「私の右足がゾウのようになった話」~関節に菌が入るとこうなる

 20年前、突然、右の足首が腫れ、ゾウの足みたいになったことがあった。
 大量の雑菌が入ったということだが、そこから20日間の入院。
 しかし私は慌てず、颯爽とうしろも振り返らずに病院に向かった。
 そして今・・・。
 
という話。

(写真:フォトAC)

【右足がゾウになる】 

 もう20年も前のことですが、スキー場の帰りに階段で右足首を捻ってしまい、シップを張ったものの痛みがしばらく続いたことがありました。一カ月ほど違和感を抱えながら過ごしているうちに、右足の甲の足首に近い方に、ちょうど小さな子どもが頭を打った時のたんこぶのような直径3センチほどのふくらみができてきまいました。
 
 私が子どものころ、大蔵大臣に水田三喜男という人がいて、禿げ頭のおでこの中央に同じような大きなふくらみがあり、大人の話によると、あれは脂肪の塊で取っても取らなくてもいいものだということでした。
 私の足首にできたのも似たようなものと思い、押すと潰れて、しばらくするとまた膨らんでくるのが面白くて、また一カ月ほど遊んでいました。痛みはあったりなかったりです。
 ところがそんな遊びにも飽きたある朝、強い痛みに目が覚めて右足を見ると、象の足のようにパンパンに膨れ上がっていたのです。

 まだ現役でしたので急いで学校へ行って午前中分の自習計画を立て、取って返して病院に行くと、医師はまずレントゲンを撮って骨に異常がないことを確認し、「これはもしかしたら雑菌が入ったのかもしれないねえ」とおっしゃって、「調べてみるから」と注射器で足首の腫れた部分から体液を抜くと、鎮痛剤と張り薬を出してくれました。


【鮮やかに、うしろも振り返らずに入院する】

 翌々日、勤務の最中に電話が入ります。聞くと、
 「大量の雑菌(*)が入っています。病院の手配をしましたのですぐに入院してください。早くしないと一生歩けなくなります。入院の目安は20日間です」
 40代後半でしたから一生歩けないと言われると私もビビリます。その場で子どもたちには自習にしてもらい、校長先生に報告すると、3時間ほどかけて20日分の自習計画を立て、自家用車に飛び乗って家で最低の準備をして、そのまま病院に駆け込みました。

 困ったのは翌日が土曜参観の日で、PTA主催の学級対抗大綱引き大会まで入っていたことです。
 しかし40代後半ともなるとあまり悩むこともなく、参観授業の方は急遽音楽専科の先生に代わってもらい、PTAの方は学級会長に電話をして「よしなに頼む」とお願いして終わりです。みんな大人ですから何とかしてくれるでしょう。
 そして思った通り、すべては順調に動いたようです。綱引き大会などは「担任がいなかったから優勝できた」と周りから揶揄されたほどだったと言います。

 私は私で内臓や頭の病気ではありませんから、ただじっとしていればいいだけの元気な患者。ちょうどやっていた日韓共催ワールドカップサッカーのほぼ全試合をテレビ観戦し、トールキンの「指輪物語」を全巻読んで、さらにワイドショウと呼ばれるニュースバラエティを片っぱし見て、ああ世の中はこんなものを見て教育を学び、ここから言葉を借りて学校批判をしているのだと、怒りながら社会勉強もして呑気に過ごしていました。ある意味、有意義な二十日間でした。
(しかし退院してからは、遅れを取り戻すのがメチャクチャ大変だった)

 児童、学校、同僚、保護者、その他たくさんのひとに迷惑を掛けました。しかし恩返しをする時間はいくらでもあると思い、実際に時間はたっぷりありました。
*そのとき検出された菌は黄色ブドウ球菌(食中毒かい?)や嫌気菌(けんききん)。友だちにメールで知らせると「仕事に嫌気(いやけ)がさしたの?」とか尋ねてきて、これにはイヤになりました。 


【20年目のゾウの足】

 さて、なぜそんな昔の話をしたのかというと、いま、目の前にある私の右足が20年前とよく似た感じになっているからです。

 先週の金曜日、朝、起きると右足の甲の足首に近いところに違和感があって、押すと飛び上がるほど痛くてちょっと驚きました。これが別の場所だったら心配もしなかったのですが、20年前のこともありますし、たまたまその日が94歳の母を整形外科に連れて行く日だったので、ついでに診てもらうことにしました。いつもかかっている整形外科ではありません。

 医師は足首のレントゲンを二枚撮ると骨に異常のないことを確認し(ここまでは基本的手順らしい)、
「どうも関節炎のようですね、その位置は」
 私が20年前のことを話して心配を伝えると、
「可能性はなくはないが、極めて低いでしょう」
 そして10日分のシップと鎮痛剤を出してくれました。私も一応引きさがりました。

 ところが最初は強く押さえないと痛みもなかったのに、月曜日の夜中に強く痛み出し、足首から下全体もむくんだようになってきたのです。そこで恐れて再度、病院に駆けつけました。しかし医師は、
「うん、赤味もなくなったし腫れも引いてきたね」
(あれ? 金曜日、赤かったっけ? 腫れていたっけ?)
「もうあなたの心配するような可能性はないよ。良かったね?」
 釈然とはしなかったのですが、前夜の痛みはすっかり消えていたので不承不承引き下がりました。

 ところが昨日(木曜日)の朝、見ると足はゾウのように(というほどでは、まだありませんが)膨らんでいたのです。
 20年前、たんこぶのように膨らんだ個所を潰して遊んだときのように、腫れた部分を押すと粘土のようにへこんで、やがて戻ってきます。皮膚の下にたっぷり膿が入っている感じです。

