カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「のっぺらぼうの学校、責任を取らない企業」~私たちは何を恐れ、何を見過ごしているのだろう

小学校のサイトから、子どもたちの顔が消えた。
個人情報を守るためだという。確かにリスクはある。
だが、豊かさを犠牲にしてまで守るべきものとは何か。
数百万件の情報漏洩には、誰が責任を取るのか。(写真:フォトAC)

【のっぺらぼうの学校】

 孫の通う小学校の校長先生が情報発信にマメな方で、ブログ形式の学校サイトが行事のたびに更新されます。
 校長先生が運営する学校サイトというのはかなり便利で、大きな問題になれば校長先生ご自身が責任を取って辞職すれば済む話で、巻き添えになる人はあまり多くありません。普通、サイトの更新は、「係がページを作成する」→「教頭先生の裁可を受ける」→「校長先生の裁可を受ける」と、スムーズに行ってもこれだけの過程があり、問題があれば差し戻しで修正。管理職もその都度、渡されたファイルをすぐに見るとは限りませんから、1日~2日、手元に置かれると、1ページ更新するのに一週間もかかったりします。ニュースの新鮮さは失われ、陳腐な記事は閲覧者も少なくなりますから次第に廃れ、やがて形ばかりになり、学校サイトは校長が変わったときくらいしか更新されない死んだサイトになってしまう――そんな例を私はたくさん見てきました。
 しかし孫の学校のブログの担当者は校長先生自身ですので、更新スピードは速く、常に最新の情報が掲載されています。

 プライバシーを配慮してか写真はかなり小さく、年寄りの目につらいだけでなく、時には写真に写った服装を手掛かりに、親に判断してもらわないと孫と分からない場合もあります。ですから稀に孫らしい子どもが写っていたりすると、すぐにLINEで娘に知らせ、「〇〇の写真の、右から2番目、ハーヴじゃない?」と訊ねます。すると娘からも「そうです、ハーヴです!」などと喜びの声が返ってくることが少なくありませんでした。娘にしても、学校での子どもの様子は知りませんから、生活の一端を見ることができて、楽しみのひとつでもあるようでした。
 今年は孫2号のイーツも小学生ですから、1年生のページも確認しなくてはなりません。毎日更新というわけでもありませんが、家族の中の「写真確認係」として、毎日、いちおう見るだけは見ておこうと張り切っていたのです。
 ところが、今年度になって、写真の子どもたちの顔に、いちいちボカシが入るようになったのです。まるで妖怪学校の“のっぺらぼう”の授業風景です。

【学校公式サイトが豊かさを失った日】

 そうした“のっぺらぼう”の学校には既視感がありました。
 いまから四半世紀以上前、私はある小学校の教務主任として、学校サイトの担当者でした。ことさら教務主任と書いたのは、ある程度責任の取れる立場でしたので、管理職の目を通さず、かなり自由にサイトの更新ができた状況を理解してもらうためです。今で言う“コンプラ”よりも、情報発信が優先される時代だったということもありました。

 当時の私の学校サイトの特徴はとにかく更新が早い。文章を書く手間を(したがって校正の手間も)惜しむので写真の枚数が半端でない。遠足などでは、予めサーバーにフォルダをつくっておいて、帰校した学年から随時写真を入れてもらい、それを私が学年ごとに片っぱしアップするので、場合によっては児童の帰宅より先に更新されることもあって、保護者からの評判もすこぶるよいものでした。
 おそらくその速さと更新頻度のおかげで、当時ネット上にあった「学校ホームページ・コンクール」では優秀賞の常連でした(残念ながら、最優秀賞は一度も取ったことがない)。写真はそのクラスの学級担任が選んだものです。つまり、『先生の、先生による、先生が選んだ』写真ですから、子どもたちが生き生きとしていて、それが最大の魅力であったことも間違いないでしょう。

 その表情豊かな楽しい小学校サイトが、私がその学校を去って2~3年後にすべて“のっぺらぼう”の気味悪い写真に替えられてしまったのです。私の作ったページは膨大でしたから、修正しきれなかったのでしょう、丸ごと削除です。
 サイト自体がすっかり楽しいものでなくなり、閲覧者もぐっと減って更新のスピードも落ちます。私は別の自治体に異動していたので事情は分かりませんが、おそらく市の指導が入ったのです。以後、“のっぺらぼう”の学校は全県に、そしてやがて全国に広まっていきます。

【なぜ子どもの写真をネットに載せてはいけないのか】

 なぜ子どもの顔を出してはいけないのか?
 挑戦的な話ではなく、純粋にわかっていないので問いかけますが、例えば私の孫の1号や2号の顔写真が大映しで学校ブログに載ったとして、そこにどんな被害が想定されるのか、具体的に想像ができないのです。
 孫の顔写真が世界中に配信されることでどんなリスクがあるのか――と首を傾げていたら、昨日のBSS山陰放送が、SNSで子どもの写真が広がることに関して、こんな記事を掲載したようです。
『運動会で孫の写真をSNSにアップ…「お友達の顔、モザイクなしでバッチリ写っている」 祖父母が投稿し炎上するケース相次ぐ 「子どもや園名が特定される」「防犯上のリスクが凄まじい」保護者に求められるネットリテラシーとは?』
 それによると、

  1. 社会には、DV被害やストーカー被害から逃れるために隠れ住んでいる親子や、様々な事情で居場所を知られてはならない子どもたちも存在します。(中略)そんな恐怖と隣り合わせで生きている保護者にとって、無断のSNS投稿は「配慮不足」の一言では済まされないリスクになり得る。
  2. 一度ネットに出た画像は意図しないところで保存・拡散されていき、いわゆる「デジタルタトゥー」として二度と完全に消去することはできなくなってしまう。
  3. 今の時代、何が起こるかわからないので、子どもを危険にさらしたくない

