私が大人になったときは確実に成立していた。
――という話。(写真:フォトAC)

【大人の「世間」、子どもの「世間」】

 私がまだ子どもだった半世紀前、「世間」と呼ばれたのは「強い同調圧力で人々を包み込もうとする大人社会」のことでした。それは私たちから自由を奪うものであり、旧来の常識や道徳を強制する存在です。したがって成長しようとする若者たちとは必然的にぶつかり合うことになります。そのため当時の社会は若者と大人たちに分断されていて、大人たちは若者の敵でした。
 そうした敵対関係が最も激しく現れるのが第二次反抗期(11歳~17歳ほど)で、親たちは子どもに手を焼きながらも、嵐の過ぎ去るのを待つしかなかったのです。難しい話ではありません。きわめて図式的で分かりやすい構造です。
 ところが、いつの間にかその分かりやすい図式が変わってきてしまったのです。

 きのう私は、
「大人のもつ『世間』というのは、具体的に言えば実際に機能している職場や地域の人間関係のことであり、そういった自分の周囲の人間関係に配慮し、視線を気にするという点ではむしろ子どもの方が上ではないか」
という話をしました。周囲の評価を気にして髪型だの持ち物だの、年じゅうあちこちいじっているのは若者の方であって、大人はそこまでしない。「世間」の対象が違うだけで、「世間」に屈しているのはお前たちの方じゃないか--そんなふうに相対化してしまえば、子どもの言うことにいちいち反応しなくても済むと、そんな話をしました。
 しかしふと考えると、それができるのは私が教員として働き始めた昭和の最晩年から平成前期の子どもたちについてで、私自身の青春時代には、大人社会と対置できるような「子どもたちの世間」はなかったのではないかという気がしてきたのです。

【かっこ良さの規格】

 まず先に私の教え子たちについて考えてみましょう。思い出せば彼らは髪を少しでも赤くするためにさまざまな苦労を重ねてきた子どもたちです。赤く染める方法も大変でしたが、言い訳も大変です。
 母親の髪染めをシャンプーと間違って使ってしまった、妹が誤って私の頭にコーラをかけてしまった、スイミングスクールで熱心に練習しすぎたために塩素焼けしてしまった等々、都合の良いミスや偶然の目白押しです。
 その少し赤くなった髪を、男の子はワックスで固め、女の子は少しでもカールするよう家では道具を使い、学校ではしょっちゅう指で絡めています。ガングロブームでも田舎の澄んだ空気の下では敢えて日焼けのために苦労する必要はありませんでしたが、それと分からない化粧には努力を惜しみません。
 ピンクの色付きのリップクリームに透明のマニキュア。《どうやったのかは分からないが今日のあの娘の目が妙にくっきりしているように見えるな》と感じた時には何かやっているのでしょう。追及しても白状しませんから《今後はしっかり見ているぞ》というサインを送ってその場は引き下がります。

 放っておくと男の子のズボンはどんどん下がってパンツが上から半分以上見えるようになり、女の子のスカートはどんどん短くなってパンツが下から見えそうになる。ルーズソックスにぺったんこローファー、潰し学バン(極薄に潰した通学カバン)にマジソンバッグ。
 私は中学校の教員で勤務先にそこまでの子はいませんでしたが、近隣の高校には当時流行の“ヤマンバ・ギャル”もいて、《都会ならまだしも、田舎では危険すぎる、本物の「山姥」と間違えられて猟師に鉄砲で撃たれたらどうするんだ!》といらぬ心配をしていたら、ある日突然姿が見えなくなり、慄然とさせられたこともありました。それが90年ごろ、平成元年前後のことです。

【私の青春期には「子どもの世間」がなかった】

 「ちょいワル」と言えば今はオヤジの話ですが、90年代の「ちょいワル生徒」には、すでに大量のオプションが用意されていたのです。子どもたちは雑誌や口コミを通してカタログを選ぶように“ちょい悪オプション”を楽しもうとしました。超古い言い方では“イカす”、古い言い方では“ナウい”、少し下って“イケてる”、いまは“エモい”とか“神ってる”とか言うのでしょうか、とにかく流行の格好良さには様式、あるいはモデルが必要なのです。それがないと多くの若者は向かっていく方向が分からなくなります。

 私の教え子たちよりもさらに30年ほど遡った私の青春時代には、ちょっとハードルの高すぎる「ちょーワル少年」文化はあったものの、すぐに引き返せる「ちょいワル生徒」のためのオプションはほとんどありませんでした。
 中高生がどんな服装や立ち振る舞いをすれば同世代から評価され、カッコいいと言われるのか、よくわからない。「これが流行だから、こういう服装をすべき」とか「カッコいいのはこういう持ち物だからぜひとも持っているべきだ」とかいった規格がないので、同調圧力もかかってきません。
 『私自身の青春時代には、大人社会と対置できるような「子どもの世間」はなかった』というのはそういう意味です。
 大人の文化に対置できる論理もなければファッションもない、これをしたいという願いもなければ、こう生きるのだという主張もない。ただ何も分からず闇雲に叫んであれもこれも気に入らないと言い続ける、それが私たちだった気がするのです。第一次反抗期(1歳半?3歳頃)の幼児とまったく一緒みたいなものです。
(この稿、続く)