結婚は素晴らしい、親となることも素晴らしい、
そんな素晴らしさを素直に伝えたいのだが、
結婚と出産を勧める話は今やタブー。
だれも若者の背中を押してはならぬ。
という話。
(写真:フォトAC)
【兄弟はいるが、従兄弟はいない】
生後2か月の孫3号、ドリをかまっていたら孫1号のハーヴが近づいてきてドリの頭を何回もなでながら、繰り返し名前を呼びます。ほんとうにかわいくて仕方ない感じです。そしてどういう内的な動きがあったのでしょう、私の方をチラとも見ないまま、ポツリと、
「ボクたち三人兄弟なのに、従兄弟がいない」
あまり唐突なので思わず息をのんでしまい、
「そうだね」
と曖昧な返事をしたまま、真意を問い返すこともできませんでした。
ハーヴの父親の妹は結婚6年目、弟が3年目。母親の弟、つまり私の息子のアキュラも結婚3年目ですが、いずれも子どもがいません。ハーヴの両親、エージュとシーナの結婚11年目という時間差を考慮しても、自分のところが3人兄弟になる間に一人も生まれていないということが、子どもながら、というか子どもだからむしろ、不思議なのかもしれません。
さらに言えば父親の妹夫婦は無類の子ども好きで、特に妹婿は年じゅう遊びに来ています。私の息子のアキュラも子ども好きで、甥たちに会いたいばかりにたびたび姉の家を訪ねています。それなのに一向に子どもの生まれる気配がない。
ハーヴに言われまでもなく、私たちも首を傾げているのですが、訊くわけにもいきません。
「子どもはまだなのか」「その気はないのか」は刑法にこそ書かれていないものの決して口にしてはならない大罪だと、相場が決まっているからです。
【わが子であっても訊くことができない】
エージュの妹や弟は他家のお子さんですから遠慮はするものの、我が家の息子については、「欲しいができない」のか「もうしばらく夫婦を楽しんでから考える」のか、「そもそも子どもは持たない方針でいるのか」くらいは、知っておきたい気もします。
「欲しいができない」状態ならそっとしておきましょう。求められれば手立ても一緒に考えます。妊活などで資金が必要といった話ならむしろ簡単で、多少は融通できます。いまある貯金を全て抱えたままで死ぬつもりはありません。
「もうしばらく~」ということであれば、それも待ちます。しかし「そもそも子どもは持たない」という方針であれば、早目に知らせてほしい。
私の人生はそう長くはないのです。とりあえず息子の代だけでその先に墓を守ってくれる人がいないとなれば、安穏と親が建てた墓に入るわけにはいきません。生きているうちに墓じまいをして、自分たちの処遇もはっきりさせておく必要があります。
家も、いつか引き継いで住んでくれる人がいないとなれば、夫婦ともにいなくなった日に向けて、何かしら手を打っておきたいものです。その方が子どもたちにとっても便利でしょう。
しかしそうしたことも、人間関係を危うくする危険性を考えると、口が裂けても聞けない。聞けないまま時が過ぎていきます。
【不本意にも見捨てた子たちがいる】
私はふと30年くらい前、不登校の指導の最前線にいたころのことを思い出します。
それまで夜討ち朝駆け、級友の手紙、幼友達の声掛けだの、ありとあらゆる手段を使って引きずり出すように登校させ、それで何とかなっていたのを、ある日突然、「登校刺激を与えると不登校がさらに深まる。登校刺激は一切まかりならぬ。学校の匂いがしてもダメだ」という時代が来て、それはそれで学級担任には楽な面もあるので、そのやり方が燎原の火のように全国に広がり、誰も何もしなくなったことがありました。
ただし私のような登校刺激で実績をつくってきた人間には納得のできないところで、あと一歩足を踏み入れれば、あと1cm手を伸ばすだけで、気持ちよく登校できるようになる子を、どうして手放さなくてはならないのか、まったく理解できなかったのです。
「だってもうちょっと頑張ればその先に素晴らしい世界があるじゃないか、ちょっと手を伸ばすだけで、ありとあらゆるものが手に入るじゃないか。さあ私が手を貸すから、その暗い森から出ておいで」
とそんな気持ちだったのが、一切の手出しを禁じられてしまったのです。担任が迎えに行くと烈火のごとく怒る保護者まで出てきました。
「不登校には『学校』の『が』の字も感じさせてはならない。登校刺激はわずかでも子どもをダメにする」
その方針は20年ほどのち、文科省の新たな通達が全国に広まって、
「先生たちは勘違いしているんです。登校刺激は一切ダメということではなく、不登校の初期には、むしろ有効な場合が多いんです」
と言われるようになるまで続けられました。結局、私たちが悪かったらしいのですが、その間に失われた子どもたちの可能性がどれほど大きかったか、想像すらできません。
【不本意にも見捨てつつある若者たちがいる】
かつてNHKの「所さん!大変ですよ」という番組で、司会者を交えた座談会の最中に、一人の女性が「結婚はいいものですか?」と訊ねる場面がありました。それに対して司会者の一人の木村佳乃さんは、きっぱりと「素晴らしいと思います」と返します。もう一人の司会者である所ジョージさんもすかさず、
「ウチの場合だけどね、もうすぐ(収録が)終わるじゃない、その時まず考えるのが“いま、カミさん何やってるかな”ってことなんだよ。夕方、(仕事が)早く終わると嬉しいんだよね。夕飯に間にあうから」
と重ねます。質問をした女性は目を丸くして、
「すご~~い」
を連発します。
しかしこれも質問されたから答える機会が得られただけで、聞かれてもいないのに「結婚は素晴らしいと思います」だの、自分の感慨だのを語るのは、価値の押し付けになるのかもしれません。
もう一押しすれば結婚に踏み込むことができる、もう一声かければ親になる決心がつく、そういう存在が目の前にあるというのに、親であっても決して若者の背中を押してはならない世の中――それで幸せな人はどれくらいいるのでしょう?
(この稿、終了)