 いつもの整形外科は昨日休診日でしたので、今日、行ってこようと思います。
 やばいです。今回はワールドカップもありませんし。
 

「私には、若者を選挙に向かわせる妙案がある」~参議院議員選挙が始まった。

 国政選挙の投票率の低さを、若者だけのせいにするのはいかがなものか。
 問題は国民全体の政治意識の低下だ。
 しかしそれとは別に、私には若者に選挙に行ってもらいたいわけがある。
 そしてさらに、彼らを選挙に向かわせる妙案が、私にはあるのだ。

という話。 

(写真:フォトAC)

 

投票率、高けりゃあいいというものでもない】 

 参議院議員選挙が22日に公示され、7月10日の投票日に向けてすでに選挙戦が始まっています。
 国政選挙と言えばご多分に漏れず投票率の低さ、ことに若者の投票率について問題にされがちですが、若い世代の投票率の低さなんて私が選挙権を手に入れた半世紀前ですら言われていたことですから大したことではありません。

 問題は全世代で投票率が下がっていることで、前回参議院選投票率は48・80%。比例代表ではその39・77%を自民党が取って第1党になったわけですが、「国民の2割しか支持していない自民党」みたいな言われ方をするので厄介です。たしかに48・80(%)×0・3977=19・41(%)。だから自民党支持者は有権者の2割弱、というのも間違いではありませんが、同じ計算で野党第1党ですら8%しか得票できない現実を無視して、それを言い立てるのもいかがかと思うのです。
 しかし与野党双方にとって支持率が高いことは重要な要件ですから、投票率は高く保って行きたい、それも当然でしょう。

 そこで支持率の母数となる投票率を上げようという話になるのですが、韓国や米国での投票率を高さと対比させ、日本の若者たちの政治意識の低さを責めても気の毒だと思うのです。

 韓国の保守・革新、米国の民主党共和党の戦いは、どちらが政権を取るかで国の方向が180度も違ってきますから、若者も必死にならざるを得ないのです。ところがいまの日本は、自民党が政権に居続けようが立憲民主党に移ろうが、そこまで大きな変化があるようには思えない、だったら悪しき記憶を引きずる旧民主党系や何をするか分からない他の野党を選ぶより、自民党に任せておけば心配はなさそうだ――それが大方の考えで、だから自民党が第1党であり続けるのだと私は思います――というかみんなそう思っています。
 まさか国論が二分され、互いに憎悪と恐怖をバネに得票率を上げるような国になった方がいい、と思う人もいないでしょう。


【選挙に行かないで、若者は損をしている】

 大枠はいま申し上げた通りですが、一方で、私には若者に投票にいってもらいたい気持ちがあります。もう少し政治が若者向けにならないと、日本全体に活力が生まれないと思うからです。

 かつて「若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?」 (ディスカヴァー携書 新書: 2009/7/7)という書籍がベストセラーになったことがあります。著者の説明だと、
「現在の60代以上は、払った税金以上の受給を受けています。
ところが今の20代は彼らが払った税金より4000万円低い受給しか受けられません。
日本の若者が“ソンをする” のは20代~30代前半の投票率が低いから。
政治に参加しない人が政治的に不利になるのは、ある意味当然なのです」

ということになります。

 現在20代の平均貯蓄額は165万円です(2019年金融広報中央委員会調査、以下同じ)。ところが60代は1314万円、70代でも1139万円もあるのです。その高額貯蓄所有者たちが社会福祉費の大部分を使っています。この1点を見ただけでも、いかに高齢者が恵まれているかは分かりそうなものです。

 この状況に、若者たちはただ黙って耐えているのでしょうか? 
 実はそうでもありません。SNSの中ではブーブーです。年功序列など親の仇、蛇蝎のごとく憎まれています。それなのに選挙にはいかない――。
 なぜ行かないのか?


【なぜ年寄りは投票に行き、若者は行かないのか】

「一票の重さが感じられないから」というのがよく言われる要因です。
「自分一人が行ったところで何も変わらない」
 しかしそれだったら高齢者も同じです。自分一人が行かなくても大勢に影響はありません。
 それでも私たちが投票に行くのは、
「若いころからの単なる習慣」だったり「行かなければバカだと思われるかもしれないと思っているから」だったり、あるいは「投票くらいしか社会とかかわる機会がないから」かもしれませんし「いつも人に頼まれるから」からかもしれません。「暇だから」というのも考えられますが、主たる要因ではないでしょう。
 そうではなく、共通して言えるのは「行って投票してその日のうちに、あるいは翌日に、選挙結果を見るのが楽しみだから」というのがあるように私は思うのです。

 長年生きて選挙に関わるうちに、だれが当選しそうだとか、コイツはそろそろやめた方がいいとか、いやはや生きのいい奴が出てきたものだとか、そういうことが自然と頭に入ってきます。その上で勝ち馬に乗ろうとするのか、逆に反対陣営に駒を張ろうとするのか、それは個々の性格によりますが、それが何となく楽しいのです。
 絶対当たらないと思いながらも宝くじを買ってウキウキしたり、馬券も買っていないのに重賞レースの中継を観たり、さしてファンでもないのに大相撲中継を気にしたりする、それと同じです。

 しかし若者には基礎となる知識がない。出走馬の性格や走り方が分からないと競馬もおもしろくない、関取の名前も経歴も知らなければ相撲も単なる裸の男のぶつかり合いです。
 かつての若者(いま老人)が齢を重ねるにしたがって選挙に行くようになるのはそのためです。

 しかしいまのままだと、いつまでたっても若者向けの公約を中心に、選挙で戦おうとする候補者は出て来ません。どうしたらいいのでしょう?