ということです。

 しかし私が知る限り、学校サイトに掲載された写真やSNSの画像が直接のきっかけとなって、子どもがストーキングされたり、誘拐されたりした事件はないように思うのです。悪意をもって子どもや女性に近づく人間は、もっと手近で、簡単なところで獲物を見つけます。
 DVやストーカーの被害者の心配なら、テレビのニュース番組やバラエティ番組だってリスクは同じでしょう。映画『八日目の蝉』の誘拐犯(永作博美)は事件から四年後、参加した地域の祭りの様子がニュース番組で紹介され、逮捕されています。なにもサイトだけ問題なわけではありません。

 しかし「だからネットに載せたっていいだろう」と突っぱねる気持ちがあるわけではありません。「3. 今の時代、何が起こるかわからない」「一度ネットに出た画像は意図しないところで保存・拡散されていき」いつか現在の私たちでは想像できないようなやりかたで悪用される心配がある――と言われれば抵抗できないところです。黙るしかありません。
 今の豊かさを捨てても、将来の見えない危機に備えるべきだ、というのは納得できる話です。ただそれと同時に、こんなに慎重になり、臆病になって備えても、破綻はまったく別の方からやってくるかもしれないという思いもあります。

【数百万人分の情報漏洩なら責任を取る人はいない】

 ここ20数年、持ち帰り仕事をなくせないばかりに個人情報を持ち出して紛失したり盗まれたり、その上で処分された教員は山ほどいます。他方で、ここ一週間余りの最も熱いニュースは、企業における個人情報の漏洩事件です。

  • 銀のさら・釜寅(最大650万件)
  • SpeeCAN RAIDEN(防災メール:313万件)
  • Gyazo(約2,362万件)
  • skyticket(約1,464万件)
  • ブックオフ(638万件)
  • KDDI ISPメール基盤(1,223万件)
  • タイムズカー(約660万アカウント)

 システムに穴があったにもかかわらず、これらの事件に関して誰かが処分されたという話は寡聞にして知りません。
「ひとり殺せば殺人犯だが、(戦争で)数千人殺せば英雄だ」
と、そんな言葉が頭に浮かんできます。

「神は細部に宿る」~その下弦の月、ちょっとおかしくないか?③

ドラマに見つけた月の描写と時間設定の誤り。
なぜ制作現場の誰も気がつかなかったのか。
細部をおろそかにする仕事から良い作品は生まれない。
神は細部に宿る。(写真:フォトAC)

【なぜこんな過ちが放置されたのか】

 今月始まったテレビドラマ『ハイド&シーク 0秒前の彼女』について、細部が詰められていない、時間設定がおかしい、背景がきちんと調べられていない、といった問題を取り上げています。

 私が不思議に思うのは、こうした中途半端なドラマ作りが、なぜ老舗の日本テレビの現場で、可能だったのかという問題です。
 テロリストに捕まっているかもしれない恋人の居場所を特定するのに、月が映った写真から位置を割り出す――そんなきわめて神経を使う場面で、最も重要な写真に対し、誰一人として「間違っているかもしれない」と疑いの目を向けなかった、それが理解できないのです。そうした具体的な細部を確認する担当者は、いないのでしょうか? いなかったとしても、映画やドラマ作りに関わる人間は膨大です。現場スタッフだけでも何十人もいる中で、誰ひとり「ちょっと確かめてみましょう」と言わなかった、それが解せません。

 もちろん、たまたま全員が月や天文に関する興味の全くない人ばかりだった、ということはありそうです。しかし「釜山のリゾート海岸で行われる午後10時半以降の花火大会」の方はどうでしょう。「そんなに遅い時刻の花火の設定でいいんですか。大丈夫ですか」と、ほんとうに誰も疑問を差し挟まなかったのか。誰かは指摘したものの、無視されてしまったということなのか。

【私だったら黙っていない】

 もしかしたら原作がすでに間違いを犯しているのかもしれませんし、脚本づくりやドラマ撮影がかなり進んでいて、今さら疑問をさしはさめる雰囲気ではなかった――そういう事情もあったかもしれません。しかし私だったら、たとえ自分が18歳の学生アルバイトだったとしても、おそらく言います。
 もちろん演出家や脚本家に噛みつくなんてことはできませんから、直属の上司や責任者、あるいは自分の仲間たちの耳に届くよう、「これ、絶対におかしいと思います」と言うに決まっています。
 だってせっかくやっているのですからいい作品をつくりたいじゃないですか。いい仕事をしたいじゃないですか。現場にいる先輩や仲間も、みんながいい作品に仕上げようと頑張っているのですから、こんなに明らかで単純な瑕疵は、絶対に修正したくなるじゃないですか。そうおもいません?

 もちろん問題が根本的なもので、大掛かりな変更や撮り直しが必要ということになると、とてもではないが対応しきれない、間に合わない、ということもあるでしょう。そうなったら脚本家も演出家も、自らの経歴に大きな傷を残す覚悟で、そのまま制作を進めざるを得ないということになるかもしれません。しかし今回の月の話は、そこまで大がかりなことではないのです。

【対応は難しくない】

 「下弦の月」という設定を「上弦の月」に替え、画像やせりふの一部を替えるだけでいい。スマホに送られてきた半月と、回想場面で若いカップルが見上げたCGの月を、左右反転するだけで、午後10時過ぎに水平線(地平線)上にのぼってくる下弦の月を、午後6時ごろの南の空の、一番高いところに輝く上弦の月に替えることができます。
 午後6時ごろ南中する上弦の月は、付き合い始めたばかりのカップルが本格的な食事に向かう途中で見上げるのにふさわしい月ですよね。午前6時の白んできた空に下弦の月を見上げるカップルより、よほど現実的です。
 それに午後6時前後の釜山なら、別の場面における「ヘウンデで花火大会だそうだ。見物でも行くか」のセリフもごく自然に聞こえます。なぜそんな簡単な変更ができなかったのか。

【神は細部に宿る】

 私のような素人が気づくことを、現場の誰ひとり気づかなかったということは考えられません。きっと何人かは気づいていて、しかも誰も言わなかったのでしょう。なぜ言わなかったのか――それもわが身に寄せて考えると分かります。
 
