カイト・カフェ

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「勉強のときだけ協力できる子たちって、嫌じゃない?」~誰が私たちを日本人に育てたのか③

 受験は団体戦だ。
 仲間が信頼し合い、支え合ってこそ勝てる。
 しかし普段から協力することのない集団が、
 受験の時だけ団結するなど、できるはずがないだろう。
――という話。(写真:フォトAC)

【保護者と学級担任の奇妙な飲み会の話】

 息子のアキュラ(仮名)が高校一年生の時の話ですから、かれこれ15年以上前のことになりますが、アキュラのクラスの学級PTAが、担任教師との懇親会を企画したことがありました。担任教師との飲み会など高校ではとても珍しいことで、姉も同じ高校の卒業生でしたが飲み会など一度も開かれたことはありませんでした。
(いまこうして書きながら、十数年を経て初めて気がついたのですが、もしかしたら保護者たちが担任教師に不安感を持っていて、それで本音を聞こうと開いた会だったのかもしれません)

 20数人の参加者があったのですが、保護者で男性は私一人だけ。担任と合わせて黒二点の、まあ華やかといえば華やかな会です。席も隣り合わせにさせられ、自然と会話も多くなります。しかし酒が進むにしたがって、話が弾むにしたがって、私は次第にイライラしてきました。担任の話が気に入らないのです。

【気分の悪い担任教師の話】

 どういう流れからそうなったのか覚えていないのですが、部活、特に運動部のことが話題になると担任が、
「ウチの学校の子は運動なんかやっていちゃあダメなんですよ。大学入試はそんなに甘いものじゃない。とにかく今から勉強を頑張る生徒だけが勝ち残れる」
――とそこまでは我慢できたのですが、
「運動をやりたければウチなんかへ来なくて、M工(地域の工業高校)へ行けばいいんですよ。M工なら好きなだけスポーツができる、その代わり大学はない」
 それからしばらくM工を馬鹿にする話が続き、“ウチ”の学校の成績上位の子たちがいかに素晴らしいかを延々とぶち上げ始めたのです。ついでに言うと担任も”ウチの学校”の卒業生ですが、もしかしたらその「成績上位の子たち」の一人だったのかもしれません(それなのに高校教師か?)。

 “M工”を伏字にしたのは私でなく、アキュラの担任自身が“エムこう”と発音したのです。実際にMを頭文字とする工業高校なのですが、地域に工業高校は一つしかありませんからわざわざ隠語めいた言い方をする必要はありません。それなのにわざわざ“エム”と発音したのは、教育界の隠語「M教師(問題のある教師)」と同じ意味で“M”を使おうとしたに違いありません。あとでアキュラに聞いたら、”M工”は日常的に担任の口から出る言葉だったようです。

 そのM工は私の父の出身校です。もっとも戦前の話ですから今よりずっとランクも高かったのですが、父の出身校を馬鹿にされては黙っていられません。さらに私の二人の子も担任教師の誇る「“ウチ”の学校の成績上位の子」ではなく、「”ウチ”の学校のかなり成績下位の子」でした。そんなことも私をいらだたせたのかもしれません。
 いや、根本的なことを言えば、私と同じ学校の教員が仲間の働く他校を馬鹿にするというのが許せなかったのです。スポーツを見くびる態度にも我慢がなりません。

 勢いがついているのでさらに重ねて申し上げると、その飲み会のあったのはちょうどアキュラの学校の体育祭の直前で、アキュラのクラスの参加態度が非常に悪いということを聞いていたこともありました。半年ほど前に行われた合唱祭では担任から「あまり頑張らなくていいからね」みたいな話があって、皆、いい加減な参加態度だったようです。当初、まじめで堅物のアキュラが中学校時代と同じ雰囲気で一生懸命歌っていたら隣の子に、
「ちょっとTくん(アキュラのこと)、恥ずかしいから少し声を抑えて」
と言われてずいぶん傷ついたようです。私だったら言い返すところですが、アキュラはそういう子ではありません。おそらくそれを機に3年間、しっかり歌うことをやめてしまったに違いありません。
 そうした伏線があって、私の苛立ちは極限まで高まっていたのです。私は担任の無駄な饒舌を遮って、言いました。

【受験は団体戦だ】

「でも先生、『受験は団体戦だ』って言いますよね。互いに声を掛け合って、支えあって、苦しい勉強を乗り越えて、合格を勝ち取る――」
 すると担任はまんまとハマって、
「そうなんですよ。だからボクも生徒たちに言ってるんですよ、互いに協力して、切磋琢磨する人間関係じゃなくてはいけないってね」
「でもですよね、合唱祭や体育祭で協力して切磋琢磨しない子たちが、勉強になると協力できるって、そうとうに嫌な連中じゃありません?」
 それに対して担任がどう答えたか記憶にありません。ただそのあとはものすごく気まずい会になってしまい、以後3年間、担任は変わらなかったのに、飲み会は二度と行われませんでした。
 また翌週の月曜日のホームルームで、担任から、
「保護者の方に、クラスの団結を高めるために、クラスマッチも頑張るように言われましたので、皆さんも頑張ってください」
という話があったと、アキュラから報告があるいました。
 こりゃダメだとつくづく思いました。

【学校が目指すもの】

 教師として勤めたことがないので高校のことは分かりませんが、中学校の場合、優秀な教師は1年生の最初から高校受験を念頭に学級指導を行います。学力偏重というわけではなく、これには二つの理由があって、ひとつは「よき受験生を育てる」という目標が、人格形成という観点からは具体的で分かりやすく、便利だからです。
 よき受験生というのは、計画性があり実行力があり、目的追求力も持続性もあって、自己効力感の高い、落ち着いた人格の持ち主です。そうなると「よき受験生を育てる」は「よき成人を育てる」と同じことになってしまいます。おそらく実際に同じです。

 もうひとつは、まだ年端もいかない中学生が、個人として受験勉強をやり抜くのは容易ではないからです。そこで集団の力を借ります。
 みんなで一緒に勉強をするということではありません。受験勉強なんて結局はひとりで、家で、遅くまで時間をかけて行うものです。しかしそのときも、「あいつもこの時間を頑張っているのだからオレも頑張ろう」とか「あの子は今、私が頑張っていると信じて自分も頑張っているのだから、怠けるわけにはいかない」とか、そうしたことを励みにして勉強するのです。そうした意識があるだけで気持ちは全く違ってくるでしょう。お互いに教え合うことで知識を確実にし、独りぼっちではないという安心感が学習への集中力を高める――あとひと頑張りを支えるのは、いつも仲間たちです。

【急に団結できるわけがない】

 しかし前にも申し上げた通り、団結力は受験が近づいたからといって急に生まれるようになるものではありません。合唱コンクールで力を合わせ、クラスマッチで上位を目指し、修学旅行のような行事でも質の高いものを目指して常に協力して頑張る、そうしたクラスだけが団体戦としての受験を戦い抜けるわけです。
 だから優秀な担任のクラスは合唱コンクールでもクラスマッチでも強く、行事も中途半端で終わらせません。それが受験に向けての作戦です。

 本来の活動の場でより良い成績を上げるために、ほかの部分でも常に協力と努力を求めていく――そうしたやり方は学校を卒業しあとも、Jリーグでもプロ野球でも、あるいはそれ以外の世界でも、生かされ続けているのです。

(この稿、続く)