【私に妙案がある】 

 私が知恵を授けましょう。意識の高い若者は聴いてください。

 すべきことは若者の投票率を上げるということだけで、中身なんかどうでもいい、とにかく行け!
と訴え続け、場合によってはハイキングや合コンの企画の中に「投票」を入れ込んで、集団で行くのです。

 候補者をこちらに向かせるのに必要なのは投票率だけであって、中身なんてどうでもいいのです。政治意識が高いのか低いのか、困窮しているのかそうでもないのか、保守系なのか革新系なのか、そういうことはまったく重要ではありません。とにかく若者が投票するようになったと分かっただけで、候補者たちは若者向けの公約を用意し、さらに次の選挙に向けて何とか実現しようとしてくれます。

 誰に入れたらいいのか分からないと言って躊躇している人は、誰でもいい、どこでもいい、行って政党名や候補者名を適当に書いて来ればいいのです。名前を憶えていなくても記載台(名前を記入する場所)の前に立てば、目の前に貼ってあります。
 また、適当に書く不誠実で耐えられないという人は何も書かずに投票箱に入れればいいのです。白票(無記入の投票)は「今の政党・候補者には期待できない」とか「きちんと説明しないから何も分からない」という立派な態度表明です。恥ずかしがることはありません。

 出口調査といって投票所の出口で新聞社や放送局の人間がアンケートを取っていることがありますが、声を掛けられてもまじめに話す必要はありません。「投票内容は秘密です」と言って逃げ帰って来ればいいだけです。

 そうやって何度も投票に行くうちに何となく政治が分かってきて、選挙も楽しみになってきます。しかしそれを待っていたらいつまでも若者の生活はよくならないでしょ?  年寄りだってそんなに真面目に投票しているわけではないのです。とにかく行って、投票率を上げた方が勝ちなのです。

 意識の高い若者は、ついつい投票の重要性といったことから話を始めそうですが、それが理解できないから行かないのです。何でもいいから行って投票率を上げましょうと訴え、できるだけ多くの仲間を投票所に送り込みましょう。
 たぶんそれが、若者の目を選挙に向ける近道です。
 

「結局、失敗しないと身につかない」~私のキャッシュレス元年③

 バタバタしながらも何とかやりおうせた私のキャッシュレス元年。
 ところが途中で、とんでもないミスをしたことに気づく。
 料金の二重払いだ。
 だが大丈夫。私には魔法の言葉がある。

という話。

(写真:フォトAC)


【キャッシュレス、具体的な話になると分からないことが多すぎる】 

 先週、東京の娘のところに行ってキャッシュレス生活を楽しんできた、というお話をしました。

kite-cafe.hatenablog.com

kite-cafe.hatenablog.com
 そのとき、こころの底に引っ掛かりながら記録しなかったことがあります。それは行きの電車についてミスを犯したのかもしれない、ということです。

 JRの予約サイト「えきねっと」で指定席券と乗車券を購入し、その瞬間からずっと困っていたのですが、どうやって乗ったらいいのか、そしてどうやって都内の駅を出たらいいのか、そこが分からなかったのです。というのは、私の家から私鉄ローカル線に乗って地方の中核都市駅に行き、そこからJRに乗り換える――その私鉄とJRは駅構内でつながっていて、私鉄=JR間に改札がないのです。ですからかつてはいったん外に出て切符を買い直すといった面倒なことはせず、そのまま乗り換えたJRの車内で、乗務員から切符を購入するのが常でした。
 ところが数年前から車内で買う切符が割高になり、しかも全席指定になったので、いったん改札を出て買い直すことは必然になってしまったのです。面倒は我慢しますが、時間が惜しい。なにかの事故でモタモタしていると予定の電車に乗れず、次は1時間後になります。

 けれど私は考えます。
 いくら何でもIT時代、そんな面倒なことをさせるはずがない。それがひとつの考え方。ネットで乗車券を購入したのだから、たいていのことはITが処理してくれるに違いありません。けれど乗車駅で改札を通らないと、乗車記録がないのに降車記録だけが残るという、実に妙なことになります。どうなっているのでしょう?


【都合のいい情報には、すぐに飛びつく落とし穴】

 そこで「えきねっと」のページのあちこちを見ていると、こんな記述に出会います。
 車内改札はございません。駅係員または車掌より特急券の提示を求められた場合は、お申込み完了メールやマイページ等から購入履歴をご提示ください。
“なんじゃい、ただそれだけのことかい”と胸をなでおろします。“車掌さんが来たらその画面を見せればいいんだな”。
 ところがしばらくすると、また疑問が浮かんできます。
“あれ? 車内で車掌さんに声をかけられたら見せればいいとして、駅を出るときはどうするんだ? 自動改札機の端末に画面をかざすのか?”

 そこでまたあちこちを読み進めると、
 乗車券は、交通系ICカードやモバイルSuicaをご利用いただくか、別途、紙のきっぷをお買い求めください。
“そうだよな、わが田舎駅でも最近交通系ICカードが使えるようになった。あれなら時間のロスもない!”

