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「大丈夫、幸せになるかどうかは別問題だ」~若者の問いに答えるために⑤

 多くの場合、遺伝子と環境に恵まれた者が勝者になる。
 スポーツも芸能も勉強も。
 しかし人生は勝ち負けではないだろう。
 幸せになるかどうかは、別問題だ。
――という話。(写真:フォトAC)

【努力をすれば誰でもプロのスポーツマンになれるのか】

 あなたのお子さん、またはお孫さんが10歳くらいだとして、その子にきちんとしたコーチをつけ、10年間努力させたら、その子は100mを9秒台で走る短距離ランナーになるだろうか?

 この問いに「あるいはなるかもしれない」と答える人はおそらくいます。両親が二人とも国体(国スポ)選手だとか、一族郎党、みな足が速かったというような人の中には、自分の子や孫に夢を託す人が出てきても不思議はありません。しかしこれといったスポーツ歴のない親や、親戚を隈なく探しても運動で名を上げた人は一人もいないといった家系の人(例えば私)で、「あるいは・・・」と言い出す人がいるとしたら、それはちょっと考えた方がいいでしょう。

 私は大谷選手の活躍や年俸のことが話題になるたびに「ああ、やはり息子に野球をやらせておけばよかった!」と嘆いて見せたりしますが、これは息子のアキュラが中学生のころお門違いの剣道などをやっていて、県大会にも行けない“並”のアスリートだったからで、「全国大会で金メダルを取りました」レベルの子だったら微妙な話になります。可能性がゼロではなくなるからです。
 実際のアキュラは大谷翔平になる可能性はありませんでしたし、大の里(大相撲)になることも、三笘薫(サッカー)になる可能性もありませんでした。プロを目指していいのは、ごく限られた遺伝子と環境に恵まれた子だけです。

【芸能界ならどうだろう?】

 では自分の子が芸能界を目指すといい始めたらどうでしょう? これも普通の親、自身がその世界にいたことのない親なら、反対するのが当然でしょう。芸能界が競争の厳しい世界であることはよく知られていますし、とにかく才能がものをいう――。
 確かに今でも遅咲きの人はいて、例えばお笑いの世界には苦節26年の「錦鯉」や32年の「はりけーんず」などもいたりします。しかし果たして今後も活躍していけるかどうか――。 明石家さんまを筆頭に天才が目白押しの世界ですから、なかなか席が空きません。新星もしばしば出てきますが、気がつくと元のメンバーで番組を分け合っていたりします。

 演劇界や音楽界も、すでに成熟しきった感じがありますから、切り込んでいくのは容易ではありません。多様性の時代でなので、地上波テレビに出てこない有名歌手やグループもたくさんいます。ですからそれぞれの場所で席を得るということはあるかもしれません。それとて才能がなければ話になりません。おいそれとは勧められるものではないのです。

【努力で東大に入れるか】

 ところで、最初に戻って、問いを次のように書き換えたらいかがでしょう?
「あなたのお子さん、またはお孫さんが8歳くらいだとして、その子にきちんとした家庭教師をつけて10年努力させたら、東京大学、もしくはどこかの大学の医学部に入ることはできると思うか」

 私は最近、この問いに対する答えが“Yes”であるような人が、意外と多いことに気づいてびっくりしています。スポーツや芸能はムリでも、勉強の方は何とかなるのではないか――そう考える人が呆れるくらい大勢いるのです。
 しかしそんなことはありません。基本的に東京大学および全国の医学部の入試は別格なのです。京都大学や東京科学大学(旧東京医科歯科大学東京工業大学)も別格ですし、東北大学名古屋大学も別格――そんなふうに一般的に言われる偏差値の序列を下って行けば、いつかは「普通の人間でも死に物狂いで勉強すれば合格できる大学」のレベルまでたどり着くと思いますが、東大と医学部は絶対にその枠の中に入りません。とんでもなく高い地頭(じあたま)の良さを必要とするのです。
 
 もちろん、《いや、そんなことはない。私だって死に物狂いで勉強した》と言う東大生や元東大生もいるでしょう。しかし毎日十数時間の勉強ができたということだけでも頭が良かった証拠です。ほとんど知識の定着しない学習を十数時間も続けることは、普通の高校生にできることではないからです。
 そこまでの長時間の学習に耐えられるのは、「やればやっただけ伸びる」という確信のある子たちで、そんな確信を語れる子は地頭がいいに決まっています。小さなころから学業成績を褒められてきましたから、学習における自己効力感も高い。

【トンビはタカを産まない】

 勉強だってつまるところ遺伝子と環境なのです。環境は整わなくても何とかなるかもしれませんが、遺伝子の方は決定的です。これがなければ話になりません。
 トンビはタカを産んだりしません。産んだように見える時もありますが、それはタカがトンビのふりをしていた場合だけです。

 野口英世の母親は無学な女性でしたが58歳のとき、子どものころ習った文字を一つひとつ思い出しながら、息子に向けて「はやくきてくたされ 一生のたのみでありまする」という有名な手紙を書いています。50年も前の記憶を呼び起こせるのです。

 「ビリギャル」のモデルの工藤さやかは愛知淑徳高等学校在学中に学年最下位となり、偏差値も40そこそこだったといいます。ただし淑徳高校の入学偏差値は65~70で、田舎の高校だったら間違いなくトップ校です。偏差値40に嘘はないと思いますが、エリート私立校に入ったらビリになってしまい、すっかり意欲をなくして取った偏差値が40だったというところでしょう。同年代の中では、地頭は飛びぬけていいのです。これもタカがトンビのふりをしていただけです。

【幸せになるかどうかは別問題だ】

 スポーツも芸能も勉強も、すべては遺伝子と環境だと、身も蓋もない話になってしまいました。ただそれは「遺伝子にも環境にも恵まれない人は、さっさと人生をあきらめなさい」という意味ではありません。
 ひとつ言いたいことは、
「世の中のすべての場面で上には上がいる。その頂点にはほとんどの場合、遺伝子と環境に恵まれた者が立っている。だから平凡なあなたが出世競争で勝てなくても、まったく気にすることはないのだ」
ということです。本人の努力や人間性のおかげで、その高みにいるわけではありません。
 そしてそれよりはるかに強く言いたいことは、
「遺伝子と環境がともにあることと、幸せであるかどうかはまったく別問題だ」
ということです。

 才能に恵まれた人はいつまでも競争にさらされ続けることになります。しかし地方のエリート高校で常にトップグループにいて東大に入った人も、入学したその瞬間から半数が東京大学の「普通以下」の学生になってしまうのです。 日本で最強のアスリートも、世界の舞台では予選通過もままならないかもしれません。芸能界で成功すれば、明日は忘れられてしまうかもしれないという恐怖と戦い続けなくてはなりません。
 いずれもさほど幸せなことではないでしょう。幸せになるには、別の能力と努力が必要なのです。

【それでも勝ちたい人に忠言】

 もちろんそれでも自分の能力を掘り起こしたい、いつまでも勝者でいたいという若者もいるでしょう。その人たちを否定しません。代わりに19世紀のドイツ帝国の宰相政治家オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)の言葉をプレゼントします。彼はこう言ったのです。
「青年諸君に忠告したいことはつぎの三語につきる。すなわち、働け、もっと働け、あくまで働け」
 今、やっていることを徹底しましょう。
(この稿、終了)