 もし私が瑕疵に気づいているのに何も言わないとしたら、それは、すでに「作品がダメになってもいいや」と思っているか、何かを言うことに懲りてしまったか、あるいは最初から諦めている場合です。積極的に作品に絡んでいこうとしない、ただ言われるままに働いている。現場に「良い作品をつくろう」というエネルギーがない。
 
 昨日の記事でも書いた通り、スピルバーグのような力でぐいぐい引っ張っていく才能あふれる演出家や脚本家もいます。しかし普通は細部にまでこだわって、丁寧に作られた作品にこそ秀作は生まれ、そうした作品作りをする制作者だけが一流になっていくものです。
 『ハイド&シーク 0秒前の彼女』はすでに第2回目の放送を終えていますが、主人公が突破できずに苦労している厳重な警察の包囲網を、機関銃を持ったテロリストたちは逆から突破して、主人公を探し出し殺そうと考えます(別の理由から、実際にはしなかった)。こんな雑で乱暴なドラマを、楽しめるはずがありません。

 私は細部がおろそかにされた作品は信用しませんし、細部にいい加減な人間も信用しません。

【付録の話】

  1. 今日の記事も含めて、私は再三にわたって「下弦の月が南中する(南の一番高いところに上る)のは午前6時前後の夜も白み始めたころ」という書き方をしていますが、下弦の月の月の出が午後10時15分という、私の思っていたよりも1時間45分も早い場合がありますから、南中時刻も計算し直さなくてはなりません。『ハイド&シーク 0秒前の彼女』が参照したのは2026年10月3日の下弦の月でしたが、午後10時15分に再び上ってきたこの月が、次に南中するのは翌4日の午前5時1分だそうです。十分に暗い時刻で、回想場面に出てきた風景とよく合います。
     しかしこんな早朝に高層ビル街を歩いているカップル。始発電車前ですから、一晩中、いったい何をしていたのか、さらに勘繰りたくなります。

  2. 「上弦の月」「下弦の月」という命名は、月が西に沈む際、明暗の境目で直線になっている部分(弦)が、半月全体の上にあるのか(上を向いたお椀の形になる上弦の月)、下にあるのか(伏せたお椀の形になる下弦の月)によって決まると私は思い込んでいました。しかしこれには諸説あるらしく、「上弦」「下弦」の覚え方としては、「西に沈む~」でいいのですが、名前自体は別のところからきている可能性もあるみたいです。

(この稿、終了)

「見ているようで見ていない」~その下弦の月、ちょっとおかしくないか?②

体験しても身についていないことがある。
しかし一度身についたものは、
現実の異常をビシビシと捉える。
そんな人間の熟練を、甘く見てはいけない。(写真:フォトAC)

【見ているようで見ていない】

 「人は体験から学ぶ」といいますが、体験しても学ばないことはいくらでもあります。
 例えば「春の畑で一面にまっ茶色に色づいているのは、米ではなくて麦」とか「夜のうるさいほどの虫の声も、朝、最初の鳥の鳴き声で一斉に黙る」とか、「教室のカーテンは差し込む日差しを遮るものだから、閉めるのは冬」とかは、みんな経験しているのに案外知らなかったり、知っていても忘れがちなことです。最後のカーテンの話も、聞けば「そうだ冬の太陽は低く、夏の太陽は高い」と思い出しますが、「じゃあ、夏の月と冬の月、高い位置にあるのはどっち?」と訊かれて、すぐに答えられる人は多くありません*1。

 同様に、「三日月は太陽が沈んでから、わずか1~2時間で西に沈んでしまう」という体験が意識できていない人は、「東京タワーの真下から見上げた塔の先端に、三日月がかかっている」といったニセ画像に簡単に引っかかってしまいます。「終電を逃して見上げた夜空に三日月」、なんていうのもダメです。

「満月は午後6時前後に東から昇り、真夜中に南の一番高いところまで上る」とか「月食が起こるのは満月の時だけ」とか、ほんとうに「当たり前じゃないか」としか言いようのないことも、意識しないと頭に入ってこないのです。

【「月」の扱いがあまりにもいい加減だ】

 日本テレビのドラマ『ハイド&シーク 0秒前の彼女』に話を戻します。
 爆弾テロリストの濡れ衣を着せられた津倉勇一(福士蒼汰)は、東京に向かう深夜バスの車中で、死んだと思われていた恋人・紗奈から送られてきた写真を月齢カレンダーと対照しながら、撮影場所を特定しようと検討します。
「昨日の月齢は、22.0。紗奈が送ってきた月は下弦の月。高度と角度から見て、日本国内で取られた写真で間違いない。唯一のヒントは、着陸態勢の飛行機だ。紗奈は空港の近くにいる。(中略)電話があったのは10時半・・・」

 しかし「高度と角度から見て、日本国内で取られた写真で間違いない」は、とんだハッタリです。同じ日の釜山でも、青島でも、ダマスカスでも、ラスベガスでも、緯度がだいたい同じなら、下弦の月は同じような角度に見えます。もちろんあんな高い位置に見えるのは、いずれも午前6時前後であって午後10時半ということはありません。

 では前夜、紗奈からの電話があった午後10時半の「下弦の月」は、ほんとうはどのあたりにあったのか――。これに関しては私も勉強不足で、てっきり「下弦の月は午後12時ごろ上ってくるから、10時半には見ることができない」と思い込んでいたのですが、実はできるらしいのです。

 なぜそれが分かったのかというと、当の『ハイド&シーク 0秒前の彼女』第一話で、勇一が見ていた月齢カレンダーに、
「この日の月は、昼間の12:40にいったん西に沈み、夜22:15に東の空に再び上ってくる」(右の写真)
と書いてあったからです。

 私は大雑把に「下弦の月は午後12時ごろ、東の空に上ってくる」と覚えていましたが、「12時ごろ」には結構な幅があって、午後10時15分という、私の記憶より2時間近くも早い時刻に上ってくる場合もあったのです。調べてみると今年(2026年)の場合、9月・10月の東日本で、午後10時30分以前に下弦の月が東の空に上っていました。
 したがって10時30分の紗奈のメールに下弦の月の写真が載るのは不可能ではないのですが、それはわずか15分前に顔を出したばかりの、角度で言えば水平線(地平線)からわずか4度ほどの高さにあるとても低い月なのです。山国ではまだ山向こうです。
 しかもそれは紗奈の写真のような、明暗の境い(弦)が垂直に立った半月ではなく、横に深く傾いている――今日のタイトル画像にある、”上を向いたお椀”のような月なのです。紗奈の写真のようにはなりません。

【月が気にならないとしたら、これはどうだ?】

 何を細かなことを――月がどうのこうのと、細かな点をあれこれ言う視聴者もそうはいないよ――と、そんなふうに考える人もいるかもしれません。ではこれならどうでしょう?