 私は私鉄ローカル線を降りると改札に向かい、私鉄の切符を機械に流し込んでいったん外に出ると、踵を反してJRの自動改札をスマホでピピッと鳴らし、あとは順調に娘の最寄り駅に着いたのでした。

【二重払いしたかも・・・】

 問題に気づいたのは帰りの切符を予約しようとしたときです。
えきねっと」で順次操作を続けていくと、指定席券と乗車券の両方を購入するか、指定席券だけでいいのか、という画面が出てきます。往路の時も見たはずですが記憶にありません。しかしICカードについて思いつかなかった時点のことですから、おそらく指定席券と乗車券の双方を購入したはずです。
 そうなるとスマホでピピッと鳴らして入退場した、あのICカードの分はどうなるのだ? 二重払いしてないか?

 少し迷ったのですが、それだってIT時代。その程度の人為的ミスは簡単に見抜いて修正してくれているはずだ。そう思う一方で、クレジットカードの利用履歴とICカードの利用履歴の照会・修正なんて、できるはずがないじゃないかという思いもあります。
 したがってあとはクレジットカードの明細待ちです。もしかしたら相殺されて請求されていない・・・。


【1億2600万人にひとりのバカ】

 そのカードの支出明細が、金曜日に出ました。私の希望的観測ははずれ、みごと請求されていました。二重払いです。
 これが二十歳代の私だったら「高い授業代だった」と自嘲しながら泣く泣く諦めたのですが、いまの私には魔法の呪文があります。
「一万人にひとりしかやらないようなバカなことを、やっている可能性のある人間がこの日本には1万2600人もいる」

 したがって
「こうしたバカのための対応策も必ずあるはずだ。恥ずかしくない!」
 これが私の信念です。
 私は「えきねっと」の利用履歴と交通系ICカードの利用履歴の二つを、すぐに示せるよう準備して、さっそく駅に向かいました。
 ところが・・・、

 もしかしたら私はこの国で1億2600万分の一、つまりたった一人の稀有なバカだったのかもしれません。駅員に二つの画面を見せて返金を求めると、「そういう例はないので、上の許可を取ってきます」とか言って奥で電話をかけ始めます。
 しばらくすると引き返してきて、私からスマホを預かると機器に載せ、利用履歴を写してまた奥へ。再び電話で何かを話し、最後は若い女性職員を連れてきて私のスマホ画面を撮影し、さらにもう一度それを機器に乗せて、
「上の許可が出たので返金します」
 現金が出されないので、
「あの、お金は?」
と訊くと、
「現金では返せないのでICカードに入れました」
 確認すると4千数百円、たしかに返金されていました。

 またひとつ勉強しました。私は1億2600万人にひとりのバカかもしれませんが、使った時間は20分ほど、それで4千数百円取り戻せたのですから時給にすれば1万2千円以上、それだけ稼いだかたちです。
 満足、満足。
*私の場合の正しいやり方は、
『「えきねっと」で指定席特急券だけを購入し、乗車券分はICカードでやる』
でした。もちろん次回は失敗しません。
 

「時代は変わる、自分も変わる」~その人生に飽きちゃわない?② 

 10年もまじめに打ち込めば、たいていのことには飽きが来る。
 その先をどう生きるかは個性だ。
 若者よ、
 何十年も先まで、同じ状況、同じ自分が続くとは限らんよ。

という話。

(写真:フォトAC)

【その人生に飽きは来ないの?】 

 私は大学に通いながら20歳から家庭教師と学習塾の仕事を始め、そのままのズブズブ就職で学習塾の経営会社に入ると、29歳で会社を辞め、30歳からは中学校教諭、40歳から小学校に異動して、最後の10年は小中両方の管理職をやって定年退職しました。
 その後2年間だけ児童館の仕事をしましたがまったく性に合わず、以後、家にこもって1a(アール)余りの畑で野菜を育てながら、晴耕雨読、家事全般、現職教員の妻のアシスタントなどをして過ごしています。そしていま、少々飽きつつあります。
 たびたび書いていますがここから先の人生設計はかなり難しく、むかし大病したこともあって長生きは望めないものの、終着点が分からないのでどう生きようか迷っているところです。

 就職や転職、あるいは校種の変更については、それぞれの時にそれぞれの理由はあるのですが、もしかしたらひとつのことを10年も続けると飽きてしまうのではないのかとも思ったりするのです。
 昨日の歯科医や耳鼻咽喉科の意思についても思うのですが、どんな仕事でも10年間一生懸命がんばれば、たいていのことにはめどがつき、己や状況の限界が見えてきます。そこでどういう生き方を選択するのか、そこに個性が出てきます。
大きく見れば教育畑という枠内、後半の30年間は公立学校教師という同じ枠内ですが、私の場合は飽きて、別のことを心待ちにする性格だったのかもしれません。

 しかし世の中の半分くらいの人たちは、表向き、いつまでも同じ生活を続けていられるように見えます。どうしてそれができるのか、私はいつも不思議でした。
もちろんバカにしてのことではありません。
 いつだったかテレビのドキュメンタリー番組で沿岸漁業の漁師さんが「おれは必ずこの港で、一番の漁師になる」と語っているのを見て、ああ、その情熱はわかる、私も同じ立場だったら同じように考え、同じように頑張るに違いないと思ったりしました。
 つまり「同じ生活を続けている人たちが分からない」というのは純粋に知識がないということであって、教えてもらえば大半は理解できるのかもしれません。


【頑固で臆病な保守主義者たち】

 話は少し変わりますが、かつて「2ちゃんねらー」という言葉が流行した時代、私もご多分に漏れずその世界で丁々発止のやり取りをしていました。とは言っても自分の土俵(学校教育)でしか勝負しないので基本的には連戦連勝、いまの言葉で言えば論破王の称号を与えてやりたいくらいでしたが、その後、叩き潰したはずのスレッドがそれまでのやり取りを全部無視して、「だけど、やっぱりなあ」とか言ってゾンビのごとく復活してくるのを見て、その世界から足を洗いました。

