カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「そうだ、赤ん坊を連れて万博に行こう!」~大阪・関西万博に行ってきました①

 三番目の子を産もうとする直前、娘は決心する。
 「そうだ、生まれてくる子も連れて、万博に行こう!」
 そして私たちも招聘される。
 こうして行くはずのなかった関西万博への旅が始まる。
という話。(写真:エージュ)

【親よりはるかに肝の座った夫婦】

 事の始まりは、たぶんこんなふうではなかったかと想像しています。
 
 4月に始まった大阪関西万博。小学校4年生ながら社会に目の広い孫1号のハーヴは、何かと話題にしがちでした。しかし6月上旬に出産を控えていた娘のシーナも夫のエージュも、具体的に考える余裕はありません。そこでこれといった計画も立てずにいたところの5月下旬、エージュの弟からこんな連絡が入ってきました。
「自分が勤める会社が万博に出資している関係で、抽選でチケットがいくつか手に入る。欲しい家族は手を挙げて!」
 それが出産予定日のわずか一週間前。予定日と言っても無痛分娩なので確実にその日に赤ん坊を産む、その直前なのに、10月の13日には終わってしまう万博をどうするか決めなくてはならないのです。
 そして行くことに決めた――。

 このあたりが娘夫婦のすごいところです。
 7年前にも、
「いつか夫婦の姉妹兄弟たちと一緒にイタリアに行きたいね、って話してきたけど、考えてみたら妹や弟たち全員が学生でいられるのは今年が最後。私たちも来年には第二子が欲しい。だったら今いかなければ、全員が定年退職でもしない限り、機会はもう来ないじゃない」
と思いつくと、まだ3歳のハーヴを私たちに預けて、一週間もイタリアに行ってしまったのです。

 私たちがそれだけ信頼されていると言えば気分もいいのですが、こうした点における思い切りの良さ、腹の座り方には尋常ではないところがあります。今回も、これから産もうとする赤ん坊をベビーカーに乗せて、小学生と保育園児の手を引いて、万博見物に行こうというのですから、ただ事ではありません。

【私たちも招聘される】

 さらに自分たちがチケット手に入れてもまだ枠があると知り、私たちにも声をかけてきます。
「父は、万博いく?」
「行かないつもりだけど、何か?」
「我が家は、エージュさんの弟君の会社が出資している関係で、万博のチケットが買えたのね。
で、抽選枠が余っているみたいで、もしよかったら、父母、その抽選あたったら9月後半の平日に、一緒に行かない?(我が家赤ちゃん含め5人と父母で)」
 自分ひとり、あるいは私たち夫婦だけで行くということなら成立しなかった話ですが、シーナの家族と一緒ということなら二つ返事です。孫たちと一緒に過ごせる時間も楽しみですが、それよりも一緒についていけば、必ず役に立つ場面も出てくるのではないかと思ったのです。そこで即答!
「行きます!」
「シーナたちが行くなら、行く!」
 生後三か月の赤ん坊を連れて行くのはいかがなものか、といった発想はまるで浮かびませんでした。

【気持ちの乗らない事前学習】

 妻に言わせれば私は「融通の利かない頑固者」で、ルーティーン・ワークは得意なのですが、非日常は苦手です。その意味で旅行は最もダメな分野で、12年前に行ったイタリア旅行も、5年前の九州旅行も、計画はすべてシーナに立ててもらい、私はただそれに従って実直に活動を遂行しただけでした。

 今回の大阪・関西万博についても、ネット上には山ほどの、
「もっと勉強してから来ればよかった」
の声があるにもかかわらず、私がやったのは一か月前に本を一冊購入し*1、最初の数ページを読んだだけ。妻もこの点に関しては同様で、実際に会場に行ってから「わ、すごい、あれ何?」と最初に感動したのが大屋根リングという体たらくです。

 パビリオンの一か月前抽選も七日前抽選も、シーナに送ってもらったリスト*2通りに打ち込んで送り、一か月前抽選では第二希望の『「未来の都市」参加型シアター入場付き』が全員に当たり、七日前抽選ではシーナの家族は全滅、私たち夫婦は「オーストラリア館」を当てました。しかし自分の意志でリストアップしたものではないので、これといった感激もなく、できれば権利をシーナの家族に譲りたかったのですが、あれこれ調べた結果は“不可能”。私たち夫婦で観に行くしかなさそうでした。もちろん入場券不要の孫3号(ドリ:生後三か月)は一緒に入れますが、記憶に残ることもないでしょう。

 この徹底的な主体性の欠如には、第一に先ほどあげた“そもそも非日常を考えるのが苦手”という能力的な原因がありますが、同時に“目的は万博見物そのものではなく、娘の家族、とくに孫3号のドリを守るためだ”という思いがあったこと、そして“老人にとって50年後の日本の未来などどうでもいい”という気持ちがある、といった事情もあったのかもしれません。自分の目で確認できない未来のことなど、記憶に留める意味がないようにも感じているのです。

 ただそれでも、一足先に行った息子のアキュラからは次々と情報が寄せられ、私の友人からも多くの情報がもたらされます。パビリオンがどうのこうの、イベントがどうのこうのといった情報はすんなり頭に入ってこないのですが、持ち物や準備品については有益な情報が得られました。それはたとえば・・・。
(この稿、続く)