カイト・カフェ

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「自由研究が自由という衝撃」~夏休みに思ったこと、考えたこと②

小学校に上がったばかりの我が孫1号が夏休みの自由研究に励んでいる。
ところがこの「自由研究」、やるもやらないも自由なのだという。
そんなバカな!
親の実力が子に出るぞ!
という話。(写真:フォトAC)

【自由研究が自由という衝撃】 

 お盆に娘のシーナ一家と息子のアキュラが帰省してきました。
 万全のコロナ対策を取っていたはずなのに帰省の前々日、孫2号のイーツが急な発熱でPCR検査を受け直すなど、多少バタバタしましたが無事、地元で私の家族7人が揃いました。
 
 婿のエージュは教員で私の家に来ても仕事ばかりしていて、愛想を振りまくということもありません。それは現役時代の私も同じで、だからむしろ気が置けず、楽な関係を保っています。
 コンピュータに向かって何か書類を作成していたり本を読んでいたり、そのくせ子どもたちが近づくとすぐに仕事の手を休め、しばらく遊んでやったりします。プールだの公園だのと家族で遊ぶ場面では嫌がらず、一緒に楽しんでいます。それもかつての私と同じです。
 
 孫1号のハーヴは今年から小学1年生。生まれつきの”良い子”で家では落ち着いて安定していますが、学校ではけっこうヤンチャなグループにいて、しばしば先生から注意されたりしているようです。それもまた善し。

 この夏は初めて宿題というものを持ってきて、朝の涼しい時間に母親の手を借りながら取り組んでいました。特に熱心だったのが自由研究。課題はもう決めてきたようで、実験に余念がありません。
 
 私にはシーナが1年生のときもアキュラが1年生の時も、自由研究や工作に手を入れすぎ、休み明けの参観日に異常にレベルの高い作品を展示されて恥ずかしい思いをした経験があります。そこで思わず「親の手を入れすぎるなよ」と口出しすると、
 「親の手の入っていない自由研究なんてあるはずないじゃない。それに提出は自由なんだからいいのよ」
とシーナ。 びっくりして聞き返すと、
 「だから、出すも出さないも自由な自由研究なの」

 

 【自由研究の歴史】

  出すも出さない自由な自由研究を、いったい何人の児童が提出するのでしょう?
 ハーヴは両親がともに教育学部の出身で、特に父親は現役の小学校の教員ですからこうしたことはお手の物です。しかし経験がなくても熱心な親なら必ず子供と一緒に、苦労しながら作品を創り上げてくるものです。そして多くの場合、苦労した後者の方が良いものを持ってきます。
 それに対して「出すも出さぬも自由」を盾に一顧だにせず、「出さない」選択をした親の子は、貴重な体験の機会を失ってしまうのです。かわいそうですね。
 
 奇しくも先週金曜日(8月19日)の「チコちゃんに叱られる」では「自由研究って何」という問題が出され、答えは「自由研究は4年で消えた幻の教科」でした。
 どういうことかというと1947年につくられた学習指導要領が経験主義を基礎としていたため、「自由研究」が正式な教科として設置されていたのです。
 しかしわずか4年後、時代が要求したのでしょう、知識技能を重視する系統主義教育への傾斜が進み、「自由研究」はなくなってしまいました。もちろん理由はそれだけでなく、ひとつの授業で児童生徒のすべての要求を満たすことはできないといった経験主義の難しさもあったようです。
 
 ところが(話はここからがいいのですが)、授業でやるのは難しかったものの、子どもたちにいろいろな経験をさせたい、自分の力で興味を持ったものを深めてもらいたいという先生たちの思いは強く、それによって「自由研究」は夏休みの宿題となり、今日に至ったのです。
 いい話でしょ?
 
 現在は自由研究の趣旨と「総合的な学習の時間」の趣旨がとても似ているので、その意味では5~6年生はやらなくてもいいという考え方もありますし、逆に「総合的な学習の時間」で着けた力を検証するために必要という見方もあります。
 いずれにしろ学校では十分にできない学習を、夏休みという自由な時間を使って行うことには十分な意味があったはずで、それがなぜ「出すも出さぬも自由な研究」になってしまったのか、その部分は謎です。
 
 現役の小学校教諭のエージュですら首をかしげるくらいですからよくわかりませんが、学校側に「事前指導も評価も大変」という事情があり、保護者の側にも「とてもではないが支えきれない」といった事情があったのかもしれません。さらにうがって考えれば、ネット上に見本がいくらでもあり請負業もある時代ですから、宿題として出す意味自体がなくなったと考えられたのかもしれません。
 
 ただ、今も自由研究のある学校では、やらなかった子・手伝ってもらえなかった子はほんとうに可哀そうなのです。

 (この稿、続く)
 
【付記】

 今朝のニュースでこんなことを言っていました。
「間もなく夏休みが終わる子どもが多い中、さまざまな企業が自由研究をテーマとしたサイトを開設し、自社製品にちなんだ実験などを紹介しています。このうち、アルミ製品メーカーのサイトではレモンにアルミ板と銅板をさして銅線で繋ぎ、電池にする方法などを紹介しています。毎年夏休みの時期になるとアクセスが増え、子どもから感謝の手紙が送られて来たこともあったということです」
 もっともサイトの内容を書き写すだけでも、何もしないよりはましかもしれませんが。