 現在はたまにTwitterやらYahoo!コメントに書き込む程度で、本格的な戦闘には加わらないようにしています。書き込みをしても「ああ、この書き方だと『そう思わない』(親指が下を向いた手のマーク)がたくさんつくのだな」とか、「おやおや、これに『そう思う』がいっぱいつくのかぁ」と、そんなことを楽しんでいます。

 最近「おやおや」と思ったのは、6月14日のYahooニュース「4人に1人が結婚願望なし 30代男女、婚姻は戦後最少」に対する私のコメントへの反応です。

 ニュースは、政府が「令和4年版男女共同参画白書」を閣議決定したという内容で、
「婚姻歴のない30代の独身者は男女とも4人に1人が結婚願望なしと回答。理由として『自由でいたい』などのほか、家事育児の負担や経済的な不安が挙がった」
と簡単に紹介している程度のものでしたが、そこに着いたコメントが、「オレもオレも」という感じだったので、ついひとこと言いたくなったのです。そこでこんなふうに書きました。
20代独身・30代独身が楽しく面白そうなことは分かるけど、50代・60代の独身に面白そうなイメージがない。
私は35歳まで独身で面白おかしく暮らしていたけど、ある日、そのまま45歳、55歳になることを考えたらビビった。そのままじゃあきっと飽きるし、たぶん死ぬほど退屈で孤独ではないかと思った。
それで慌てて結婚したが、結婚生活はかなり刺激的で面白く、子どもができると飽きている暇もない。結婚で人生をリセットしたのはやはり正解だと思っている。
現代の若者は、いまの生活が20年も30年も続くことに不安はないのだろうか? 50歳独身で楽しく生きるには、それなりの才能とか財力とか必要だと思うのだが・・・

 時間的にずいぶん遅れての書き込みでしたし、内容も大したものではないので反応は薄いと思ったのですが、「そうは思わない」があれよあれよという間に18件も入って、「そう思う」は二つしか入らなかったのです。
 よくも嫌われたものだと感心しました。これが私の最後に書いた「現代の若者は、いまの生活が20年も30年も続くことに不安はないのだろうか?」に対するものだとしたら、むしろすごいことだと、皮肉なしに思ったものです。


【時代は変わる、自分も変わる】

 私も若いころはそういう人間だったのでよくわかるのですが、生涯独身でこのまま行こうという人の一部は、頑固で臆病な保守主義者です。とにかく今のままがいい、変わることがイヤなのです。

 今の私も再びの保守主義者で、妻と二人暮らし、週に6日母の家に泊まり、日中は自宅で畑仕事や個人の仕事をして過ごす、その生活がいつまでも続けばいいと強く思っています。
 しかし母が永遠に生きているわけでもなく、妻も今年度を最後に、教職を去ります。母が寝たきりになるかもしれませんし痴ほうで徘徊し始めるかもしれません。妻が最晩年にとんでもないことを始めたりする可能性もあります。状況は「ずっとこのまま」を許してくれません。
 一方で、私自身も「いつまでもこのままでいい」と言いながら、こころの隅で飽きも来ています。心身の衰えも顕著です。

「自由でいたいから結婚しない」とのたまう若者も、いつまで「自由でいたい」と思っていられるか。いま一緒に遊んでくれる友だちも、いつまでも変わらずにいてくれるのか。そして現在、面白いと思っていることが、色褪せず数十年先までも面白いままでいてくれるのかどうか――それは分からないというより、むしろありえない話です。

 50歳で一度も結婚したことのない男性の平均寿命は68歳だそうです。将来的には65歳で定年退職となり、わずか3年で死ぬことになります。それでいい人生もあると思いますが、一般的にはそれでいいとも思えません。
 

「よく知った歯科医がグダグダ」~その人生に飽きちゃわない?① 

 長く使った差し歯が抜けた。
 そこで長年お付き合いいただいている歯科医に行ったのだが、
 この歯科医、何かグダグダ。ところでこの人、
 どういう気持ちでこの仕事を続けているのだろう?
という話。


(写真:フォトAC)


【よく知った歯科医がグダグダ】 

 親が戦前生まれで放っておいても虫歯にならず、だから歯磨きにも無頓着で戦後は親子してむし歯だらけ――私はそうした親子の子の方の世代です。ですからかなり若い時期から口腔は惨憺たるありさまで、健康な歯はほとんどありません。一番目立つ上の前歯は二本とも差し歯で、うち一本は40年近く前に入れたものです。
 その40年物が、一カ月ほど前にスポンと抜け落ちてしまいました。むしろ40年も、よくもったものだと誉めて上げなくてはなりません。そこで30年来お世話になっている歯医者さんで治療をすることになったのですが、これがかなり腕が悪い――というか、30年も付き合う中で、腕が落ちつつあるのかもしれないのです。

 抜けた歯の根の部分をきれいに削って型を取り、とりあえず持って行った古い差し歯を仮留めしたら、翌週、どんなに叩いても引っ張っても抜けない。そのまま日常使い使えるくらい頑固に固まってしまったのです。そこで仕方がないので翌週送りにしたら、良くしたもので一週間後にはスコンと抜けて治療を継続できるようになりました。

