スマートフォンの持ち込み規制が強まる学校現場。
しかしかつての教師たちは自前でこの利器を用意し、
学校の安全・安心を守り支えようとした。
今の学校は、以前よりずっと危険な状況にある。
(写真:フォトAC)
【平成の教師はもっと進んでいた】
まだ携帯電話に対する規制の甘かった平成中期、教師は携帯電話の利用法を独自に開発しつつありました。
もちろん機器は自前のもので通信費も自分で払わなくてはならない恨みはありましたが、朝の会で不在を確認した児童生徒について、わざわざ職員室まで行って電話をかける労がなくなり、確認漏れということも少なくなりました。その場で確認すればいいのですから。
朝の会は確認事項が多いのでどうしても延長しがち、特に中学校の先生は担任するクラスで朝の会をやってから準備室(研究室)に行って1時間目の授業準備をし、そのまま教科を担当するクラスに行かなくてはならないので大変なのです。どうしても連絡は忘れがちで、一度忘れてしまうと思い出すのに時間がかかります。午前中に自分のクラスの授業がないと、給食を食べに行ってようやく“そういえば来てなかった”ということになりかねません。私はそれで大失敗を二度もしています。恥ずかしくて詳細は言えませんが――。
今回の京都の事件も、日常的に担任が携帯を使って欠席確認をする癖がついていれば、たとえ卒業式という特別な日であっても、児童を体育館に引率しながら、あるいは自分の仕事(ピアノ伴奏)が終わったところで、式場の隅に移って確認の電話を入れることもできたはずです。そうしておけば、もしかしたら事件はなかったのかもしれません。
【特に緊急事態対応】
あの時代、携帯を使うことによってもっとも余裕ができたのが、緊急事態への対応でした。とりあえず校内のどこにいても、あるいは校外活動の途中でも、何かあったらすぐに警察や消防、家庭に連絡できるようになったからです。
かつては警察への電話や救急車を呼ぶ際には校長の判断と許可が必要とされていましたが、「学校事故対応に関する指針【改訂版】」(2024年3月*1)からは、
『救急車を手配するための119番は通報者を限定する必要がなく,例えば「原則として管理職が119番通報を行う」といった取扱いとなっている場合には,その取扱いを見直すことも検討すべきであり,第一発見者をはじめ誰でも即座に通報できるようにする』
とかなり強く指示するようになっています。
さらに具体的に、
「119番通報は傷病者の状況を伝え通信指令員からの口頭指導を受けるため事故現場から直ちに行う。その際電話を切らずに,スピーカー機能があれば切り替え,両手を自由にして心肺蘇生を行うとともに,通信指令員の指示を応援のメンバーと共有しながら対処する。そのため,複数の教職員等で対応することが必要である」
とまで言い切っていますが、いざという時に教職員が誰も携帯電話を持っていないということは想定していません。まさか私がいつも冗談半分に言っている「いざという時は児童生徒がスマホを持っているはずだから借りて連絡する」が奨励されているわけでもないと思うのですが――。
私が実際に経験したのは十数年前のことで、まだ校長の指示で119番しなければならないと考えられていた時期ですが、心臓に問題を抱える児童が教室で倒れた際、担任教諭が子どもを走らせて保健室にAEDを取りに行かせると同時に、その場から養護教諭に電話をして事態を通報するということがありました。養護教諭は子どもが到着するのを待たずにAEDを手にして、電話で担任に指示しながら現場へ向かいます。訓練したことではなかったので校長への連絡はあとになりましたが、まずは命を救うという点では理にかなったものです。子どもを走らせるとともに職員同士で連絡し合うという並行対応も、携帯が手元にあって初めてできることです。
(のちにこの件は明文化され、事態の発生した瞬間、現場にいる教師は保健室とともに職員室にも子ども走らせ、管理職に来てもらうように定められました)
【その他の利用法】
緊急事態対応ということで言えば、不審者侵入対応訓練も、職員同士が携帯で連絡を取り合うことを前提に計画が組まれていました。互いに連絡し合わないと不審者のいる方向に子どもを誘導しかねないからです。
2001年の大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件では、最初に襲われたクラスの学級担任が110番通報のために職員室に走り、そこで時間を奪われて被害が広がった側面があります。あの時代に携帯電話が一般化していて教師の手元にあったら、事態はずっと違ったものになっていたでしょう。担任は逃げながら110番通報をし、同時に避難指示をするなり協力者を探すなりできた可能性があるからです。
しかし2026年の教師も、最初に電話に飛びつくかどうかは別としても、同じように職員室までは走らざるを得ません。他に通報の方法がないからです、
繁華街の街頭指導の際に携帯で連絡を取り合って、ということも盛んに行われたことです。校外のことですし勤務時間外ですからここでの使用は問題にならないと思いますが、日ごろから使い慣れていない連絡体制では上手く行くかどうか――。
もっと日常的な使い方として、社会科の研究授業で“その件は市役所に聞いてみなくては分からない”という話になったとき、先生が自分の携帯電話を使って、その場で生徒に電話をかけさせたのには感心しました。聞けば簡単にわかることを、あれこれ思案する必要はないのです。それこそがITの実践的教育であり、社会性のリテラシーを高める教育と言えるでしょう。
教員の盗撮事件は、そうした可能性の一切をなきものにしてしまったのです。
【さて、どうする】
育児休業から10カ月ぶりに学校現場に戻り、さらに難しくなったスマホの扱いに戸惑う娘婿のエージュと話しながら、
“こうなったら、さらに高度なやり方で情報のやり取りをするしかないね。中国で言う《上に政策あれば、下に対策あり》だ”と、半ば冗談で、半ば本気で話すと、エージュが私の左手首を指さして、こんなことを言い出したのです。
「お義父さん、そのスマート・ウォッチというのはどうです?」
(この稿、続く)