カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「いのちのこと」14〜まとめ

 もう一月ほどこちらに置いておきたかったのに、シーナとハーヴはエージュの許へ帰っていきました。教員であるエージュが夏休みの間に戻っておきたいというのが一つの理由です。母親と違い、父親は早く役割を負わせないと父親になれません。赤ん坊が小さければ小さいほど、早く触れれば触れるほど、父親の保護欲は高まる――それは私の入れ知恵です。

 もう一つ、2か月過ぎから始まる予防接種をあちらで受けることによって病院との繋がりをはやく持ちたいというのも理由でした。これは1歳児をもつ従姉のアドバイスで、私はよく分からないのですが、何でも予防接種の数が多すぎて早くから計画的に受けないと間に合わなくなるのだそうです。

 ハーヴは帰るとさっそく肺炎球菌の注射を受けました。
「刺された瞬間フリーズして、次の瞬間『びえ〜〜ん』とひと泣き。私が『痛かったねー頑張ったねー』と抱っこするとすぐに泣き止んで、『痛みに強いタイプなんだね』とお医者さんに言われました」
 2回目は一気に三種類――2本の注射と口から飲む一種類だったようですが、
「飲む方は『稀にみるタイプだ』と言われるくらいおとなしく上手に飲んで、びっくりされました」
 しかしどこに行ってもおとなしくてお利口だと言われ続けると、シーナはまた不安になります。別におとなしくなくてもお利口でなくてもいのです。普通に元気で普通に気難しく、普通に厄介でいてくれてまったくかまわないと感じています。

「私でもこんなに苦しい思いをしたのだから」
 ある日シーナは電話口で言います。
「私の担当しているお母さんたちはどんな思いであの子たちを育ててきたのか・・・」
 シーナは自分の勤める特別支援学校の保護者のことを考えているのです。
「私、この仕事、ずっと続けていこうと思った。誰かが助けてあげなくちゃ」
 なかなかの野心家で「このまま教師で終わるつもりはない」と言ってきた子ですが、これが人生の転換点になるのかもしれません。

 シーナの妊娠と出産から、私は多くのことを学びました。そのひとつは一言でいってしまうと「いい気になるな」ということです。
 私は自分の周辺でものごとがうまくいくことに慣れすぎていました。もう少し謙虚に、慎ましく生きましょう。

 それとともに妊娠・出産というものをあまりにも甘く見ていた自分を深く反省しました。シーナの母親が苦労しなかったことや肉体的に出産適齢期の娘が子を産むということで、私は全く油断していました。けれどそれは現代でも完全ではない、喜びと背中合わせで危険に満ちた重大な出来事なのです。簡単に「子どもを産もう」など言ってはならないことです。

「母性を当然視するな」という考え方があります。子を産んだらまったくかわいくない、愛せない、迷惑なだけだと感じてしまう、そんな女性に配慮せよという立場です。
 しかしシーナを見ることで、人間が素晴らしく動物的だということも私は思いました。
 出産直後にコンタクトも眼鏡もしない目で遠くのハーヴを見て“かわいい”と呟くとき、はじめて二枚のガラス越しに眼下のハーヴを見て“かわいい”かわいい“と涙を流しながら繰り返すとき、そして退院の日、“わー、どうしよう! かわいい!”と踊るように叫ぶとき、それぞれの瞬間、シーナの目に映るハーヴは特別な存在です。
 乙武洋匡さんが生まれたとき、赤ん坊の姿は一か月にわたって母親の目から遠ざけられました。母親の受ける衝撃が思いやられたからです。けれど医者や家族の不安をよそに、初めてわが子に会ったときの母親の言葉は“まあ、かわいい”だったと言います(「五体不満足」)。それはとてもよく理解できるものです。

 その、わが子だけを選別的に可愛いと感じる愛情は、一人の赤ん坊が生きていくうえで絶対に必要なものです。おそらく私たちが「母性」と呼ぶものは一面、極めてメカニカルなものです。それが発動しないとしたら、生んだ赤ん坊がいとおしく思えないとしたら、そこには別のメカニカルな妨害があるのです。人格的な欠陥とか女性としての問題というのではなく、解き明かしてやらなければならない困難があるのではないかと私は思います。

 シーナが出産のあと最初にエージュに語ったひとつは、「子どもはこの子一人でいい?」というものでした。大変な出産の直後ですから当然と言えます。しかしそのシーナがわずか一週間後に第二子の計画を話し始めます。それはハーヴがシーナにかけた魔法です。一度でも子を持った女性のほとんどがかかってきた魔法―それが家族を大きくしていきます。
 大学に進学して家を出るときも結婚のときも、清々しく爽やかだった娘が、ハーヴともに実家を離れるとき激しく後ろ髪を引かれたのは、より多くの家族を手元に置いて赤ん坊を守ろうとする本能的なものだったのかもしれません。

 ハーヴの今後のことは分かりません。寝返りの時期、ハイハイの時期、立ち上がるころ、言葉を発するころ、それぞれ心配になったり不安になったり、安心したり喜んだりしながらやっていくしかないことです。しかしどのような結論であれ、シーナもエージュも、私たちの祖父母兄弟たちも、悲嘆にくれたり絶望したりすることはないはずです。
 ハーヴはシーナとエージュの家に生まれたというだけで幸せを約束された子です。そしてハーヴを得たことで、シーナもエージュもそして私たち夫婦も、幸せを増したことはまぎれもない真実だからです。
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