 しかし継続治療の一日目、根に新たな土台を埋め込み、仮の差し歯をつけるとしばらく待たせてから歯科医が、
「もういいですよ。口をゆすいでこちらにどうぞ・・・」
 しかし私は、
《ちょっと待てよ、先生》
と心の中で呟きます。口の中に脱脂綿が残ったままだったからです。
 結局、看護師に取ってもらったのですが、マスク越しにも老けたとは見えない先生も、やはり相応にお齢を召されたのでしょう。あちこち不都合が出てきます。

 そんなことがあって翌週、警戒しながら治療を受けているうちに、私は突然、こんなことを考え始めたのです。
「この人、(私の知るだけでも)30年間、毎日どういう気持ちで仕事を続けてきたのだろう?」


【その人生、面白いかい?】

 スポーツマンで、若いころは剣道教室でアシスタントのような仕事をしていたことも知っていますし、休日の朝、大きなワゴン車にかなりの荷物を詰め込んで旅行に出かける姿を見かけたこともあります。しかし職業柄2日以上の連休ということはほとんどなく、週休二日と言っても水曜日と日曜日に休むだけです。土曜日は半日ですから普通のサラリーマンよりそのぶん休みが多いのも事実ですが、半日休みがどのくらい使いづらいか、経験のある私にはよくわかります。
 定時始まりで定時終了、残業なしは確かに魅力的ですが、仲間と一緒に夜の繁華街に繰り出すということもないでしょう。そもそも仲間と言えるものを何人おもちなのか。そんな生活、つまらなくありません?

 同じことは以前通っていた耳鼻咽喉科でも思いました。
 失礼を承知で腹に納めていたことを口にするのですが、それは、
 毎日毎日一年250日くらい、ただ耳と鼻と口の三つの穴を覗いて何が楽しいのか。
 頭も抜群に切れて大学も6年間も通い、莫大な授業料を払って手に入れた生活がこれか?
 もちろん収入はべらぼうによさそうだけど、使うときがないじゃないか。それって銀行強盗が手に入れた莫大な現金が、すべて番号を控えられているのと同じ状態ではないか。
 そんなふうに思うのです。

 開業医はともかく大病院の勤務医は面白そうだ、というのは私の勝手な思い込みでしょうか? 町のお医者さんと違ってやたら難しい患者も来ますから、自分一人(とは限りませんが)の判断と技術で救えるものは救える。救えない人にもギリギリのサービスを提供できる、それはかなり魅力的な気もします。
 もちろんできないことはできないという厳しさもありますが、それはどの世界も同じ。できないことの見極めもプロらしい仕事です。

 ただし勤務医の労働環境は教員よりさらに苛酷。私の元同僚の御夫君は、大学病院の医師として、定年退職まで40年以上も年間3日(大晦日から正月2日まで)しか休まない生活を続けて来たそうです。それなりのやりがいもあったのでしょうね。


【私はいかに?】

 さて、翻って私です。
 他人の生活に失礼な憶測をしておいて、じゃあお前はどうかと言われれば、私の生活も外から見れば「何が楽しいのか分からない」ということになりそうです。
 悠々自適と言えばその通りですが、だれからも圧力をかけられない代わりに誰からも期待されない人間関係の辺境。
 晴耕雨読専業主夫。知を楽しみ作物の生育と収穫を楽しむ。しかしそんなものはなくてもかまいません。そんなに楽しくもなく、どうしてもやりたいわけでもなく、他にないからやっているだけのことです。
 退職金と多少の貯えもありますが、職業人である間に楽しいことの基準が変わってしまい、時代遅れになったり時流に乗り遅れたり――そもそも齢を取れば金のかかる遊びも楽しいとは思えず、今さらスカイダイビングだのスキューバだのバンジージャンプだの、そういうことにも興味がわきません。しかし生きている。

 そしてようやく私も理解するのです。
 たしかに世の中には生きがいをもって仕事をし、楽しく生きている人もいますが、楽しむこと自体は人生の目標ではない。人生に目標がなければいけないという考え方も間違っています。

 多くの人々は淡々と自分の人生を受け入れ、ときに楽しく、ときに面白く、少々の苦しみと喜びを味わいながら生きているのです。若い時ならともかく、ある程度の年齢になると犬や猫が自分たちの存在理由を問わないように、私たちもいちいち考えずに生きることができるはずです。

 しかしそれでも、同じ生活を何十年も続けて行けるものなのか――私はふと疑問に思いました。

(この稿、続く)
 

「コロナ禍が終わる、かもしれない」~とりあえずのまとめ

 新型コロナ感染もだいぶ落ち着いて、地方にも観光客が溢れてきた。
 これが最後の感染拡大ではないのかもしれないが、
 とりあえずこのあたりで、全体を眺めて整理してみよう。
 世界にはいろいろな状況がある。

という話。(写真:フォトAC)

【コロナ禍の終焉、かな?】

 まだ内閣は慎重ですが、このところ新型コロナの感染状況も落ち着き、私の住む田舎町にも観光客の姿が見えるようになってきました。最近一週間の「人口10万人あたりの感染者数」「人口100万人あたりの死者数」も、ぐんと減りました(下のグラフ)。

 もっとも1月上旬は新規感染者7000人以下、新規死亡者0~2名でしたから、それに比べると感染状況は決して良いとは言えないのですが、1月がデルタ株終息期、現在がオミクロン株減衰期と考えると、今後これ以上は下がらない可能性もなくはありません。オミクロンはそれくらいしぶとそうです。


