お盆が過ぎて、
帰省していた家族が一斉にいなくなってしまった。
寂しいことだが来てくれただけでも贅沢だ。
あとのことを考えずに済む。
という話。
(写真:フォトAC)
【再び二人ボッチに戻る】
5人になった娘のシーナの一家と、シーナの配偶者エージュの妹と弟、さらにその二人の配偶者、私たち夫婦。一時期は総計で11人もいた家族が、お盆前の11日に、娘のシーナと生後二か月のドリの2人だけを残して、一斉にいなくなりました。エージュの実家で法事があって、そちらに集まる必要があったからです。移動の激しい日程で、シーナとドリは無理をしなくていいといわれていたのです。ふたりで東京に戻っても大変なだけということで、私のところに5日も余計にいてくれました。そのシーナとドリも、昨日の新幹線で東京に戻り、私の周辺は一気に寂しくなりました。
私にはもう一人、息子のアキュラがいるのですが、こちらは配偶者の実家に慶事があって、そちらを優先。今のところ我が家に帰省する予定がありません。寂しいですが、盆や正月が終われば“二人ぼっち”“独りぼっち”の家は、日本中にいくらでもあるでしょう。子や孫が来てくれるだけでも幸せです。贅沢は言えません。
【子や孫がいるだけで贅沢】
「子や孫が来てくれるだけでも幸せです。贅沢は言えません」
――と、たったいま書いたばかりの自分の文章を、思わず見直しています。50年前なら負け惜しみとも捉えられかねない言葉だからです。そのころは三世代家族、四世代家族が巷にあふれていて、「お盆が過ぎると誰もいなくなる」という家庭は、むしろ少なかったからです。誰か、一家族くらいは残っていた。
ですから一定の年齢を超えた夫婦の家で、盆暮れに子や孫が来てくれたが終わるとともにみんな帰ってしまった、二人ぼっちに戻ってしまった、そういう家はかなり少なかったように思うのです。「子や孫が来てくれるだけでも幸せ」にも、どこか慰めの雰囲気が漂います。
しかし今は違います。
【70歳を過ぎたのに、非婚の家族が何人もいる】
70歳を過ぎても独身の娘や息子が家にいる、家にいなくても単身で暮らしていて、盆暮れだからといって特に帰省する必要を感じていない――。あるいは結婚はしたものの、とうに離婚してしまった。再婚する気はさらさらない様子だ。そういった家庭はいくらでもあります。
たびたびお話ししている高校時代からの友人たちにしても、総勢10人のうち、子どもたち全員が結婚生活を営んでいるのは半分以下の4人。残りの6人中二人は、子どもがいずれも独身です。別に、子どもが離婚してしまったという仲間もひとり。
孫がいるのは、今年ようやくお祖父ちゃんになったひとりを含めて4人だけ。したがって飲み会の席でも孫の話はできません。遠慮があります。
面白いことに高校時代からの10人組の中で、ついに結婚しなかった者も離婚した者も一人もいないのです。そうした友人だけが今も付き合いがある――、そうも考えてみたのですが、私たちの時代には明確な結婚圧力がありました。結婚経験がないということは、それだけでどこかに欠陥があると思われた時代ですから、非婚という選択肢がなかったのです。
それが今や男性の5人に一人、女性の6人に一人が生涯未婚という時代です。古希ともなれば3世代は当然、ということもなくなりました。
【我が家の場合】
私の家ではシーナが小学生のころから「私の夢は“お母さん”」といい続け、私自身も「学生結婚でもいいから、“これは”という男性が現れたら結婚しなさい。いい男はすぐにいなくなってしまう」とそそのかしてきましたから、4年制大学卒にしては結婚も早く(24歳)、出産も早くなりました(25歳)。
姉が早ければ弟も当然早くなります。アキュラは理系で、卒業生の7割が大学院へ進む大学で、流されるように院に進学しましたが、それでも29歳になると同時くらいに結婚しましたから、かなり急いだ印象があります。急いでもこの程度です。少しのんびりしていれば30歳・40歳はあっという間でしょう。
私としては、かなりありがたい子どもたちです。
【結婚すれば幸せか】
「結婚すれば幸せというものでもないだろう」
そういう言い方があります。私もそう思います。しかし「結婚で幸せになれるかどうか」は二の次、三の次の問題です。幸せになれればそれに越したことはありませんが、不幸でなければそれでけっこう。結婚はその不幸を回避する仕組み、つまり安全保障の問題なのです。簡単に言ってしまえば、安心して病気になれるか、病気やけがで長期の休職または退職を余儀なくされた場合も、これまでと近い水準の生活を維持できるかということです。
今回、私自身が感染して改めて思ったのですが、5年前のコロナ禍の最中、一人暮らしをしていて感染した人たちは、どのような療養生活を送っていたのでしょう? 近くに家族がいて玄関口まで食事を運んでもらえた人はいいでしょう。都会だったらデリバリーの利用だけでも一週間はしのいでいけるかも知れません。しかし一か月、二カ月と長引く病気だったらそういうわけにも行かないでしょう。
子どもが二人とも結婚してくれてありがたいというのはそういう意味です。いつか私たちの方が先に死にます。そのあと私の子どもを支えてくれる人たちは、たくさんいればいるほど、私は安心できるのです。