歯ブラシやハンカチを忘れて出かけてもいいが、
スマホや財布、キーホルダーを忘れると厄介だ。
持ち家がなくても自家用車がなくてもいいが、
配偶者がいない人生は、かなり危険でもある。
という話。
(写真:フォトAC)
【みなさん、結婚しましょう】
私はいまから、
「みなさん、結婚しましょう」
「特に若いみなさんは頑張って配偶者をみつけましょう」
「結婚することが大事です」
「中居正広さんになってはいけません」
という話をするつもりですが、それは中居正広氏のように「結婚に向かない」だの「ひとりが好き」だの「潔癖」だのといろいろ言って、要するに自由気ままな暮らしが捨てきれず、異性を次々と取り換える可能性も棄てたくない、そういう人たちを念頭に置いて話そうとするもので、真面目に結婚を考え、それなりの努力をして来たにもかかわらず結婚に至らなかった人は別です。
私が若いころ、中学校の教師として教えて来た生徒の大部分が就職超氷河期の子どもたちで、経済的不安定や低収入のために未婚のまま中年にさしかかっている人がたくさんいるのです。彼らは真面目であればあるほど結婚に対して真摯で、簡単に結婚を口にしなかった、だから未婚のままだったという側面があります。
したがって私には未婚の人たちを十把一絡げに見る視点はなく、目の前のことに夢中で、現在の自分の気持ちを大切にするあまり未婚のままでいる若者だけを対象に、結婚しましょうと話し始めるわけです。
【私の現状】
まず私がどういう生き方をしたがる人間かというところからお話ししましょう。
ひとことで言ってそれは非常に真面目で、平凡で、冒険も面白みもない生き方と言えます。非常に慎重で、石橋を叩いても渡らないことがあります。だから教員になりました。
同じ教員の妻と二人で馬車馬のごとく働いてきました。昼も夜も休日もなく働き、同時にふたりの子を設けて子育てにも夢中でした。実に多忙な毎日でした。忙しすぎて泊を伴う家族旅行は2回だけ(ディズニーランドとUSJ)。市内の科学館だの動物園だのといった日帰りの遊びは少なくありませんでしたが、遠出ということはほとんどありません。
何を話しているのかというと、教員として二馬力で死ぬほど働いて、使う方はケチな上に使う時間も限られていたので、都会に出したふたりの子にはお金がかかりましたが、それでも老後に困らない程度の普通の財産を残すことができました。おそらく平均的な、その程度の生活水準を維持しています。自慢ではありません。欲するところに従って動いていたらそうなっただけですから。
30年前に新興住宅地の隅に家を建てました。共稼ぎでガンガン返済しましたのでローンは完済。現在、住居にかかる費用は固定資産税と修繕費くらいのもの。築30年となればけっこうな修繕費がかかりますが、それでも家賃を払い続けるのに比べれば微々たるものです。
隣組には気難しい人もいますが大方はいい人たちで、気持ちの良い関係を築いています。いざという時に助けて貰える程度の付き合いはしています。
住まいについて不安なことはふたつだけ。隣組の世代交代が進んでいないため、支えられる側に回ったとき支え手がいなくなるのではないかという怖れ。もうひとつはコンビニはあるものの歩いていける距離にスーパーマーケットがなく、このさき買い物に困る日が来るかもしれないということです。ただ後者については、ネット販売を中心に次々と新たなサービスが誕生するでしょうから、お金さえ持っていれば何とかなります。
97歳の母を昨年5月から施設に入れました。12年のあいだ通いで介護を続けてきましたがちょうど1年前、大腿部を骨折してしまい、それで在宅介護は諦めました。母は女ですので男の私が介護し続けることには限界があるのです。
施設は、「ちょっと費用お高め」ですがそのぶん設備が整い、なによりスタッフの人数が多いのが頼もしいところです。月額で25万円弱ほどかかります。介護付き有料老人ホームの月額使用料は平均で23.9万円、中央値は20.0万円です*1から、25万円はかなりの高額です。ただし母の年金は個人年金も合わせると25万円以上もありますから、だいたいそれで間に合います。足が出たことはありません。
私自身は一度大病をして、それ以降は余生と思っていますから、病気も死ぬのも怖くありません。しかし交通事故でひとを死なせるとか、火事で一夜にして路上に追い出されるというのは怖いですから特に注意しています。
*1:全国の老人ホームの相場は入居金98.7万円、月額15.7万円|みんなの介護
【独り者の巨大なリスク(一コマ異なれば、まったく違う生活)】
私の老後に対する不安のなさ、安寧はさまざまな条件によって支えられています。
教員という安定した職に就いていたこと、しかも夫婦で同じ仕事をしていたこと。多忙のためにムダ金を使わずに済んだこと、もともとケチなので金を使わない生活も苦にならなかったこと、持ち家があったこと、母に大きな年金があったこと、母が健康で24時間付き添わなくてもよかったこと等々。それらの条件はひとつふたつ欠けてもどうということのない盤石なもののようにも見えますが、実は、ある一コマを落とすだけで、状況はまったく変わったものになってしまうのです。
それは妻がいなかった場合――特定の妻ではなく、結婚していなかった場合、今とまったく違った生活になっていた可能性が高いのです。
妻がいなければとりあえず収入は半分、やるべきことは倍になります。我が家では子どもの就寝や登園登校、庭仕事・畑仕事や渉外は私。炊事、洗濯、買い物は妻と役割を分担してやってきました(子どもたちが家を出てからは洗濯と台所の片付けも私)。結婚していなければ子どもの世話はありませんが、他の仕事は全部、私ひとりのものとなるわけです。
さらに言えば私には調理のスキルがありませんから、食事はすべて外食か中食になります。当然お金は貯まりません。これには証拠があって、独身時代の私のエンゲル係数はメチャクチャ高くて貯金というものが全くできなかったのです。では女性なら大丈夫かというと、妻も言っていますが、「自分一人のためならならつくらない」。したがって男性よりはマシかもしれませんが、「一人口は食えないが二人口は食える」というように食品ロスも多く、食費は大幅に増えます。
そこに親の介護が被さってくるとかなり危うくなります。親に金がなければ子が支払うか、在宅介護ということになりますが、どちらにしても子ひとりでは負担が大きすぎます。夫婦なら二人で稼ぎまくるとか、どちらか一人が仕事を辞めて介護に専念するとかいったことになりますが、子ひとりの場合は最悪、子ども本人が介護離職ということになりかねません。それでも親が生きている間は親の年金や介護保険で何とかなりますが、親の死んだ後、自分の面倒を見てくれる人はいないのです。50歳~60歳を過ぎての再就職はかなり大変です。
一般的に言って、独身者は地域のコミュニティからも距離があります。親が死んで単身になったからと言って、おいそれと迎え入れてくれるものでもありません。こうして住宅街に完全な孤独な存在が出現します。それが自分かもしれないのです。
(この稿、続く)