【世界の状況】

 世界的にも感染状況は飛躍的によくなっています。主として最初に感染の広がった欧米諸国と韓国・イランあたりを継続的に見ているのですが、ヨーロッパ諸国はもう完全に終息気分で、スペインなどは週に4~5回の五月雨報告。ドイツやフランスも土日の集計はやめてしまったようです。
 しかもどうせやめるならきちんとやめればいいものを、ドイツなどは、
(新規感染者)
6月17日(金) 80264人
6月18日(土)     2人
6月19日(日)  6941人
6月20日(月)123097人
と妙な出し方をしてきますから不思議です。もう神経質な集計はしないということなのでしょうか。

 ただしこれらの国々の10万人あたりの死亡者は、今でも日本の5・0倍~6・6倍ですから死というものに対する感覚がまったく異なっているのかもしれません(10万人あたりの感染者数の方は5~7倍)。コロナ禍初期にあまりにも大勢を死なせてしまって、感覚がマヒしているのでしょう。


【感染者数と死者数のまとめ】

 新型コロナによる感染者数と死者数のトップ3はアメリカ・ブラジル・インドです。いずれも人口の多い国なのでどうしても数は多くなります。
 ただ、感染者数の第二グループを見るとフランス・ドイツ・イギリス・イタリアなど、人口が日本の半分程度しかないヨーロッパ先進国が出てきます。人口の少ない国でこれだけ感染するというのは、やはり状況は深刻だったのです。

 また死亡者のグラフに目を移すと、トップ3の次にロシア・メキシコ・ペルーといった、あまり話題にならなかった国々が見えてきます。それぞれの国民に対する見方、あるいは衛生状況が反映しているのかもしれません。



【感染状況の実感】

 オミクロン以降、私の田舎町でも「誰々さんが罹った」だの「何々一家が全滅だ」といった話が耳に入るようになりましたが、デルタ株の時期は数字こそ上がるものの身近に感染情報はなく、何とも居心地の悪い感じでした。感染の危機が目の前にあるという実感は、やはり知り合いや近所の人々が罹ってこそ湧いてくるものでしょう。

 それは世界も同じで、感染者数トップ3のうち、合衆国は人口3・3億人、ブラジルが2・1億、それに対してインドが一けた違う13・8億人ですから、もしかしたらインドの感染者はかなり少なく感じられるのかもしれません。
 実際、人口10万あたりの感染者数を計算すると合衆国は2万6400人ほど、ブラジルが1万5000人ほど。それに対してインドはたった3200人、合衆国のわずか12%ということになりますから、インド国内の地域差を考慮すると、どこ吹く風みたいな人も大勢いたはずです。
 そのことを考慮して作ったのが下のグラフです。
 

 10万人あたりの感染者でみると、オランダ・フランス・スイスがトップ3です。しかしここで驚くべきは、韓国・シンガポールニュージーランド・オーストラリアといった、かつての「超優等生国」のグラフの高さです。いつの間にこんなことになったのか。
 ここには国土の広さの問題があります。トップ3のオランダ・スイスも同様ですが、シンガポールニュージーランド・オーストラリアは国土が極端に狭かったり、人口稠密地域が小さかったりして、いったん感染が広がると国民全体が呑み込まれる傾向があったようです。人口の少ないことも関連するでしょう。
「超優良国」の凋落は2月~5月にかけてのことでした。いかにオミクロン株が抵抗し難かったか分かろうというものです。

 また、国土が狭いわけではなく人口も少なくない韓国には、別の事情があったのかもしれません。感染の広がった2月~5月は文政権の最末期で、大統領選挙も終わっていましたから、「世界中の感染者の4人にひとりが韓国人」という異常な状況も、放置されたのかもしれないのです。

 10万人あたりの死亡者のグラフを見てみると、韓国・シンガポールなど今年に入って爆発的感染拡大に見舞われた国々も、死者はさほど多くなっていません。「オミクロン株では死者は出にくい」というのはやはり事実だったようです。
 ただし韓国・ベトナムの10万人あたり死者数が日本を越え、オーストラリアやニュージーランド、そして台湾までが日本に迫る勢いというのは、やはりオミクロン株が侮れないウイルスであったことを示しています。


【ウイルスに初心な国々】

 さて、およそ2年半のコロナ禍を経て、それぞれの国は何%の国民が感染したことになるのか、それが次のグラフです。
 

 

 オランダ・フランスなどが国民の半数近くを感染させてしまったのに対し、日本はわずか7・3%です。
 他に感染率が低いのは、初期に爆発的感染があって世界を驚かせたイランを含む中東諸国、そして地中海沿岸と南アフリカ共和国を除いたアフリカ諸国です。特にあれほど心配されたアフリカ諸国の感染率および死亡者数の少ないことには、改めて説明が欲しいところです。
 
 先日、私のところにも4回目のワクチン接種券が来ました。巷間言われるように「ワクチンでつくられた抗体は消えやすいが、感染によってつくられた抗体は永続性が強い」というのが本当なら、これからのオランダやフランスはむしろ安全な国ということになります。
 日本をはじめとする中東やアフリカ諸国は、コロナ感染に対してまだまだ初心なのかもしれません。国内では岸田政権が慎重すぎると批判もありますが、感染率7・3%が良いことなのかそうでないのか、そのあたりも考えておかなくてはならないでしょう。

 おっと、ひとつ大事な国を忘れていました。中国です。
 2か月におよぶ上海の完全封鎖など、ここにきてようやくコロナ禍の様相を呈してきましたが、それでも14億人もいる国で感染者累計89万人弱(日本は919万人)、死者は5200人ほど(日本は4万5000人)しかないのです。
 諸外国の専門家たちは口を揃えて「ゼロコロナ政策はもたない」と言いますが、韓国の文政権末期のように野放しにするわけにも行きません。どうしたらいいのか。
 注目していきましょう。

