生涯で一番幸福な瞬間はいつだったか――、
私の場合は結婚がそれだった。
結婚生活が楽しく面白かったからではない。
人生がそれで一気に展開し始めたからだ。
という話。
(写真:フォトAC)
【人生最良の瞬間】
古希の祝いの際に「70年生きてきて、最も幸せだった瞬間はいつだったか」と問われて思い出したのは、ハワイの小さな教会で挙げた結婚式のことでした。
神父(カトリック)なのか牧師(プロテスタント)なのかよく分からないのですが、流ちょうな日本語で、
「神が合わせたものを、人が裂いてはいけません(結婚は神が決めたものであって、人間が解消できるものではない)」
と言ったとき、心の中で、
「よし、一生、添い遂げるぞ!」
と誓った、その一瞬が人生の最も幸せな時間だったと思い出したわけです。
もちろんその瞬間に小躍りしたとか、恍惚とした気持ちになったというのではなく、新しい生活が始まると決まって第一歩を踏み出した前後数か月間の、もっとも象徴的な場面として、結婚式の誓いの場面を思い出したのです。逆に言えば、結婚前はそのくらい追い詰められていたとも言えます。
【何もしなければ退屈な人生】
昨日もお話しした高校時代からの遊び仲間も、大半が結婚して共に遊ぶ時間が減り、仕事の方もひと段落して大雑把に先が見えるようになったころでした。中島敦の『山月記』の中で、主人公の李徴(りちょう)は、
「人生は何事もなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりにも短い」
と語っていますが、私は30歳を過ぎたころから自分の人生に見切りをつけ、少なくとも「歴史に名を残すような人間(現在で言えばさしずめWikipediaに載るような人間)ではない」と思うようになっていましたから、その先にあるだろう半世紀に近い後半生をどうやって生きて行けばいいのか、とても思いあぐねていたのです。子どもっぽい夢をあきらめて3年~4年も経つと、この生活は10年経っても大差ないだろうな、30年経っても変わらないかもしれない、そんなふうに思えてくるのです。するともう想像の世界で押しつぶされそうになるのでした。そんな退屈な世界で、生きていけない――。
それが結婚によって一斉に動き始めたのです。それが「70年生きてきて、最も幸せだった瞬間」です。
【結婚とは生まれ変わること】
結婚をすれば何かが変わる――漠然とした予感は、想像以上の形で実現しました。なにしろまったく異なった家族文化の中で生まれ育ち、大人になって10年も経っていますからたっぷり頑固になっている二人が共同生活をはじめるわけですから、ただではすみません。もちろん微調整で済む新婚夫婦も少なくないと思いますが、私の場合は徹底的な魔改造が必要で、共同生活自体は楽しい・うれしいといった要素のまるでないものでした。夫婦で仕事ばかりをして、「ふたりがともに気の済むように仕事をするには、日常をどう調整すればいいのか」が主題ですから楽しいはずもないのです。しかしよかった。
私見として結婚の定義を「生まれ変わることだ」というのはそのためです。
幸せと言えば娘が生まれた時も息子が生まれた時も、舞い上がるほど幸せでした。しかし子どもが生まれることは結婚した時点で想定の中に入っていましたので(結婚したら子どもが生まれて当然という時代です)、生活を根本から変えるような大きな出来事ではありませんでした。もともと自分自身が子どものころからの“子ども好き”でしたから、赤ん坊と一緒にいるだけでも幸せだったのですが、子育てをしているうちに、子どもがいるからこその人生の楽しみ方、というのも分かってきます。
それは「共育ち」という概念です。
【子育ては繰り返される脱皮・共育ち】
乳児の父親として期待されるものと、就学前の幼児の父親として期待されるものとはまったく違います。小学生の父親がしなくてはならないことと、中学生の父親ができるべきことも違ってきます。保育園児や小学校低学年の子どもの父親は本の読み聞かせがうまくできるといいですが、中学生の父親にはその能力は問われません。逆に、乳幼児の父親は子どもの人生相談に乗れる必要はありませんが、中学生の父親は機を窺うところから能力が高いに越したことはありません。
子どもと一緒に活動することを考えたら、海水浴やスノーボードもできた方がいい。あれもこれもすべてというわけにはいきませんが、子どもの成長に合わせて、あれもこれも学んでいくことができます。それを私は「繰り返される脱皮」もしくは「共育ち」と呼んでいます。その必要性はすべての親に生まれます。あとはどれだけ楽しめるかです。
私は楽しく、面白かった。スキーも釣りも、そして自分ひとりだったら絶対にやらないキャンプやハイキングは、すべて子どもを通して学んだことです。
(この稿、続く)