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「『社会』『コミュニティ』『周囲』『界隈』」~『世間』という言葉の盛衰と変化の話⑤

 1980年代、多様化する若者文化は、
 いくつもの“党派”を生み出した。
 『社会』『コミュニティ』『周囲』『界隈』
 “党派”はやがて互いを踏み潰しにかかる
 ――という話。(写真:フォトAC)

【不良少年は学校にいる】

 私が子どもだった1960年代~1970年代、学校に馴染めず非行を繰り返すような中高生は校外にいました。学校へは来なかった。
 彼らの活動の場は繁華街だったり駅前、映画館、喫茶店、パチンコ店、盛り場など。夜間の徘徊やグループでの集団行動が特徴でした。田舎では駄菓子屋や広場、河川敷などというのもありました。いずれにしろ口うるさい大人(教師や親)の目の届かないところに行きたがったものです。ところが1970年代後半以降、私が教員になった1984年あたりをピークにして、「不良少年は学校にいる」状態になってしまったのです。いわゆる「荒れる中学生」の時代です。
 何しろ授業中にさえ対応を迫られるので内心「もう、来なくていいから」などとも思いましたが、そう言うわけにもいきません。放置すればずかずかと教室に入ってきて悪態をついたりします、下級生のリクルートにも忙しかったりもします。

 管理教育の行き過ぎだとか、受験戦争の激化のせいだとか言われましたが、両方とも昔の方がもっと激烈でした。実際には“自由”の概念が学校にも入り込んできたこととツッパリ文化の拡張、そしてさすがに校外の悪しき大人社会も中学生は相手にしてくれない、などの事情があったのでしょう。同級生たちは半分迷惑がりましたが、楽しんでもいました。
 やがて校内にちいさなツッパリグループがつくられるようになります。そんなに悪い連中ではありません。その中から深刻ないじめ自殺事件も起こってきます。

【昭和の不良少年の脱会儀式】

 私は1986年と1994年に社会問題となった二つのいじめ自殺事件は、ともに「ちょい悪・ツッパリグループ」からの足抜け問題だったと思っています。足抜けは、ともにリスクを背負いコストを払ってきた仲間から、ひとり離脱して堅気の世界に戻り、“いい子”になろうという虫の良い話ですから、残された者には許しがたいのです。しかもたいてい足抜けしようという子は頭が良くて勉強に戻りやすいとか、ちょい悪時代にも並行して普通の人々との関係を崩さなかったとか、娑婆(シャバ)に戻りやすい足がかりを持っている子ですからグループとしては面白いはずがありません。自然と暴力に向かいます。

 私くらいの年齢だと高校生のころ、半殺しにされるくらいの暴力を受けるのがツッパリから“脱会式”だという話を聞いていて震え上がったものです。もっとも一度半殺しにされればあとはきれいに手を切ってくれるところがなかなか昭和っぽい話ではありますが、そうした暴力団まがいの党派主義(特定の党派や集団に固執し、他の立場や仲間を排除・攻撃する排他的な態度。セクト主義ともいう)が、子どもの世界にも入り込んでいたのです。

【愚図でも仲間なら許せるが、埒外の愚図は許せない】

 ここから先は憶測に類する微妙な話です。
 私はツッパリやオタクが徐々に力をつけてきた70年代後半から80年代前半、別な言い方をすると若者文化の多様化が進んだ時代、子どもたちは共通性を失ってどんどん細分化され、数人のグループの集合体になってしまったのではないかと疑っています。学校で言えば学校、学年、学級がそれぞれの個性・共通性を失って単なる器になってしまったのではないかと思っています。一番わかりやすいグループ分けは、主流派・反主流派・無党派といったあり方です。それが男女別にあれば六つの小集団が存在することになります。それがグループとして存在を誇示し排他的になると、よそのグループの構成員につらく当たったり、仲間内でも常に同一性が確認され、異質と認定された者は資格喪失者として排斥される――それが80年代前後から今日まで続く、いじめの構造だと思うのです。

 大昔――クラスに2~3人の仲良しグループがいくつかあっても党派主義に侵されていなかった時代は、教室に何をやっても愚図な仕事の遅い子がいてもあまりイライラすることはありませんでした。それはクラスという大枠(『世間』)の中にいる“仲間”だったからです。“仲間”の不始末は“仲間”が守って行かなくてはなりません。
 ところが今はその愚図が“仲間”か“自分の党派に属さない埒外の人”かがまず問題になります。埒外だったら迷惑はかけられたくありません。いやな思いをしている私の気持ちは“仲間”が支えてくれます。その子の愚図は叩き直してやるべきです――。

【「社会」「コミュニティ」「周囲」「界隈」】

 かつて「強い同調圧力で人々を包み込もうとする社会」は大人の中にしかありませんでした。それが1970年代に対抗文化のような形で子どもの中にも生まれ、やがて大人社会を凌駕します。「世間」という言葉が使われなくなったのはそのためです。「世間」が相対化されます。
 やがて子ども社会の中で価値の多様化が始まり、さらに小さな“党派”への細分化され、それぞれが排他的な自己を主張し始めます。
 “ウチ”と“ソト”が厳しく分けられ、常に審査のふるいにかけられます。その上で、“ウチ”の者には篤く、“ソト”に対しては厳しく当たるようになります。
 「世間」と呼んでいいような共通の価値観をもった集団はなくなり、「仲間」「コミュニティ」「周囲」といった単語に置き換えられて行きます。さらにインターネットの時代になって空間的居場所を同じくするのではなく、ネット空間でのみつながる新たな「仲間」が生み出されます。彼らは互いの顔すら見たことがありませんが、存在は強く意識しています。そのグループのことを、かつては「~派」「~系」と言い、いまは「界隈」と言うのかもしれません。
 それは自然の流れですし、押しとどめる理由はありません。ただし学校のそれぞれの学級内に多くの排他的グループが存在して、互いにいがみ合うのは好ましいことではありません。学校やクラスには今も質の高い「世間」が必要なのです。そのために優秀な教師はさまざまな方策を駆使しますが、それについては改めてお話ししましょう。
(この稿、終了)