娘の婚家から、
中元・歳暮のことはやめようという話があった。
分からないではない。しかしあれをやめてしまったら、
私たちはいつ、どんなふうに話しかければいいのだ?
という話。(写真:フォトAC)
【中元歳暮がなくなるのは、関係が断たれるようで辛い】
贈り物について考えたいと思い始めた直接のきっかけは、いつもここではシーナと呼んでいる私の娘の夫(エージュ)の母親、つまりシーナの義母に当たる人から、
「中元・歳暮のことは今年を限りとして、来年以降は互いにやめることにしましょう」
という申し出があったことからです。直に話せば角が立つと思ったのか、シーナを介しての話でした。
あとから聞くとまずエージュの妹(シーナの義妹)の婚家から中元・歳暮の取り止めの話があって、だからこちらとも同じようにしたい、といった話になったようです。
以前、私はこのブログで、従兄からもらった年賀状に関する無礼なショートメールのお話をしたことがあります。
「ご無沙汰しています。元気ですか。今年からお互いの年賀状のやりとりは、やらないということで、よろしくお願いします」
というそっけない内容です。私の怒りは基本的に、
「お前がやめるのは勝手だが、オレが出さないことまで決めるな」
というものです。理由のないことで指図されるのが嫌いなのです。
しかしもしかしたらそこには哀しみも混じっていて、年賀状で繋がる関係を断ち切られるのが切なかったのかもしれません。年賀状でしか繋がっていないのですから、それがなくなると無関係になってしまうという恐怖があるのです。では無関係になるとなにが怖いのか? 単純な話で、いざという時に助けてもらえないと感じるからです。
ショートメールで一方的な断絶を宣言してきた従兄は母親方で、その中では最年長です。一番頼りにしたい人です。親戚の間でトラブルがあったら(まずありませんが)一番に相談すべき人です。何を持っているか知りませんが、何か持っているかもしれません。自分が持っていなくても、持っている人を知っているかもしれません。
【日常的でない関係は、みんななくなってもいいものなのか?】
娘の婚家から中元・歳暮中絶の話があった時に感じたのも、ほぼ同じ気持ちでした。600kmも離れたところに暮らしている人ですから普通は会うこともなく、中元・歳暮、そして年賀状くらいでしかやり取りのない家です。
しかし娘夫婦や孫たちに大事があったら、真っ先に協力して対処しなくてはならない大事な夫婦です。さらに言えば年齢順なら私が真っ先に死ぬわけで、そのあとは私の妻とともに三人で子や孫のことを見守ってもらうしかありません。その意味で私にとってこの人たちは、ぜひとも仲よくしておきたい大切な人で、いつでも声をかけて頼れることを繰り返し確認しておかないと気が休まらないのです。
中元・歳暮をなくして行く行くは年賀状のやり取りもなくなってしまうと、そのあと言葉を交わす機会はほとんどなくなってしまいます。それでいいのか?
毎年の中元・歳暮が届いてようやく会話の糸口が生れ、
「お贈りいただいた品物、先ほど届きました。ありがとうございます。」
と電話をかけ、それを端緒として近況を伺ったり報告したり、本質的にはどうでもいいやりとりをしながらお互いがひとつの絆で繋がれていることを確認し合う、私にとってはとても大事作業です。
【ものを贈る意味、歳暮と中元】
ものを贈ることにはさまざまな意味があります。
愛する人に喜んでもらいたくて贈るプレゼントもあれば、支援のための贈り物もあります。お祝いの意味を込めた贈り物もあれば、哀しみを癒すための贈答品もあります。あからさまに見返りを求める賄賂のようなものだってあります。
中でも中元・歳暮は目的がはっきりしていて、これは定期的に行われる「互いの間にある人間関係が存在ること確認・更新する」ための儀式または風習です。
「俺たちは仲間ってことでいいよね、大丈夫だよね。これからもよろしく」
という意味です。
「歳暮」は読んで字のごとく、「歳(とし)の暮れ」に、感謝を込めて自らの属するコミュにティ(家族・親戚、職場、地域、友だち)に挨拶をすることを言います。「中元」はもともと道教の「三元」のひとつで、旧暦の7月15日に祖霊を祭るものでした。それが仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)」と混ざりあって今日に至っているものですから、本来は贈り物をしあうといった習わしはなかったのでしょう。しかし人間関係が複雑になって変化の速度が速まると年に一度の関係確認では済まなくなり、歳の折り返し点に近い「中元」に焦点があてられたのでしょう。
私のような臆病者にはちょうどいいころ合いです。
(この稿、続く)