小学校のサイトから、子どもたちの顔が消えた。
個人情報を守るためだという。確かにリスクはある。
だが、豊かさを犠牲にしてまで守るべきものとは何か。
数百万件の情報漏洩には、誰が責任を取るのか。
(写真:フォトAC)
【のっぺらぼうの学校】
孫の通う小学校の校長先生が情報発信にマメな方で、ブログ形式の学校サイトが行事のたびに更新されます。
校長先生が運営する学校サイトというのはかなり便利で、大きな問題になれば校長先生ご自身が責任を取って辞職すれば済む話で、巻き添えになる人はあまり多くありません。普通、サイトの更新は、「係がページを作成する」→「教頭先生の裁可を受ける」→「校長先生の裁可を受ける」と、スムーズに行ってもこれだけの過程があり、問題があれば差し戻しで修正。管理職もその都度、渡されたファイルをすぐに見るとは限りませんから、1日~2日、手元に置かれると、1ページ更新するのに一週間もかかったりします。ニュースの新鮮さは失われ、陳腐な記事は閲覧者も少なくなりますから次第に廃れ、やがて形ばかりになり、学校サイトは校長が変わったときくらいしか更新されない死んだサイトになってしまう――そんな例を私はたくさん見てきました。
しかし孫の学校のブログの担当者は校長先生自身ですので、更新スピードは速く、常に最新の情報が掲載されています。
プライバシーを配慮してか写真はかなり小さく、年寄りの目につらいだけでなく、時には写真に写った服装を手掛かりに、親に判断してもらわないと孫と分からない場合もあります。ですから稀に孫らしい子どもが写っていたりすると、すぐにLINEで娘に知らせ、「〇〇の写真の、右から2番目、ハーヴじゃない?」と訊ねます。すると娘からも「そうです、ハーヴです!」などと喜びの声が返ってくることが少なくありませんでした。娘にしても、学校での子どもの様子は知りませんから、生活の一端を見ることができて、楽しみのひとつでもあるようでした。
今年は孫2号のイーツも小学生ですから、1年生のページも確認しなくてはなりません。毎日更新というわけでもありませんが、家族の中の「写真確認係」として、毎日、いちおう見るだけは見ておこうと張り切っていたのです。
ところが、今年度になって、写真の子どもたちの顔に、いちいちボカシが入るようになったのです。まるで妖怪学校の“のっぺらぼう”の授業風景です。
【学校公式サイトが豊かさを失った日】
そうした“のっぺらぼう”の学校には既視感がありました。
いまから四半世紀以上前、私はある小学校の教務主任として、学校サイトの担当者でした。ことさら教務主任と書いたのは、ある程度責任の取れる立場でしたので、管理職の目を通さず、かなり自由にサイトの更新ができた状況を理解してもらうためです。今で言う“コンプラ”よりも、情報発信が優先される時代だったということもありました。
当時の私の学校サイトの特徴はとにかく更新が早い。文章を書く手間を(したがって校正の手間も)惜しむので写真の枚数が半端でない。遠足などでは、予めサーバーにフォルダをつくっておいて、帰校した学年から随時写真を入れてもらい、それを私が学年ごとに片っぱしアップするので、場合によっては児童の帰宅より先に更新されることもあって、保護者からの評判もすこぶるよいものでした。
おそらくその速さと更新頻度のおかげで、当時ネット上にあった「学校ホームページ・コンクール」では優秀賞の常連でした(残念ながら、最優秀賞は一度も取ったことがない)。写真はそのクラスの学級担任が選んだものです。つまり、『先生の、先生による、先生が選んだ』写真ですから、子どもたちが生き生きとしていて、それが最大の魅力であったことも間違いないでしょう。
その表情豊かな楽しい小学校サイトが、私がその学校を去って2~3年後にすべて“のっぺらぼう”の気味悪い写真に替えられてしまったのです。私の作ったページは膨大でしたから、修正しきれなかったのでしょう、丸ごと削除です。
サイト自体がすっかり楽しいものでなくなり、閲覧者もぐっと減って更新のスピードも落ちます。私は別の自治体に異動していたので事情は分かりませんが、おそらく市の指導が入ったのです。以後、“のっぺらぼう”の学校は全県に、そしてやがて全国に広まっていきます。
【なぜ子どもの写真をネットに載せてはいけないのか】
なぜ子どもの顔を出してはいけないのか?