 物語の冒頭、主人公・津倉勇一は潜伏先の釜山で無為の日々を過ごし、外出先から帰ってきた叔父(杉本哲太)が、「ヘウンデで花火大会だそうだ。見物でも行くか」と誘っても心動かしません。そこに死んだと思っていた恋人の紗奈から電話がかかってきます。それが午後10時30分。
 ヘウンデは韓国・釜山にある有名なビーチリゾートだそうですが、午後10時半ごろから出かけても間に合う花火大会など、実際にやっているのでしょうか? 「釜山花火祭り」というのが有名らしく、今年の開催は11月7日の土曜日。時間は19:00~20:05と、実に常識的な範囲です。
 私は韓国のことをあまり知りませんから、午後11時から始まる非常識な花火大会も、実際にあるのかもしれませんが、ありもしない大会だったとしたら、ずいぶん視聴者をバカにした話です。下弦の月も、もちろん舐めた話です。

【監督・脚本家は粗削りでもいいが――】

 『ハイド&シーク 0秒前の彼女』の脚本家・山崎太基は1985年生まれの現在40歳(または41歳)。この人を「若い脚本家」と言っていいのか分かりませんが、私は若い脚本家や監督が粗削りなのは我慢しようと思っています。スティーブン・スピルバーグも若いころはずいぶん粗削り、あちこち矛盾だらけでしたが、中心となる物語に圧倒的な力があり、細かな点に気を配ることで力を失うことの方が恐ろしいように感じました。
 若い表現者はそれでいいのです。映像芸術は関わる人がとんでもなく大勢ですから、細部は周囲の人で詰めればいいのです。しかしそれがこのドラマでできないというのは、どういうことなのでしょう?
(この稿、続く)

*1:答えは、「満月は太陽と逆で、冬に高く、夏低い」。しかし「新月は太陽と同じで、夏高く、冬低い」。“月は夜見るものだ”と考えれば、答えは前者だけでもいいかもしれません

「秋ドラマに物申す!」~その下弦の月、ちょっとおかしくないか?①

秋の新ドラマが続々とスタート。
脚本家や俳優を頼りに作品を選ぶ私だが、
思わぬところで気になる描写に出くわす。
恋人たちが見上げた「下弦の月」?(写真:フォトAC)

【秋ドラマが楽しみ】

 秋の編成替えがあって、今月からテレビ番組も大きく変わろうとしています。中でもドラマは民放で総入れ替えの感じがあって、毎回楽しみにしています。しかし40本以上ある新ドラマをすべて観て、それから何を見続けるかを決めることなど、とうていできません。そこで優先順位を決めるのですが、映画・演劇業界には、
「一に台本、二に役者、三に演出、四に撮影」
といった言葉があるようで、確かに、物語が面白くて役者が優秀なら、ほとんどのドラマ・映画・演劇は面白くなるに決まっています。

 私も、ですから脚本家・主演俳優・演出家を手がかりに観るドラマを選ぶことが多いのですが、その観点から、この秋、圧倒的に期待できるのが、『ポリティカルパン』(フジテレビ系・水曜22時、主演: 石原さとみ、脚本: 野木亜紀子)、そして『LOST10』(TBS系・金曜22時、主演 横浜流星、監督: 塚原あゆ子)の二作です。『ポリティカルパン』については「なんだ女泥棒かよ」と半分、鼻白んでいたのですが、10月7日の第一回放送を観たら、後半、とんでもないものを盗むと知って、俄然、面白くなってきました。
 『LOST10』は10月16日スタートです。これも楽しみにしましょう。

【ドラマ選別の、我が家の特別な方法】

 さて、今日お話ししたいのは、その2作を除く残りについてです。
 通常、我が家ではVTRの機能によって新ドラマが自動的に録画されるので、そのままにしておいて、あとで妻の審査を通ったものだけを、私も遡って観るようにしています。
 妻にはBGD(バックグランド・ドラマ)という素晴らしい技術があって、料理中はもちろん、会計仕事や文章を書いている最中でさえ、周囲が静かだと寂しいからと言ってVTRを流しっぱなしで仕事を続けることができるのです。見るともなく見ている。
 やがて3~4話くらい話が進んで、これは「本格的に面白いや」ということになると、以後は手を休めて、じっくり観るようになります。私に教えてくれるのはそのころで、妻の助言に従って、録りためてあった番組を最初から順に見るのが私の役割です。

 しかしときどき事故も起きます。妻の審判が下る前に、つけっぱなしのテレビに引き込まれて、一緒にうっかり観てしまったりする。最近では福士蒼汰主演の『ハイド&シーク 0秒前の彼女』(日本テレビ、日曜22時30分~)がそれでした。ただし引き込まれた理由は、そのくらい面白かった、ということではありません。

【『ハイド&シーク 0秒前の彼女』――ネタバレ満載】

 物語はフリージャーナリスト(実は警視庁公安課の秘密捜査員)の津倉勇一(福士蒼汰)が濡れ衣を着せられ、韓国の釜山に逃亡するところから始まります。陰謀に巻き込まれて爆弾テロリストに仕立てられるとともに、その爆発によって恋人まで失ってしまう主人公――。
 釜山の叔父にかくまわれ、無気力な日々を送る勇一は、叔父から「ヘウンデで花火大会だそうだ。見物でも行くか」と誘われても反応できないほど、生きる気力を失っています。