(追記)
 今日で退職後1700回目の更新になりました。全体としては3987回になります。
 歳を経るごとに、暇なこともあって文章は長くなり、中身は具体性を欠いて同じことの繰り返しになっています。しかしそれなりにがんばっていますので、時々は覗いていただけるとありがたいと思います。
 今後もボケ切るまで続けるつもりなので、どうかよろしくお願いします。

「楽になったようだが、私には面倒だ」~私のキャッシュレス元年②

 キャッシュレスの波は数年前からジワジワと押し寄せてきていた。
 そこで私も一部を利用していたが、しばらくぶりに使うと勝手が違う。
 進化して便利になっているらしいが、私には面倒だ。
 私だけではなく、都会人にも面倒なことがあるらしい。

という話。

(写真:フォトAC)

【キャッシュレス、この前と何かが違う】

 交通系ICカードはコロナ禍以前から東京に行くたびに便利に使っていました。しかし当時はカードをスマホケースに差し込んでの使用でしたから、他の人と同じように端末にスマホをかざしていても、実際にはカードを使っているだけの話です。なにしろ使っていたスマホiphone6でしたから、内部に取り込むことができなかったのです。
 別に不満もなく、そのままでもよかったのですが、LINEがiphone6を非対応にしてしまったため泣く泣くiphone13に買い替えたのを機に、ウォレットの中に取り込みました。人通りの少ない場所の自販機で実験済みですので、使えることは分かっていました。

 列車の予約も、スマホでやっても良かったのですが、使い慣れているコンピュータから行ないます。「えきねっと」というサイトからです。これについてもコロナ禍以前に何度か利用したことがありますから、あまり不安はありませんでした。ところが今回、二年前とは違った事態が起こります。予約の列車や座席を指定して決済画面へ進んだ時、カード会社に誘導され、そこでIDとパスワードを訊ねられたのです。2年前はそんなことをしなかったように思うのですが。

 なぜそう感じたのかというと、カード会社のIDとパスワードはまだインターネットの扱いに慣れていない時期によくわからないままつくったもので、暗記しにくい文字列になっているのです。記録を確認しないと打ち込めない――。
 なんとなく不安になって、私は調べたIDとパスワードの最初の3文字ずつを、紙にメモして財布に入れました。これが後で役立ちます。


【楽になったようだが、私には面倒だ】

 国立西洋美術館のオンライン予約については3年前、「ウィーン・モダン」の展覧会を観に行った際、チケット売り場へ続く長い列の途中で「オンライン予約のご利用をお願いします」の表示に気づいて、その場でチケットを購入したことがあります。現在はそれに加えて、コロナ対策の時間予約になっていますから、オンライン・チケット購入は必然です。東京都美術館も同じでした。

 列車の方は自宅から予約しましたが、美術館は別件との兼ね合いで東京での予約となりました。そこで当日の朝、スマホから手続きを始めたのですが、JR同様、決済の段階でカード会社のサイトに誘導され、そこでIDとパスワードを求められます。昨日の今日ですのでさすがに覚えていましたが、確認のためにメモは役立ったわけです。
 では3年前はどうしたのか?

 この記事を書いている今日になって分かったのですが、おそらく当時はその場でクレジット・カードを取り出して、番号や名前を打ち込んだのです。列車予約も同じで、コンピュータの前でカード番号を読んでいたに違いありません。
 今はカードを取り出さなくて済む分、安全面でも便利になったということです。

――と、しかしカード紛失の危険性は減っても、私の齢になるとIDやパスワードの記憶紛失の危険性は残ります。その方がよほど危ない。
 世の中のキャッシュレス族は、IDやパスワードを全部頭の中に入れて動いているのでしょうか? そうなるとその方がよほどすごい!


【今さら現金かい?】

 そうやってスマホの画面提示だけですんなり入れた美術館ですが、そこでも意外なことが起こります。

 これだけ美術展に行きながらさっぱり鑑賞眼の身につかない私は、音声ガイドを借りるのを常としているのですが、西洋美術館の600円の使用料が現金のみなのです。クレジット・カードも使えなければオンライン決済もできない――。同じことは東京都美術館でも起こります。

 田舎者からすれば花の東京ですから、あれもこれもキャッシュレスかと思ったらそうでもない。入った寿司屋が現金のみ、上野公園でパントマイムをするパフォーマーへの投げ銭も現金(これは当たり前か)。
 さらに不思議なのが、キャッシュレスとは直接関係ありませんが、セルフレジです。


【なんでセルフレジを使わないの?】

 娘のところの鉢植えの植物が惨めなことになっていて、美術展帰りにダイソーで園芸用の土を買うことにしました。買い物はすぐに済んで、さて支払いと思ったら、一人しかいないレジ係の前には10人近い列ができています。担当の女性は「先の方にセルフレジがありますから、そちらをお使いください」と繰り返し叫ぶのですが、誰も行こうとしない。

 翌日、帰宅の列車に乗る前に駅構内のコンビニで買い物をすると、セルフレジが3台もあるのにここでも一人も使わない。もちろん初心者の私は怖くて行けない。
 それにしてもこれだけ電子化して人間の手も省けるようになった世界で、世間知らずで田舎者の私はともかく、都会生活に慣れた人たちがなぜ機械ではなく人間の方に寄って行くのか、セルフレジはそんなに使い勝手の悪いものなのか――。
 それが最後に残った疑問でした。

(この稿、終了)