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「『オタク』:かつて忌避された人々」~『世間』という言葉の盛衰と変化の話④

 1980年代、多様化する若者文化中で、
 静かに育ってきたものがある――「オタク文化
 それは世に出ると同時に叩かれ、
 叩かれることでより強靭になった。
――という話。
(写真:フォトAC)

【密やかに、静かに、育っていたもの】

 1960年代もぎりぎり終盤になるまで、若者はともに歌う歌を持たなかった。
 70年代は若者文化全盛時代。何が最先端でどこに価値があるのかが非常に見えやすい時代だった。しかしそれはマスコミ情報を通してもたらされる一元的なものであり、商業主義の傘下にあった。
 80年代に至ってようやく若者たちは自前で多様な価値観を持つに至った。大枠としては豊かで派手な消費で自己表現をする「新人類」たち、短ラン・ボンタンといった再燃した不良ファッションの担い手たち、逆に都会的で洗練されたニューウェーブの人々――しかしその陰で、こんにちではむしろ主流となっている一群の人たちが育っていた。それがオタクである。昨日はそんな話をしました。少し乱暴な分類ですが、大枠では違っていないと思います。
 しかしその四つの中で、「オタク」だけはかなり特殊な育ち方をしてきました。それはこの潮流がマスコミの主導したものでも一役買っているものでもなく、むしろ世間の目を逃れ、独自に成長してきたものだったからです。

【オタク・宮崎勤

 「オタク」は今でこそ日本のサブカルチャーやその担い手を総称する使いやすい言葉です。いい歳をした中年男が地下アイドルの歌にあわせてケミカルライトを振り回していても、それはその人の趣味・生き方だと放っておくことができますが、30年前はまったく違っていました。中高生になっても子ども向けマンガやアニメに心奪われているような人は、みんな未熟な異常者だと思われていたのです。そうした趣味を持つ人たち自身が、自分を隠していた様子も見られました。

 彼らが初めて私たち一般人の前に現れたのは、とんでもなく猟奇的な連続殺人事件の犯人としてでした。1988年から89年にかけて東京と埼玉にまたがる一帯で起こった4件の少女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤です。
 事件は幼女4人が誘拐され殺されたというだけでなく、警察を愚弄するような“告白文”が出版社に送り付けられたり女児の焼かれた遺骨が自宅に届けられたりと、衝撃的な事実が次々と明らかになり、女の子をもつ首都圏の親たちを恐怖に陥れたのです。
 その犯人が逮捕され、日ごろ生活していた部屋が報道されると、私たちはまた違った恐怖を感じるようになります。そこには天井までうずたかく積まれたビデオテープと本の山があり、ほとんどすべてが子ども向けマンガとテレビアニメの録画ビデオだったからです。しかも同じ趣味をもつ人々は全国に散らばっており、互いを「オタク」と呼び合って連絡を取り合い、情報を交換している。彼らは決して大っぴらな場所には出てこないと聞かされて、一部では緩やかな秘密結社、もしくは宗教団体に近い組織とみなされるようになったのです。

【手作り、自前の若者文化】

 彼らのネットワークの広さ・強さにも驚かされます。
 他の若者文化は大部分が『JJ』『CanCan』『宝島』といった雑誌や『オールナイトフジ』などのバラエティ番組、あるいはトレンディドラマ、あるいは『オールナイトニッポン』『セイヤング』などのラジオ放送、そういったマスコミやそれに準ずるネットワークを通して全国に広まったのに対し、オタク文化だけはコミケコミックマーケット同人誌即売会)やアニメ雑誌の投稿欄で知り合い、電話を使って連絡を取り合って情報を交換し、郵送でビデオやカセットテープを貸し合ったりと、表には見えてこない、かなり地道な努力を重ねてきたのです。
 現在のようにインターネットを通じて簡単に結びつくことのできる時代ではないのです。よほど強い思いがあってようやく続けられる作業。――たかが子ども向けマンガ・アニメにそこまで強い熱意を持って向かい合える、その熱量にも驚かされます。ちょっと腰が引ける。

【忌避された人々】

 考えてみると彼らが目立たなかったのは、「オタク文化」が最初から常人の受け入れがたいもの、恥ずべきものだと、周囲も本人も感じていたからなのかもしれません。90年代にはすでに30歳代だった私も熱心なマンガ雑誌の愛読者でしたが、読んでいたのは成人向けで、テレビアニメも『サザエさん』止まり。子ども向けのマンガやテレビアニメを観るのは大人になり切れない不健康な人間のすることだといった偏見が私の中にもあったのかもしれません。その不健全な存在が、すでに巨大な集団となっていたことに日本中が怯えたのです。
 ちなみに1989年は平成元年。年号が変わって新しい時代の幕が上がったと思ったらそこに「オタク」がいた、「オタク」こそ「新時代」そのものかもしれないという怯えも、「オタク」たちを忌避したくなった理由の一つだったのかもしれません。

 得体のしれないもの、理解できないものに対して、私たちは本能的な恐怖を感じます。
 ここで注意を向けておきたいのは、80年代の新人類や新ヤンキー、ニューウェーブといった当時の若者文化の担い手たちが、大人社会から忌避されることはあっても同世代から憎まれたり疎まれたりすることがなかったのに対し、「オタク」だけが同世代からも理解されず、しばしば胡散臭い目で見られ、忌避されていた点です。

【集合と離散、反目】

 やがて2000年代になってインターネットの普及とともにアニメ・マンガの社会的地位が向上してきて、「オタク」も「趣味に詳しい人」といった中立的な言葉に変化していきます。さらに2010年以降は国の「クールジャパン戦略」の中核となることで、「オタク」も肯定的な自己認識として使われることが増えてきました。いまでは「ファン」「マニア」とほぼ同義に使われています。

 「オタク」自体には問題はありませんが、1980年代に至って若者文化が多様性を持ち始めたと同時に、同世代からも疎まれ忌避される若者が出てきたという点には注意しておく必要があります。別な言い方をすると、子どもたちがそれぞれ属する「世間」を形成して、一部で排斥する動きが出てきたということです。
(この稿、続く)