 と、そこにメールが届き、見ると夜の半月を写した写真が送られてきています。その月には思い出がありました。まだ恋人が存命中、都会のビル群の上空に浮かんだのと同じ月で、ふたりはそれを見て、「この月を一生忘れない」と誓い合ったのです。
 しかし思い出にふける間もなく、次は通話の呼び出し音。出ると、死んだはずの恋人・紗奈の声が聞こえてきたのです。
「あの時と同じ月が見えたから、声が聞きたくなって・・・」
 勇一が、
「今どこにいるの?すぐに会いに行くから」
というと、紗奈は、
「ダメ、探さないで」
 そう言って唐突に電話を切ってしまいます。勇一はその瞬間、生きていると分かった恋人を探すために、日本へ向かって飛び出していくのです。

 私はこの段階で、心の中に何かカリカリと引っかかっているものがあることに気づきます。何かがおかしい――。

【違和感の正体】

 その違和感の正体は、帰国したあとの勇一が、深夜バスの中で写真と月齢カレンダーを見比べながら、月が撮影された場所を特定しようとする場面で明らかになります。
 彼は言います。
「昨日の月齢は、22.0。紗奈が送ってきた月は下弦の月・・・」

 ちょっと待ったあ~~! それはないダロ! 空の一番高いところにある「下弦の月」を、恋人と肩を寄せ合って見るなんて、普通はありえんダロ!


 昔、吉田拓郎という歌手は「旅の宿」という歌の中で、「上弦の月だったっけ、ひさしぶりだね、月 見るなんて」と歌いましたが、上弦の月は正午ごろに東の空に上り(昼間だからほとんど見えない)、南中した(南の空の一番高いところにくる)午後6時ごろ、あたりが暗くなって初めて鮮やかに見える半月だから歌になるのです。それを愛でながら、湯上りの恋人と酒を酌み交わすのは絵になる。

 しかし下弦の月は、大雑把に言って夜中の12時に東の空に出て来て、午前6時に南中する月です。新宿の高層ビルの斜め上に見える下弦の月はまさにその半月で、しかし真冬以外は、午前6時の空はすでに明るくなっているので、月はまったく見えないわけではありませんが、あんなふうに恋人どうしで見上げることなど、まずないのです。
 仮に真冬の、まだ暗い午前6時の風景だとしても、あの二人、それまでの長い夜をどうやって過ごしていたのでしょう。とても酔っているようには見えませんし、身なりもきちんとしています。
 まさか、夜が明けきる前に帰っていなくてはならない家があり、そのために未明のホテルを出て、始発電車にでも乗ろうというのでしょうか?
(この稿、続く)

( ↑ 午前6時の恋人たち?)

「思い通りに行かないのが人生」~手術入院していました⑤

手術が終われば、すべて元に戻ると、
そんな簡単な話ではなかった。
尿は一滴も出ず、退院は延期。
一か月後の今も、まだまだいろいろある。(写真:フォトAC)

【すべて終了・・・のはずが】

 手術翌日の朝、ようやく許されて便座に座ります。思った通り柔らかな便が少量出ました。これが前日、私を苦しめた鈍痛の正体かもしれません。しかしそうではなく、前夜から横を向いて寝られるようになって腰の負担が減ったからかもしれませんし、膀胱に水分を送り込んでいた管がなくなったことで、患部に対する負担が減ったせいかもしれません。下半身にはまだ重苦しい感じが残りますが、苦痛というほどの感じもありません。気持ちの上でもずいぶん楽になりました。

 A・B二種類から選べる食事は三食ともおいしく、苦手なスマホのフリック入力で苦労しながら日記を書く以外にすることがないので、日長一日、ネットニュースや脳が溶ける(と娘が言う)ショート動画を見て過ごします。看護師さんを困惑させることもありません。

 金曜日の夕方、主治医が来て入院中最後の診察です。
「調子はいいみたいですね。明日明後日と私は休みになりますので当直の先生が明日の朝、カテーテルを外しに来てくれます。それで一日様子を見て、問題がなければ日曜日の午前中の退院。次回は来月末の外来で、ということになります。ご苦労様でした」
 私も丁寧にお礼を言ってお別れしました。

 翌土曜日の朝、見知らぬおっちゃんがやって来て、ボソボソッと何かを言ったかと思うと尿道カテーテルを外し、尿の溜まった採尿バッグを処理して帰っていきます。それきり医師も来てくれないので、巡回してきた看護師に聞くと、
「あれ? さっき来たのが担当医ですよ」
 てっきり男性看護師かと思っていたのでびっくりしました。これについても思うところがあるので、また改めて書きましょう。
 私を驚かせた看護師は、それから紙コップを渡して、
「オシッコの色が見たいので、出たらここに入れたまま、トイレから私を呼んでください」
と言い残して出ていきます。午前9時半ごろのことです。そしてたぶん、私は忘れられた。看護師にとっては、それほどどうでもいいことだったのです。心配しなくてはならないようなことは、何もなかったのでしょう。
 ところが――。

【様々な意味での(お)執行猶予】

 尿道カテーテルを抜いてから5時間近く経った午後2時になっても、渡された紙コップには底をかすかに蔽う程度の血尿しか出せなかったのです。昼食も含めて、かなりの量の水分を取っているのに出ない。

 仕方ないので看護師に相談すると、慌ててポータブルエコー(検査機)を持ってきて残尿を検査。なんと400ccもの尿が膀胱内に溜まっていたのです。看護師は手術した部分がむくんで尿道が圧迫されているのかもしれないといって、再び尿カテーテルを持ち出して挿入。それが土曜日で、おかげで主治医が出勤する月曜日まで、退院はお預けになってしまいました。万が一のために予約投稿しておいた月曜日のブログが役立ったのには、そういった経緯があったのです。

