絶対に敵うはずがないと言われた大リーグに、
いま、日本人が君臨している。しかも3人もだ。
私も人生の決算期、
あの世に行ったら、大いに自慢してやろう。
――という話。
(写真:フォトAC)
【閻魔庁の法廷で――】
死んで閻魔庁の法廷に立ち、審問官たちから、「お前は娑婆で何をしてきた人間か?」と問われたら、こう答えようと考えている腹案があります。
「私は、教師として子どもたちを育て、父親として自らの二人の子を育んできた人間です。それがすべてです」
それで十分です。
ただしそれから先に、「では、さらに細かな点を聞いていくが、お前は娑婆で、何を見て、何を経験して来た人間なのだ?」と問われたら、
「審問官殿、あまりにも長く生きましたので一言で言うのは困難ですが、かりに10個挙げるとしたら、そのうちの一つは間違いなく、2025年のMLBワールド・シリーズでナマの大谷翔平を体験したことです。私はそれを、極楽に行っても、地獄に落ちても、自慢したいと思っています」
そんなふうに答えようかと思っています。
【大谷礼賛、唯一無二】
思えば1976年に日本の王貞治選手がベーブルースのホームラン記録714本を抜いた時も、1977年にハンク・アーロンの755本を抜いた時も、日本の熱狂をよそにアメリカ人の反応は冷たいものでした。
「日本では世界一、ね」
2016年6月にイチローが4257本目のヒットを打ってピート・ローズの安打記録を抜いた時も、「日本のプロ野球時代の記録も含めたのではねえ」と、冷めた感じです。
少し遡って1994年、当時の近鉄バッファローズの野茂英雄投手が、全盛期であるにも関わらず、任意引退制度を使って退路を断ち、ドジャースのマイナーリーグと契約した際、アメリカは、1億4000万円という日本では破格の年俸を蹴ってわずか1300万円でドジャースと契約したこの青年を、「可愛い奴め」という感じで受け入れました。
“アメリカのベースボールに憧れて、すべてを投げ打って飛び込んできた少年”という構図が、小気味よかったからでしょう。まさかその年度内に13勝・奪三振王・オールスター選出という悪魔のような快挙をやってのけるとは、誰も思いませんでした。
野茂英雄以来、前述のイチロー、松井秀喜、黒田博樹、佐々木主浩など、錚々たる日本選手がアメリカの地で超人的な活躍しました。しかしそれでも大リーグの中核に立って大リーグを背負うという感じではありませんでした。日本人の優秀な選手が、アメリカでちょっと活躍したというその程度の物語です。しかしいま、大谷翔平に至って初めて、日本人が世界のベースボール界の頂点に君臨し、周囲を睥睨しているのです。日本人選手はどう転んでも大リーガーに太刀打ちできないと言われていたのは、ほんの30~40年前のことです。
大谷翔平はその意味で空前であって、二刀流ということを加味すれば、あるいは絶後の存在なのかもしれません。その“空前絶後”、“天下無双”、“唯一無二”の大谷翔平の、これが全盛期の始まりなのか、頂点なのか、終わりの始まりなのかは分かりませんが、とにかくその全盛期の一部に私の人生の一部が重なり、現実の目撃者となれた、その幸せを誰かに自慢したくてしょうがないのです。
【私は何者か。何をして、何を見聞きしてきた人間なのか】
もちろん私の人生を「大谷翔平と時代が重なった人」だけで総括するわけにはいきません。70年以上も生きてくると、さまざまな事件・事故・事象に出会っています。
スポーツに限っても、先ほどの王貞治の715本も756本も同時代のできごととして見ていますし、イチローの4257本も見ていました。サッカーのドーハの悲劇も、初めてのワールドカップも知っていますし、ラグビーの日本チームが南アフリカを撃破した瞬間も、なでしこがPKでアメリカのホープ・ソロを跪かせた場面も目撃しています。
大鵬幸喜も白鵬翔もジャンボ尾崎もコンコルド尾崎も、みんな私にとっては伝説ではありません。シドニー・オリンピックの女子マラソンで、高橋尚子がサングラスを投げ捨てた瞬間、「さあ、一緒に行こう!」と(テレビに向かって)声をかけたのは私です。
ビートルズの日本公演(1966年)とマイケル・ジャクソンの日本公演(1987年)の両方を、テレビで見ることができました。加山雄三とグループサウンズは私の青春前期のすべてでしたが、後半はサイモン&ガーファンクルと松任谷(荒井)由実と一緒に生きてきました。特にユーミンは1975年に3枚目のアルバム『COBALT HOUR』が出るまでは全く売れず、ファースト・アルバム『ひこうき雲』(1973年)は1年経っても3000枚しか売れなかったと言われています。その3000枚のうちの4枚は私が買って仲間に広めたものです。仲間内では私こそが「ユーミンの発見者」ということになっています。
【私が見てきたもの、経験してきたこと(世界と国内の動き)】
ソ連のガガーリンが初めて宇宙飛行を成功させた日(1961年)のことも、人類が初めて月面に降り立った日(1969年)のこともよく覚えています。いま改めて振り返ると、人間が初めて宇宙に出てから月に到達するまでに、わずか8年しかかからなかったのです。それなのに以後、宇宙は驚くほど近くなりませんでした。私の生きているうちに「成田発パリ行き」の旅客機はいったん大気圏外に出てから再び大気圏内に突入し、大幅に時間と燃料を節約するはずでした。しかしそうはならないようです。
第二次世界大戦後に始まった冷戦は1989年の東欧革命、1991年のソ連崩壊をもって終了しアメリカ一国主義の時代が始まりました。しかしそれもつかの間、2001年のアメリカ同時多発テロからアフガン戦争・イラク戦争と進む中でアメリカが国力を失い、代わって中国が台頭してきた経緯も、そしてプーチン・習近平・金正恩という三人の独裁者が手を結ぶ中で、自由主義陣営はドナルド・トランプというワイルド・カードを出すようになった経緯も、私はずっと見てきました。
象徴的に言うと、ベルリンの壁と世界貿易センタービル(ツインタワー)の崩壊、合衆国の権威の崩壊を見てきたわけです。
国内では、高度経済成長とその終焉(オイルショック、1973年)、バブル経済とその崩壊(「失われた20年」の始まり、1990年)の双方を体験しました。オイルショックの際の「市場からトイレットペーパーがなくなる」という恐怖は、2020年に至って「市場から不織布マスクがなくなる」という形で再現されました。1973年の大学のトイレには、ペーパーホルダーの横に紙製の物差しが貼ってあって、「トイレットペーパーの使用は1回20cmまで」と書いてありました。《いくらなんでも20cmは無理だろう》と思ったのですが、その物差しもすぐに不要になりました。学校のトイレからトイレットペーパーそのものがなくなってしまったからです。2020年アパートのベランダには、使い捨てマスクが洗って干されていました。
私の人生の中で最大の事件と言ったら、やはり東日本大震災(2011年)と新型コロナウイルスによるパンデミック(2020年~2023年)でしょう。3・11の際に生まれた『絆(きずな)』への強いこだわりは、パンデミックが終わってみるとさほど重要ではなかったような気がしてきます。ひとは繋がらなくても生きていける――それが現在のところの社会の共通認識といえます。このふたつの事件については、語り始めると際限なくなるのでこれでやめます。
それにしてもたくさんのものを見てきました。
楽しい人生でした。まだ終わるつもりはありませんが。
(この稿、終了)