カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「先生、私こんなふうになった」~生徒指導は絶対に失敗したくないと思った日

 もう20年も前の話です。

 当時勤めていた村立の中学校で、夏祭りの生徒指導に出ていたときです。
 何しろ一年に一遍のハレの日で、村のメインストリートを原宿にしようという子どもたちで、通りはいっぱいでした。わずか500mほどの道を、派手に着飾って何度も何度も往復しているのです。
 しかし午後9時に花火が終わり、メイン・イベントの暴れ御輿が終了する10時ごろには、さしもの興奮もあっという間に引いていきます。そして三々五々人々は家に帰り、夜店も片づけを始めます。そしていよいよそこから私たちの仕事が始まります。

 携帯電話なんてない時代ですから30分ごとに約束の場所に集まって情報交換をし、またあちこちに散って暗い場所で悪さをしている中高生を摘発する、それが仕事です。そしてかれこれ午前1時近くなって、村の体育館の裏にたむろしていた男女6人の中学生を挟み撃ちで確保しました。そしてしばし説教の後、コンビニの公衆電話から一軒一軒家庭連絡をして引き取りに来てもらうのです。

 しかし子どもが子どもなら親も親で、「寝ていたところを起こされた」と極めて不機嫌な人もいれば、車から降りるとすぐに「申し訳ありません」と頭を下げてくれたのはいいにしても、その父親の息がものすごく酒臭かったりして(アンタ、今、運転してきたよネ)、本当に閉口するような生徒指導です。

 ところが一軒だけどうしても電話に出てくれず、引き渡す相手がいないという女の子が出てきました。本人に聞くと「じゃあ、お母さんのところに行く」と言って別れた母親の電話を告げます。こちらとしても誰もいない家に帰すわけにも行きませんから、仕方なくそちらに連絡したのですが・・・。

 30分ほどして車で母親が駆けつけ、中学生のその子を引き取って行こうとした時、偶然その場所に卒業生であるその子の姉が現れたのです。当時としては珍しい、呆れるほどの金髪女子高生で、服装もまるで半裸と言ってもいいような奇抜なものです。こちらも驚きましたがその高校生も驚いた様子で私たちと母親を見比べています。そんなところに別れた母親がいるとは思わなかったのです。
 しかしすぐに事情を察し、そして母親の方には目もくれず、私たちに向かって微笑むとゆっくりと体を回し自分の姿を見せます。
「先生、見て、私こんなふうになっちゃったよ」
 その子がそう言った瞬間、私の目の隅で、母親が顔を覆って泣き崩れました。そのまま長い長い時間が過ぎました。

 母親の泣き伏した姿があまりにも鮮烈で、その後どうなったかは覚えていません。たぶん姉妹とも母親の車に乗せようとしてしかし姉の方は車に乗らず、どこかへ行ってしまったような気がします。

 卒業後も含め、子どもを絶対に不良にしてはいけないと改めて思ったときでした。母親も可愛そうです。しかし娘の方はもっと可愛そうでした。