 月曜日、出勤してきた主治医は朝イチで診察室に招き入れ、検査。内視鏡で見ても尿道は塞がっていません。聞けばカテーテルを抜いた後も尿が出ない例はいくらでもあるそうで、私の場合、手術前から常に350cc~400 ccもの残尿があった膀胱は、出口が広がっても出さなくてはいけないという信号が点(とも)らない。点っても押し出す力(排尿筋の力)が不十分で自力で出てこないと、そういうことになっているらしいのです。

 そこでしばらくは時間を決めて、自分で管を入れ、尿を出してやるといい、と教えられ、透明の管50本と潤滑ゼリー*1を渡されました。これを自己導尿と言うようです。ベテランの看護師さんに「もっとまっすぐ、上に引っ張って――」などと教えられてしばらく練習。
 意外と簡単にできて、そのまま退院の運びとなりました。一時は排尿バッグも購入してカテーテルを入れたまま帰宅、といった話も聞いていたので、ずいぶん楽な気分になって、(そのころとしては)珍しく晴れた街へと出て行ったのです。

【そして現状】

 全面的に自己導尿に頼っての排泄は1日半程度で終わり、三日目からは自力で出せるようになりました。それでも夜、寝る前だけは自己導尿で膀胱を空にしてから布団に入るようにします。夜中に起きないで済むようにするためです。それも半月ほどでやめました。
 そして一か月たった現在は――。

 それが全然、治った感じがしないのです。日中、そこそこの尿意を感じてトイレ駆け込んでも出るのは100cc~150cc程度、最大で230cc。今は毎回、量を計っているので正確なことが言えます。試しに「出し切った」と思った状態から自己導尿で残った量を調べると、これもだいたい100~150cc。夜中に何度か起きてトイレに行くのも、以前と変わりありません。
 ただしネット情報だと、それもありがちなことで、およそ三カ月もすれば普通に戻る例が多いのだそうです。気長に待ちましょう。

 変わったのは何か。
 明らかに違うのは気持ちの問題です。現在は「そろそろ行こうかな」と思った状態で膀胱の中の尿は300cc程度だろうという目安がありますから、多少我慢しても問題ありません。実際、我慢すれば尿意はすぐに収まります。手術以前は「行こうかな」でおそらく500~600ccですから、物理的限界は目の前。かなりヤバイ綱渡りをしていたことになります。

 困った意味での「変わったこと」もあります。それは「尿意」と「便意」の区別がつかなくなっていることです。手術直後の腰回りの痛みが、便意なのか傷の痛みなのか、腰痛がらみなのか分からなかったように、便座に腰かけてから、アテが外れることがあって困惑します。毎日同じ時刻に排泄する健康な排便習慣も、失われたままです。
 しかしこれもありがちなことらしく、膀胱内に400ccもの尿が溜まっているのが常態でしたから、いつも膨らんだ膀胱の後ろにいた直腸も、圧迫された状態で満タンスイッチのオン・オフが入るように設定されていたのかもしれません。状況が変わったので、学習のし直しなのです。
 これはこういうものだという習慣が、体を動かしている。つまり排泄も学習の成果なのです。

【病院から離れて生きる人生は、もうないのかもしれない】

 さて、以上で今回の私の前立腺肥大に関する手術・入院記は終わりです。しかし通院記が終わったわけではありません。

 実は2月の人間ドックの際、
「Tさん(私のこと)、ずいぶん長いこと胸部CTを受けていませんから、一度やってみるといいかもしれません。来年のドックのオプションでもいいですし、自治体の検診でいいですから」
 そう言われて8月の上旬に受けた検査の結果が、今回の入院の前日、ようやく届いたのです。中身は、
「肺がんの疑いがあります。専門医の診察を――」
 ご丁寧に三日後、手術の翌日に携帯へ確認の電話がありました。
「来週、行きます」と答えて、実際に退院の翌々日、同じ病院の外科を受診。さらに薄切りのCT写真を撮影して、
「古い炎症のあとでしょう。大丈夫だとは思いますが、半年後、もう一度CTを撮ってみましょう」

 それだけではありません。入院中、朝夕2回、血圧の測定をするのですが、看護師によると、
「Tさん、ちょっと血圧高いですね。血圧は怖いですから、一度、先生と相談した方がいいかもしれません」
 そこで今は継続的に測定して、その記録を持って来週あたり、循環器のお医者さんに行ってこようと思っています。いつも言っているように、
「(高齢者の)俺たちに明日はない」
 健康寿命を過ぎて、病院から離れて生きる人生は、もうないのかもしれません。
(この稿、終了)

*1:

「病床で若い看護師を口説く」~手術入院していました④

手術が終わり、麻酔が切れ始める。
しかしどこが痛いのか自分でも分からない。
30年前の「白衣の天使」の記憶まで持ち出して、
私は看護師に、トイレへ行かせてくれと訴えた。
(写真:フォトAC)

【何とも説明しがたい鈍い痛み】

 昼前に終わった手術の麻酔は、およそ2時間後の午後2時には切れ始めました。その後始まった苦しみについては、説明がとても難しい気がします。
 一部とはいえ、体を切り刻んだのに鋭い痛みはなく、何か重苦しい疼痛が、たぶん、鼠径部あたりにわだかまっているのです。一番近いのは、まさにその日の朝、浣腸のために直腸のあたりに感じた重い痛みなのですが、朝と違って緊急にトイレへ駆け込みたいといったものでもありません。ごく少量の便がS字状結腸から直腸付近でわだかまっていて、それを排泄すれば必ず楽になると思わせるような痛みです。だから一度トイレに行きたい。しかし医師の指示は、
「そのまま夕食まで、右足を軽く曲げて保持したまま、動かさないように」
というものです。ベッドから離れるなど、とんでもないことだ、という話です。