挑戦的な話ではなく、純粋にわかっていないので問いかけますが、例えば私の孫の1号や2号の顔写真が大映しで学校ブログに載ったとして、そこにどんな被害が想定されるのか、具体的に想像ができないのです。
孫の顔写真が世界中に配信されることでどんなリスクがあるのか――と首を傾げていたら、昨日のBSS山陰放送が、SNSで子どもの写真が広がることに関して、こんな記事を掲載したようです。
『運動会で孫の写真をSNSにアップ…「お友達の顔、モザイクなしでバッチリ写っている」 祖父母が投稿し炎上するケース相次ぐ 「子どもや園名が特定される」「防犯上のリスクが凄まじい」保護者に求められるネットリテラシーとは?』
それによると、
- 社会には、DV被害やストーカー被害から逃れるために隠れ住んでいる親子や、様々な事情で居場所を知られてはならない子どもたちも存在します。(中略)そんな恐怖と隣り合わせで生きている保護者にとって、無断のSNS投稿は「配慮不足」の一言では済まされないリスクになり得る。
- 一度ネットに出た画像は意図しないところで保存・拡散されていき、いわゆる「デジタルタトゥー」として二度と完全に消去することはできなくなってしまう。
- 今の時代、何が起こるかわからないので、子どもを危険にさらしたくない
ということです。
しかし私が知る限り、学校サイトに掲載された写真やSNSの画像が直接のきっかけとなって、子どもがストーキングされたり、誘拐されたりした事件はないように思うのです。悪意をもって子どもや女性に近づく人間は、もっと手近で、簡単なところで獲物を見つけます。
DVやストーカーの被害者の心配なら、テレビのニュース番組やバラエティ番組だってリスクは同じでしょう。映画『八日目の蝉』の誘拐犯(永作博美)は事件から四年後、参加した地域の祭りの様子がニュース番組で紹介され、逮捕されています。なにもサイトだけ問題なわけではありません。
しかし「だからネットに載せたっていいだろう」と突っぱねる気持ちがあるわけではありません。「3. 今の時代、何が起こるかわからない」「一度ネットに出た画像は意図しないところで保存・拡散されていき」いつか現在の私たちでは想像できないようなやりかたで悪用される心配がある――と言われれば抵抗できないところです。黙るしかありません。
今の豊かさを捨てても、将来の見えない危機に備えるべきだ、というのは納得できる話です。ただそれと同時に、こんなに慎重になり、臆病になって備えても、破綻はまったく別の方からやってくるかもしれないという思いもあります。
【数百万人分の情報漏洩なら責任を取る人はいない】
ここ20数年、持ち帰り仕事をなくせないばかりに個人情報を持ち出して紛失したり盗まれたり、その上で処分された教員は山ほどいます。他方で、ここ一週間余りの最も熱いニュースは、企業における個人情報の漏洩事件です。
- 銀のさら・釜寅(最大650万件)
- SpeeCAN RAIDEN(防災メール:313万件)
- Gyazo(約2,362万件)
- skyticket(約1,464万件)
- ブックオフ(638万件)
- KDDI ISPメール基盤(1,223万件)
- タイムズカー(約660万アカウント)
システムに穴があったにもかかわらず、これらの事件に関して誰かが処分されたという話は寡聞にして知りません。
「ひとり殺せば殺人犯だが、(戦争で)数千人殺せば英雄だ」
と、そんな言葉が頭に浮かんできます。

(この稿、終了)





