満員電車の揺れが人々の立ち位置を均(なら)すように、
社会の発展とともに人々の活動が均されていく。
そうやってできた自然調和的な制度。
この程度のことでは長いものに巻かれていればいいのに、
という話。
(写真:フォトAC)
【満員電車のマジック】
若いころの一時期、都会の満員電車で通勤しなくてはならないことがあり、山手線などで毎回ヘドが出そうなほど、人やら壁やらパイプやらに押し付けられていました。とくに乗り込むときが大変で、当時の駅員さんは容赦ありませんでしたのでガンガン押し込んでくる。ところがその圧力に耐えてようやくドアが閉まり、ほんの数十秒電車に揺られるだけで、不思議なことに息のできないほどの圧力は消えて、少し楽になる。車両が大きく揺れるたびに体が強く押し付けられるのですが、そのたびに少しずつ楽になるのです。おそらく電車の振動が人間を揺すっているうちにミリ単位でみんなが楽な方へ移動して、結果的に圧力を均等にしてしまう、そういうことではないかと思うのです。
これを思い出したのは昨日、結婚だの子育てだの、あるいは家を持つとか財産を形成するとか、そういったことを考えているうちに、人間の活動も人間関係も、長い期間みんなが同じことをやっていると、そのうち均されて、自然と、いつ、何を、どの程度やればいのかという適正モデルうまれてくるのではないかと思ったからです。
世の中にはそんなふうに、人間たちがあちこちで軋轢を繰り返しているうちに、自然とベンサムの言う「最大多数の最大幸福」に向かって行く、そんなふうになっているのではないかと思ったのです。
【結婚適齢期の問題】
例えば、
「今の時代、結婚適齢期なんかない。自分がしたいと思ったときが適齢期だ」
といった言い方がありますが、少なくとも「どうせ結婚するなら余計な苦労はしたくない」と思えば自然と適齢期は算出されてきます。「できれば子どもは3人欲しい」とか「高齢出産は避けたい」と言っただけでも適齢期は決まってきます。
私は当時としては結婚が遅く、35歳で結婚して36歳で最初の子の、40歳で二人目の子の親となりました。ほんとうはもう一人ほしかったのですが、妻は高齢出産に乗り気でなく、それで諦めました。
ところが諦めて良かったと思ったのは、下の子が成人の年に私が定年退職だと気づいた時です。おまけにその子は理系で、現在は理系学生の半数近くが大学院へ進みますから、定年退職から最低でも4年は仕送りをしなくてはならかったのです。幸い私のところは2馬力でしたから事なきを得ましたが、1馬力だったら「さすがに大学院までは面倒を見切れない」と言わなければならなかったのかもしれません。そんなことも考えると、「結婚はいつでもいい」とは言っていられません。
【親の介護の問題】
同じように親の介護にもかつては厳としたモデルがありました。太平洋戦争までは「家は長男が継ぐ。親の介護は長男の責任で、その代わり財産は基本的にすべて長男のもの」と、とても分かり易かったのです。その遺風というか雰囲気は現在も残っていて、墓は長男が守る、仏壇も長男家が引き取ると、なんとなくみんなが思っています。遺産も、個別で迷うことがあったたら長男につけておけば波風が立たないと、どこかで思っています。
ただその長男が結婚をせず家も出ず、姉妹・弟が出てしまってやがて父親が亡くなると、そこに高齢の母子家庭が出現します。そんな家が私の周辺にもたくさんあります。いわゆる「息子介護」ですが、息子介護という言葉があっても「娘介護」や「夫介護」がないことが、事の深刻さを示しています。
男性たちの多くは家事や介護のスキルがありませんし、愚痴を言い合うような人間関係も持っていません。どうしても問題をひとりで背負いがちで、ストレスも溜まります。介護虐待の4割が息子からのものだといいますから、その難しさも想像できます。いよいよ手がなくなると介護離職ですが、さらに難しい問題を生み出すだけです。
介護の在り方はまだ手探りで、最初に言った満員電車の例で言えば発車して2~3秒後の、自然調和の発生していないギクシャクした段階で、皆が苦しんでいるような状況です。親世代がまだ元気なうちに、その日を見越してそれぞれが準備をしておく必要があります。
しかし親が死ぬと今度はすぐに自分の介護問題が生れますから、そこも考えておかなくてはなりません。
【この程度のことでは長いものに巻かれていればいいのに】
ここで、
「親の介護、自分の介護を考えただけでも結婚はしておくべきだ」
と言うことが、パワハラやセクハラ、あるいは他のハラスメントに当たるかどうかが分からなくて困っています。
意図は先日の、「中居(正弘)氏も結婚しておけばよかったのです。愛なんて必要ありません。(中略)安全保障というだけの理由でも結婚しておけばよかった」と同じで、「結婚なんて本来は愛の問題ではない、生活の便と安全と相互保障のためにある歴史的制度だ」ということです。結婚制度自体が揺れる満員電車の中で生まれてきたのです。
もちろん生活の便も安全も自分で賄える、金もあるという人は私の言葉に耳を貸さないでしょう。中居正広でもできなかったことが普通の人間にできるとも思いませんが、絶対に人生に失敗しないという人はそれでもかまいません。けれどそうでない人は、この程度のことでは長いものに巻かれていればいいのです。そうでなくても新たにやらなくてはならないことは山ほどあるのです。
(この稿、次回最終)