 なぜ「右足を軽く上げて」なのかというと、私の膀胱には尿道を通して二本のカテーテルが入っていて(たぶんそういうことだと思う)、一本はスタンドに吊るしたビニルバックから生理食塩水(だと思う)を送り込んで、もう一本から排出するという、いわば膀胱洗浄のようなことを行っていたからで、その二本を右足の太ももで固定しているため、動かしてはいけないのです。ただ、その姿勢もつらい。
 そこで私は何十年ぶりかに、“若い女性を口説く”という暴挙に出ることになります。何とか看護師を説き伏せていっとき目をつむってもらい、トイレに行かせてもらおうと考えたのです。 これには前例があったからです。

【白衣の天使が降臨した夜】

 いまから30年以上前、声帯ポリープの手術を受けてICU(集中治療室)に一晩留め置かれたことがありました。その際もトイレを禁止され、カテーテルではなく、尿瓶を使ってベッド内で用を足すように言われたのです。手術の2日前からそのための練習もしました。
 当日も、もちろん“それ”はベッドの横にありました。しかし練習を含めて、手術後は6時間以上も点液を入れ続けて、膀胱はパンパンだったはずなのに、一滴の尿も出せなかったのです。

 人間にとってもはや排泄も本能ではありません。本能“的”ではあっても、溜まったから出るという単純な動きとは違ってきているのです。
 思い出してください。初めて洋式トイレに座って排便しようとしたとき、便は簡単に出ましたか? 私はダメで、仕方なく便器の縁に乗って、そこでしゃがんで排便したのです。今の子どもたちが和式トイレで排泄できないというのも同じでしょう。しゃがむことができないとか、しゃがんだ姿勢でいきむことができないとかではなく、「排便は座ってするものだ」という概念にがんじがらめになって出るものが出てこないのです。それが文明人なのです。尿瓶を使って布団の中で寝たまま用を足すなど、簡単にできるはずはないのです

 ほんとうにおなかが張って苦しくて、尿が正規の場所から出ないにもかかわらず口から出そうになっても、担当の看護師はトイレに行くことを許してくれませんでした。声帯の手術なので喋れませんが、そこは精いっぱいのジェスチャーで、必死に訴え、懇願したのですが、厳として許してくれません。いい歳をして私は泣きそうになりました。

 ところが、夕方、問題はあっさりと解決されます。担当の看護師が夜になって交代すると、記録に目を通して、
「見ましたけど、Tさん(私のこと)、今日はまったくお小水、出ていませんよね。尿瓶、無理ですか~? じゃあ、私、しばらく向こうに行っていますから、ベッドから降りて、下で尿瓶を使ってみてもかまいませんよ」
 涙が尿と一緒に溢れそうになりました。私はその時すでに結婚していましたが、もししていなかったら、退院後、病院中を夢中で探し回って、結婚を申し込んでいたに違いありません。まさに白衣の天使だったからです。

【病床で若い看護師を口説く】

 前立腺肥大の手術終了から4時間後、私は担当の若い看護師をかき口説くのに全霊をかけていました。
 トイレは目の前、わずか3mのところにあるし、ほんとうに浣腸のときの便が残っていないかどうか、単なるガスかもしれないという可能性も含めて、ちょっと試してみるだけでいい。一度やればそれで気が済む。試して出なければ、痛みは手術のせいだと覚悟を決めて耐える。出たら今よりずっと楽になるだろうし、排泄による実際的な解放感はもちろんのこと、「今朝の浣腸の出し残しかもしれない→力を抜くと出てしまうかもしれない→紙おむつをつけているとはいえ、出して若い看護師に始末させるのはあまりにも忍びない、私にとっても屈辱だ」と、頭の中をぐるぐる回っている懊悩からも解放される――と、あの手この手で何度も繰り返し訴えたのですが、絶対に聞き入れてくれません。

「ガスかもしれないと言うなら試してみましょう。さあ、どうぞ」
「いや、『さあ、どうぞ』なんて言って手を広げられても、それでガスじゃなかったら、紙おむつをしているとはいっても大変なことになる」
「大丈夫です。もし違っていても私が対応します。仕事ですから、慣れています」
「いや、慣れているから大丈夫と言われても、こちらが慣れていない、若い女性に脱糞の後始末をしてもらうなんて・・・」

 しかしそんな問答をいくら繰り返しても、何度、頭を下げても、あるいは声帯ポリープの白衣の天使の話をして暗に“あなたも天使になれる”みたいな言い方をしても、まったく聞いてくれる様子はありません。
 それはそうでしょう。“白衣の天使”の時は声帯ポリープの手術で、声帯と膀胱はかなり遠いところにありますが、今回の手術箇所と直腸は隣り合わせです。下手に力まれて、傷口が開いてもかなわない、そういったところなのかもしれません。

【何の痛みか分からない】

 結局、担当看護師は“落ち”ませんでしたが、それなりに気を遣って、主治医と交渉してくれたみたいです。4時過ぎになって、
「先生の許可が出たので、2時間ほど早いですけど、横を向いて寝られるようにしましょう」
 そうといって右足の太ももに固定していたカテーテルを、ヘソ付近で固定するように変更し、おかげで私は、手術中も含めて7時間に及ぶ仰向けの姿勢から解放され、横向きに寝られるようになったのです。すると痛みも質が変わった感じで、楽になったというほどではありませんが、「これなら朝まで我慢できるかもしれない」と思える程度には収まって、実際に朝まで我慢することができたのです。

 思えば若いころに腰を病んでから、私は仰向けで寝るということがほとんどありませんでした。眠りにつくときは横向き、目を覚ますときも横向き。夜中に目を覚ましたら天井を見ていた記憶は、まずありません。もしかしたら麻酔が覚めた後の痛みの多くは、7時間も仰向けで寝ていた腰が、悲鳴を上げていたのかも知れません。

 正確なところは分かりませんが、手術による傷の痛みと排便を思わせる腹痛、そして腰痛。その三つが混乱して、何が主因か分からなくなっていたようなのです。そして下半身におけるこうした混乱は、手術から一か月近くたった今も続いているのです。
(この稿、次回最終)

