カイト・カフェ

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「AI革命は第二のルネサンス(人間の復権)」~技術の進歩がネット社会を腐らせる②

 百聞は一見に如かずというが、
 その一見が人を欺き、言葉が嘘を補強する。
 新たなネット社会は、何も信じられない。
 そしてだからこそ、人間が再び中心に座るようになる、
――という話。(写真:フォトAC)

【ネット動画がAIに汚される】

 最近、YoutubeTikTokに、クマに襲われた子どもを犬や猫が体を張って助けるという動画がいくつかみられるようになっています。犬はともかく、ネコがあの体で巨大グマに立ち向かっていくのです。なかなか感心して見ていたのですが、そのうち襲ってくるのがヒョウになったりライオンになったりとエスカレート。ついにはハクトウワシ(合衆国の国鳥)が赤ん坊を連れ去りそうになり(シンドバットか?)、それをネコが飛び掛かってやっつけるといったものまで出てきて、ようやく気付きました。AI動画です。

 他にも、東南アジアのどこかの国の田舎で、女の子が川を渡るのに、数mも高くジャンプして一回転して向こう岸に着地するとか、アフリカのサファリパークのようなところで、観光バスからハイエナの群れの中へ転落した女の子を、巨大なゾウが駆けつけて鼻で拾い上げてバスに届けるとか、あるいはゴリラの子がワニに襲われているのを親ゴリラが発見し、格闘のすえワニを八つ裂きにするとか――つい先日までAIとばれないようやっていたのが、今では何でもあり、荒唐無稽であればあるほどいいといった感じになっています。

 百聞は一見に如かず。つい1年ほど前まで、基本的にすべてのネット動画は“現実”でしたから、「世の中にはすごい人がいるものだ」「よくこんな動画が撮れたものだ」、あるいは「偶然とはいえ、面白いことが起こるものだ」と感心していたのが、あっという間にAIに席巻され、“現実”の映像は陳腐化してしまいました。

【人間の努力は笑いものになる】

 本物の凄さ、偉大さ、素晴らしさが減じたわけではありません。それよりもすごい動画が現れるとAIだと分かっていても“本物”に飽きてしまうのです。「アバンギャルディ」は卓越したテクニックをもつダンスグループですが、同時に1万人、2万人といったダンサーに寸分の狂いもなく同じ動きをさせるということになれば、本物よりもAIの方がずっと上です。準備期間も1日もいりません。

 私も、年寄りがダンスをすれば、うまくいっても下手くそでも、きっとウケるに違いないと考えて、一昔前はムーンウォークを練習したり、ヒップホップの真似事もしてみたりしました。しかしこれからはそんな必要もないでしょう。いま流行りの空中歩行(スリックバック)も、時間をかけて外で練習するよりも、動画作成AIを学んでマウスやキーボードで練習する方が圧倒的に早くできるようになるはずです。“現実”でひとに見せることもなさそうですから“私”ができるようになる必要はありません。動画があればそれでいいのです。
 
 静止画を描くことについてはすでに実験済みです。AIを使って絵を描くのに必要な技能は筆遣いや絵の具の混ぜ合わせに関する知識ではありません。自分の頭の中にあるイメージを言語化する能力です。その言語化も、AIに頼って進めればいいのです。

 つい先日、俳優の中尾明慶氏はバラエティ番組でこんなことを話していました。
「ボクは子どものころから芸能界に入って忙しくしていたために、基本的な教養がないんです。子どものことで学校の先生からきちんとしたお手紙をいただいても、それにどう返したらいいのか分からない。仕方がないので友だちに出すような拙い手紙を書いて、それをChatGPTに直してもらってから出すようにしています」(大意)
 私には思いつかないやり方です。しかしこれで保護者も安心して返事が書けます。何年も文章を書いたことのない人が、臆せず手紙を書くことができます。ただし本物ではない。さらに穿って考えれば、その先生だってChatGPTに直してもらった手紙を保護者に出しているのかもしれません。文章の練習というのも必要なくなります。

【コンピュータが間違ってもいい時代が来た】

 一昨日、このブログで「私は何者か。何をして、何を見聞きしてきた人間なのか」という内容で、生まれてから今日までのおよそ四分の三世紀のできごとを概観しましたが、とても大切なことをふたつ書き落としました。
 ひとつは1990年代に起こったインターネット革命、もうひとつはいま起こりつつあるAI革命です。

 インターネット革命というのは電子商取引をはじめとする社会構造全般の変革のことをいいますが、個人のレベルでいうと図書館などに行かずとも「居ながらにして大量の情報を取り寄せることができる」こと、そして何よりも「個人が世界に向けて情報を発信する能力をもつに至った」こと、その2点に集約できると思います。私の現在の生活もこのふたつによって支えられています。

 現在進行形のAI革命も、物流の再編など社会基盤に直接的な変革をもたらすものですが、より本質的な問題としては、これまでコンピュータが人間の「補助」をしていた時代から、「協働」の時代へと移ったことに最大の特徴がある、ということができます。
 人間社会のありとあらゆる情報を一気に取り込み、自律的に思考・判断し、複数のツールを連携してタスクを実行する新たな存在――ということは人間社会のありとあらゆる混乱、正邪、清濁、善悪、正誤、真偽、得失を全部飲み込んで、
「判断材料とする情報は人間の何千倍も多く判断時間もアッという間だが、間違うかもしれないという点では人間と変わらぬコンピュータの時代」
が来たということです。
「コンピュータは間違ってはいけない」と思い込んでいた私には、まさにコペルニクス的大転換でした。

【第二のルネサンス:人間の復権

 インターネットはもともとデマや中傷の発生しやすい場所でしたが、画像も信用ならない、文章も巧みに粉飾されている、コンピュータ(AI)はそもそも「誠実に間違うことがある」となると、何も信じることはできません。つまり、
「コンピュータに頼らず、最後は人間が主体的に判断し決定しなくてはならないことが明確になった時代」
が来たということです。こころして生きたいものです。
(この稿、終了)

【追補】

 私のブログのアクセス状況、今朝は下のようになっていました。大過なく済みそうです。   
 忘れていましたが、去年の1月にも同じ現象が起こっていたようです。