カイト・カフェ

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「AIに対する過剰な期待と怖れがあった」~AIが人間に近づいてきた話④

 未知なるものには常に期待と怖れがつきまとう。
 AIはずっと昔から、夢と恐怖の根源だった。
 しかしもしかしたら、
 等身大のAIは大したことはないのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

【コンピュータ、ソフトなければ、ただの箱】

 一組のカップルがコンピュータを使って相性占いをする。答えが「90%の適合」と出て二人は大喜びする――現代ではもはやありふれた、というよりは廃れた光景かもしれません。しかし50年前のテレビドラマではそうではありません。コンピュータの御宣託は神の啓示にも似た神秘的なものだったのです。
 ところがその時、通りがかりのコンピュータの専門家が、大喜びしているふたりにこう言うのです。
「馬鹿ね。このコンピュータ、相性を占うプログラムなんて入っていないのよ。誰かが仕組んだに決まってるでしょ」
 パーソナル・コンピュータ(PC)は買ったが金がなくてソフトが買えず、「コンピュータ、ソフトなければ、ただの箱」と揶揄された時代の、さらに一昔前の話です。私も含めて、コンピュータに何ができるのか、まるで分かっていなかったのです。だから実に神々しかった――。

 そのPCが市場に出回ったころ(1980年代前半)、一歩出遅れた私が、「マイコン(当時はPCのことをそう呼ぶことが多かった)って、何ができるの?」と聞くと、たいていの人は「何でもできるよ」と答えたものです。
“そんなバカなことはない”と私は思います。いくら未来の装置とはいえ、PCを買って台所に置けば勝手に調理をして盛り付け、食卓まで運んでくれるとか、一緒にテレビを見て感想を言い合うとか、あるいは自動車の運転席に置けば指示通り運転してくれるとか――は、ぜったいにない。そのくらいのことは素人でも分かります。分かった上での「何ができるの?」なのです。考える枠組みが違っています。
 するとくだんの先達は、
「字を書いて、絵を描いて、計算して、覚えています」
と答えます。それに「(他の機械に接続して)制御することができます」を加えれば、そのころのPCの機能をほぼすべて語ったことになるのですが、私の感想は、
「それしかできないの?」
でした。やはり実際にやってみないと分からないのです。それしかできないのにものすごいのがコンピュータでした。

【AIに対する過剰な期待と怖れがあった】

 AIも同じです。
 ちょうど10年前の平成27年(2015年)、文科省中央教育審議会分科会で配布された資料*1には次のような表現がありました。
グローバル化や情報化が進展する社会の中では、多様な主体が速いスピードで相互に影響し合い、一つの出来事が広範囲かつ複雑に伝播し、先を見通すことがますます難しくなってきている。子供たちが将来就くことになる職業の在り方についても、技術革新等の影響により大きく変化することになると予測されている。子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就くとの予測や、今後10年~20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高いなどの予測がある。また、2045年には人工知能が人類を越える「シンギュラリティ」に到達するという指摘もある。
 今年がその10年目ですから、遅くともこの先10年間に仕事の半数が自動化され、20年後の2045年には人間に代わってAIがものを考える時代が来ると予測されたのです。ごく一部の技術者だけがAIの上に君臨し、大多数の人間はAIの僕となってその決定に従うようになる。AIの登場によって知的な仕事の大部分は失われ、芸術家も(画家も作家も作曲家も)、いなくなる。人類にできることはAIの保守管理を除けば、AIの生み出す価値を享受するという、極めて享楽的な仕事だけ。シンギュラリティの後はAIの進化も、AI自身が担う――。
 文科省が先頭に立って煽るものでから、私たちも必死になって子や孫が生きる道を探ろうとしてきたのです。しかしどうもそんな大げさな話にはなりそうもない。
 
 ChatGPT誕生以来2年経った今も、生成AIが音楽市場でビッグヒットを放ったとか、AIの書いた小説が新人賞を取ったという話は聞きません。AIの描いた絵が賞を取ったという話はありますが、様子を聞くと世間で考えるほど簡単な話ではないようです。
*1:第100回文科省中央教育審議会初等中等教育分科会資料「2030年の社会と子供たちの未来」

【絵筆の代わりに言葉を使う】

 AIで描いた絵で賞を取ったというのは次のような話です。
 ChatGPTがデビューする直前の2022年8月、米コロラド州の美術展において、文章で指示した通りの画像を生成できるAI「ミッドジャーニー」を使った作品を出品した男性が1位に輝き、賞金300ドル(約4万3000円)を手に入れたのです*2
 受賞したのは新人アーティスト部門の「デジタルアート・デジタル加工写真」という分野で、AIを使ったことを公言した上での受賞でした。この部門ではデジタルアートを「制作あるいはプレゼンテーションの過程でデジタル技術を使った作品」と定義していたので、AIを使うこと自体は何の問題もなかったのです。
 
 注目すべきは受賞者の本業がゲーム制作スタジオの経営で、必要な図案をたびたび人間のアーティストに発注してきた人物であるということです。つまり常に頭の中に「こんな絵が欲しい」「こんな絵にしたい」というイメージを浮かべ、それを言葉で伝える訓練を積んできた人だということです。
 思い出してください。彼が使ったのは「文章で指示した通りの画像を生成できる」AIだったのです。つまり作品の下絵は最初から彼の頭の中にあり、それを彼は正確に言語に変換し、言語化されたものをAIが見える形にする、そしていったん出来上がった作品を見てイメージと合わない部分について「ここをこうしろ」とか「あちらはこんなふうに」と言葉で修正し、修正することで雰囲気の変わった作品にまた手を入れて、と何十回も繰り返す――結局、絵を仕上げるまでに80時間を要したと言います。
 筆を使うか言葉を使うかだけの違いで、普通の画家たちがやっているのと同じ作業だったわけです。
 
 ムンクは頭の中で鳴り響く恐ろしい叫び声を聞きました。彼の才能と訓練は、その恐ろしい“叫び”を絵画に落とし込むことに成功します。そして恐ろしさが十分に伝わるようになるまで、繰り返し、繰り返し、手が入れられました。モネも、目の前にある風景と自分が感じたものがキャンバスの上で融合され表現されるまで、いつまでも飽きることなく修正を重ねて行きます。
 AIに描かせた絵で賞を取った彼は、筆と絵の具の代わりに言葉を使っただけで、ムンクやモネの行ったことと何ら変わりのないものだったのです。
*2:AI作品が絵画コンテストで優勝、アーティストから不満噴出 - CNN.co.jp
(この稿、続く)