カイト・カフェ

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「思い起こせば今年は別れの年」~2024年の年賀状をどうデザインしようか②

 年賀状に書くために2023年を振り返った。
 ペットが死に、3人の伯母が亡くなり、
 息子が独立して、我が家は老人住宅仕様に変化。
 ああ、今年は別れの年だった――。 
という話。(写真:フォトAC)

 コロナ禍の去った今年は、さて、どんな年賀状にしようかと、びっしり書き込む古い形式に戻すことを前提に日記を見直したら、さほど悪い年でもありませんが、新春の慶びには不似合いなことの少なくない別れの年だったことに気づきました。

【私の2023年――ウサギが死ぬ】

 まず2月。我が家で11年飼ったミニウサギのミースケ(本名:ミルク)が死にました。ほぼ同時に飼い始めた3羽のうちの最後まで生き残った一羽で、臆病で大人しく、下(しも)のしつけもよくできていたので室内で放し飼いにできた唯一のウサギでした。

 晩年はストーブの前でまどろんだり、こたつに下半身を入れて眠ったりと、野生をすっかり失い、人間のお祖父ちゃんと同じような感じで、日長トロトロと過ごすのが常でした。しかし最期の2~3週間はたいへんで、まずトイレで用を足すことを忘れ、おかげでゲージに戻されることになりました。やがて動きがおかしくなってエサの場所で止まることできなくなり(正面から行って金網に突入したり、横から行って通り過ぎたり・・・)。そのうち食べられなくなって、しかし体は多少動くので糞尿まみれになってしまい、飼い主が湯で拭いてやるのですが、そのあとなかなか乾かないので体毛があちこちで固まってしまい、結局、凄まじく哀れな姿になって横たわることになりました。
 死ぬというのはやはり大変なことなのです。もう十分に生きたから朦朧として静かに死ねればいいのに、苦しまなければ終わらない生というものも多いのかもしれません。
(私には覚悟があります)

【伯母が相次いで亡くなる】

 その翌月、母のすぐ上の姉(次姉)が98歳で亡くなりました。その知らせに対応を考えている最中、今度は父親方の本家から、伯母がなくなったという知らせが来て、こちらも98歳です。葬儀が一日ずれたので事なきを得ましたが、連日の通夜・葬儀は、いくら大往生とはいえ気持ちは沈みます。

【息子のアキュラが結婚式を挙げる】

 8月に息子のアキュラが結婚式を挙げました。一年も前に入籍を済ませていますから今さらの感もありましたが、遠距離恋愛から遠距離婚が続いており、改めてご披露するのもあまり違和感のないところでした。
 驚くことはいくつもあるのですが、あとから数えたらアキュラは人前結婚式の「誓の言葉」、披露宴の「歓迎の言葉」、昔は花嫁しかやらなかった「両親への感謝の言葉」、最後に、これも昔は新郎側の父親しかやらなかった「参列者への感謝のことば」と4回も文章を読み上げているのです。
 原稿を見ながらなのに「歓迎の言葉」では自分たちの入籍した日付を5カ月も言い違えたり、親への感謝の言葉では途中から涙声になったりと、完璧からは程遠いものでしたがパニックに陥ってしどろもどろになることもなく、笑いでごまかしながら最後までやり遂げました。あれだけの原稿を書くだけでも大変だったろうなと思いながら、「ああ、これでこの子はもう放っておける、しっかり者の新婦サーヤもついていてくれるのだから、私たちの出る幕はない」
と、そんなふうに思いました。
 これもひとつの別れです。

【また一人の伯母が亡くなる】

 9月、私の母のもう一人の姉(長姉)100歳が、3月の妹に続いて亡くなります。3月の次姉の時は自宅で行われた通夜に行ったのに、長姉の時は遠慮しました。というのは亡くなった伯母の子どもたち、孫たち、被孫たちの人数がとんでもなく多く、私たちまで行ったらとてもではありませんが家に入りきれないと感じたからです。
 3月の私の父方の伯母の通夜は出席者がわずか10人。一人娘の夫婦、2人しかいない孫、ふたりとも二十歳を越えたばかりでひ孫はなし。家族以外に来たのは私を含む三人の甥、故人の実家から弟嫁に当たる人がひとり、喪主である娘夫婦の友人2人。こうして今も思い出せる程の寂しさです。
 大往生にもいろいろな形があります。

【姻族のセーフティネット

 これで私の叔父叔母の並びは、父の妹、母の弟、母のもう一人の弟の妻、そして私の母自身と、4名だけになってしまいました。最盛期は16名もいて、いとこ17名もそれぞれ仲が良かったのに、葬儀が一つ終わるごとに疎遠になって行きます。
 ただし一方で、今年は5月の連休に娘一家4人とともに、婿のエージュの妹夫婦、弟の3人も泊りがけで遊びに来て、二人暮らしの家が一気に9人家族になったりしました。エージュの妹夫婦は夏休みにも我が家に来てくれて、もう一組の娘夫婦みたいになっています。
 上の姻戚関係は薄くなりましたが、私自身や私たちの子どもの結婚によって、下位では広がっていきます。つまり総数では似たようなものかもしれないのです。そばに置いておきたい、あるいはなければ不安になる姻族のセーフティネットは、大きさに限界があって、下で広がれば上が薄くなる性質があるのかもしれません。

【家のリフォームに手を付ける】

 秋にはいってから築30年になる我が家にリフォームの手を入れ始めました。これまで外壁の塗装以外はほとんど手当してこなかった家に、インターフォンを入れ、電灯のいくつかをセンサー付きに換え、トイレを全自動にしたり換気扇も自動洗浄のものにしたりと、修復とともに老人住宅への衣替えが中心となりました。まだバリア・フリーというほどでもありませんが、これからはこうした出費もかさむことでしょう。

【その他――やはり年賀状にはならない】

 他にも、96歳の母が心臓ペースメーカーを入れる手術を受けて医師に「対高齢者手術」最高齢記録(自己新)をつくらせたとか、私が2年前の大腸ポリープの取り残し手術で釈然としなかったとか、教員である妻が再任用期間を終え、職場を離れると同時にまた呼ばれて講師として働き始めたとか、あるいは元祖山ガールの娘のシーナが、夫や夫の妹夫婦を誘って山登りを再開したとか、人々知らせるまでもない細々としたことはいくつもありました。
 しかしやはり2023年は別れの年。めでたい新年にはふさわしくないように思えてきました。