「人生三回目の大きな手術を受ける」~手術入院していました③

結婚生活36年で3回目の手術。
手術室はまるでSF映画の宇宙船のようだった。
下半身だけの麻酔なので状況が分かると思ったが、
意外な静寂、意外な進展・・・。
(写真:フォトAC)

【人生3回目の大きな手術】

 結婚してから手術入院をするのはこれが三回目(声帯ポリープ・肺がん・今回の前立腺肥大)。それとは別に右足首に雑菌が入って腫れあがり、このままだと右足切断だとか言われて緊急入院したことが一回で、計4回の入院歴があります。

 話は一瞬横道に逸れますが、独身時代に「結婚相手に望むことはたった三つ。顔が良くて、頭が良くて、性格がいいこと」とうそぶいていたにも関わらず、三つともはずれた女性と結婚しました。ただし、口にした三条件以外に「当たり」だった部分があり、それが「健康」です。
 腰が痛い、頭が痛い、風邪を引いたみたいとけっこううるさい人ですが、そのくせ、結婚36年間で入院したのはわずか2回。それも出産の時だけです。毒は吐きますが心は病みません。毒を吐くから心を病まないのかもしれません。
 面倒くさいことも少なくありませんが、配偶者が健康であることがどれほどありがたいか――友人や近隣の話を聞くと、心底痛感させられます。
 「無事是名馬(ぶじ・これ・めいば:故障せず、長く走り続けられる馬こそ本当の名馬である)」
「美人は三日で飽きるが、ブスには三日で慣れる」
 私自身が4回も入院しているので、妻には心から感謝しています。こんな書き方では感謝の気持ちも伝わりにくいと思いますが--。

【手術前の準備】

 さて、いよいよ手術ということになって最初の手続きが浣腸。
 実は私、消化器に過敏性があるみたいで、胃カメラはなかなか入っていかない、バリウム検査で発泡剤を飲むとゲップが我慢できない、大腸の内視鏡を入れれば腸壁が柔らかすぎて突き刺さるといった感じでまったく自信がないのです。浣腸も「最低でも5分は我慢してください」と言われたのに2分でトイレに駆け込み、わずか20秒後に発射。まだ出し残しのある感じがしたのですがタイムアップ。のちにそのことが問題になります。そのあと上半身裸になって手術着に着替え、点滴を入れて手術室へ。

 8室もあるという手術室の廊下は、何となくSF映画の宇宙船内部か地下基地といった雰囲気で多くの関係者が行き来しています。私がその日最初の手術だったようで、さまざまな装置や道具を移動しているという段階、つまり臨戦態勢といった感じなのです。さらに私の着ている手術着も、スター・ウォーズのジェダイの戦士が着る服に似ているので気分が上がります。手に持っているのが点滴スタンドでなければ、さらに気分は高揚したはずなのですが――。

【手術始まる】

 手術台に乗ると横向きで丸くなり、脊椎へ麻酔。程なく足が熱くなり、感覚もなくなっていきます。私から医師たちの動きが見えないよう胸の前に遮蔽板が置かれ、肩などのホックを外す形で手術着が外され、ズボンとパンツも脱がされます。そのあたりまでは感覚も残っています。後で考えたら大勢の人の前で全裸なのですが、あれこれやられているうちに、トンとそのことには気づきませんでした。看護師の中にはかなり若い女性もいましたから、自分自身が若かったらかなり穏やかでなかったはずですが、年寄りはそういう面で枯れ切っています。

 医師と看護師、看護師同士の間で何かのやり取りがあったあと、主任看護師といった感じの女性がリストを読み上げ、それに応じて、医師や他の看護師が一つひとつ答え始めます。航空機のコックピットで操縦士と副操縦士たちがやっている、アレと同じです。早口なのと専門用語ばかりなのとで、何を言っているのかわかりません。読み上げる項目も20以上と、かなりの量になります。

 やがていつのまにか無言。10分以上もそのままで、“あれ?放置されてる?”とか思い始めた時、かすかな動きがあってすでに手術が始まっていることに気づきます。
 テレビで見るような「メス」だの「メッツェン」だのといったやりとりはまったくありません。内視鏡手術というのはそういうもののようです。

 下半身のみの部分麻酔では、足はいわゆる「石のように重い」という状態かと思っていましたが、ほんとうにただ「動かない」といった感じ。そのままだと何も感じませんが、動かそうと思うと何も感じないこと自体が不快。麻酔の効いている足と、効いていない上体の間で、腰だけがずいぶん重い感じがします。そして(実際にはそうでないと思うのですが)左足が右足よりやや高い位置にある感じと、腰の中心線が左にずれた感じがするのがとても嫌でした。

【手術、終わる】

 何も感じない2時間ほどが経って終盤、ベッドが激しく揺すられる感じと、へそに指をかけられて繰り返しツンツン引っ張られるような感じがありました。実際には何をしていたのでしょう? 質問をしても返してもらえる様子もないので黙っていましたが、これまで経験したことのない感じです。
 やがて主治医の声で「終わりました」。
 言われて時間を聞くと手術開始から2時間45分。予定通りとのことでした。
 
 医師はそれからビンのケースに入れた前立腺の組織を見せてくれます。色は栗色で、「グリ、グリ、グリと削り取った」というだけに、数十個の半月形の塊となっています。――しいて言えば直径1cmくらいの超ミニサイズ紫タマネギを、30個くらい刻んだようなものが大量に入っていて、全部合わせれば柚子くらいの大きさになると、いった感じです。けっこう大量なものでびっくりしました。

【病室へ戻る】

 ふたたび手術着を着せられて(バラバラになったパーツをホックでつなぎ合わせる)、付き添いの妻の待つ病室へ戻ります。妻からLINEで子どもたちにも連絡。
「手術、無事終わりました。今、主治医から『予定通り、問題なく終わった』と話がありました。ガンの疑い等の検査結果はこれからで、外来でと言う事でした。」
 何もすることがないので妻にはそのまま帰ってもらいました。しかしそこから、案外な苦闘が始まったのです。
(この稿、続く)