「インド独立の父」マハトマ・ガンディー(1869−1948)は、約80年前、このまま進めば資本主義社会には「七つの社会的大罪(Seven Social Sins)」が蔓延するであろうと強く警告を発しました。
以下がその ”Seven Social Sins” です。
- Politics without principle ・・・・・・哲学なき政治
- Commerce without morality ・・・・・・モラルなき経済
- Science without humanity ・・・・・・人間性のない科学
- Worship without sacrifice ・・・・・・犠牲なき祈り
- Wealth without work ・・・・・・労働をともなわない富
- Knowledge without character ・・・・・・品性なき知識
- Pleasure without conscience ・・・・・・自制心のない欲望
この「七つの大罪」は昨年の1月、当時の鳩山首相が施政方針演説の中で引用したことで一躍有名になりました。その鳩山首相自身が「哲学なき政治」のレールを敷いて今日に至っているのは皮肉です。
「モラルなき経済」「人間性のない科学」については日本の場合、辛うじてそうならないよう保っていると私は思っています。
「犠牲なき祈り」は喜捨とか修行とかいった犠牲を払わないで福音だけを求める宗教のあり方ですが、日本の場合は大昔からそうでしたから問題にならないでしょう。
「労働をともなわない富」についてはまさにそうで、今や若者の最大の夢はコンピュータの前に座り、ボタンひとつで数億の金を動かして利益を上げるトレーダーの世界です。汗水流してわずかな利益を上げるのは「ダサイ」こととして排されます。
しかし当面の現実問題は、最後の二つです。
「knowledge」は知識とともに学識、教育といった訳も可能です。「character」は普通、個性と訳される単語ですが、人格とも道徳・品性とも訳されます。また「pleasure」は喜びと訳すことが多く意志・希望といった訳もあります
「conscience」は良心・道徳心・分別といった訳も少なくありません。それをどう組み合わせるかによってニュアンスも多少変わってくるのですが、私は上記の訳が好きです。
知識には品性が必要なのだということ。普段はあまり考えないことですが、逆に「汚れた知識」とか「下品な知識」といったものを想定すると何となく分かってきます。
知識に品性を与えること、自らの欲望を自分のコントロール下に置くこと、これは私たち教育現場にとって、最も大切なふたつかと思います。
明日、先生方に育てられた中3の生徒たちが受験に立ち向かいます。ガンディーの予言を裏切るような子たちです。うまく実力が発揮できるといいですね。