カイト・カフェ

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「ボヘミアンK氏と魯迅の『故郷』」~人生の勝ち組とは何か③

 会社員時代の先輩が不遇の中にある。
 病気が悪化して、障害を負うことになったのだ。
 K氏は私を「勝ち組」だという。
 そして私は魯迅の『故郷』を思い出した。
――という話。(写真:フォトAC)

ボヘミアンK氏】 

 K氏について話します。
 私がこのブログで「ボヘミアンK氏」と呼んでいるのは、まだ会社勤めをしていた20代のころ、一方ならぬお世話になった五歳ほど年上の社内の先輩です。かなりの有名国立大学の卒業生で、人づてに聞いたところでは司法浪人だったということですが、知り合ったころにはもう法律の勉強はしていなかったと思います。
 仲間と一緒に立ち上げた学習塾の会社で「常務」という肩書を持っていました。もっとも社長と専務と常務と部長が一人ずついて、あとは平社員が3人とアルバイトといった会社ですから、いまから考えると役職名自体も怪しいものだったのかもしれません。
 
 生粋の呑兵衛という感じで、酒臭い息で出社してくることも多く、寝坊しての遅刻はしょっちゅうでした。お友達気分の会社で互いになあなあの部分もありましたが、二日酔いで昼近くに出社した時は、さすがの社長も堪忍袋の緒が切れて2時間近く説教をしたようです。K氏もこれには参ったらしく、しょんぼりした姿で社長室から出てくると、私の隣の席に座って、しばらく静かにしていました。それからやおら私の方を向いて、
「Tさん(私のこと)、ワタシね、いま、社長室に呼ばれて、『仕事に差し支えるなら酒はやめろ』と言われてきたんですよ。でもね、どうしたもんでしょう。どう考えてもワタシは飲むために仕事をしているんで、仕事のために酒をやめるというのは本末転倒じゃないかと思うんですよ。どう思います?」
 どう思います?と言われても、返す言葉がありません。ほんとうに懲りない人です。

 バレンタインデーの日、同僚の女性がプレゼントしたのはカクテルチョコ。酒瓶の形をした高さ5cmほどのチョコレートにひとつずつ異なった種類のカクテルを詰めたものですが、渡して1時間も経たないうちに内線電話がかかってきて、女性が笑いながら教えてくれるに、「空ビン(チョコレート)はどうしましょうか、だって」
ということでした。
 お茶目で、頭がよく、憎めない人でした。
「酒さえ飲まなければホントにいい人なのにねって皆さん言うけど、ホントに酒さえ飲まなければいい人なのかな?」と言うと、転げるように笑っていました。

 ここまでK氏のことを思い出しながら書いて、《前回このブログ*1でどんなふうに紹介したのかな》と改めて見てみたら、上のみっつの話がほぼそっくり書いてあって、がっかりしました。
 思い出したことが無駄だったこと、時間を無駄に使ったこと、一度書いたことを思い出さなかったこと――にです。

【転機】

 2021年に40年ぶりくらいで連絡がついて、2023年に前々から連絡のあった別の元同僚とともに都内で会うことにしました。K氏は思ったよりも衰えていて、階段の上り下りも辛そうでした。それから年に数回、電話で言葉を交わすが習慣となりましたが、昨年は夏に電話をしたきり、今年の2月になるまで連絡もしませんでした。これといった話もなかったのです。共通項は思い出話しかありませんから、安否確認以外に連絡する必要もないのです。

 2月になって、不意に思い出して電話をかけることにしました。もちろん必要があってのことではありません。何の気なしにと言った感じです。かけてもなかなか出てくれなかったあと、3日目に向こうからかかってきました。電話が通じないのは前々からなので特に気にはしません。かけてくるような親戚も友人も極端に少ない人ですから、気づかなかったのでしょう。気がつけば向こうからかかってくる、いつものことです。しかし今回は違っていたことがひとつありました。電話口で、
「元気ですか?」
と、訪ねると、
「それが、元気じゃないんだよ。いま、入院中なんだ。糖尿病が悪化しちゃってさ、去年の9月に左足を切っちゃったんだ」
 一瞬、「切っちゃった」を数㎝傷が入ったみたいな捉え方をしたのですが、すぐに「切断」だと分かって絶句しました。2年前に足を引きずっていたことも関係あるのかもしれません。
 それからしばらく病気の話をし、リハビリの様子を聞いて、電話を切りました。

【Tさん、あなたは勝ち組だ】

 他人事でなければむしろ簡単な話かもしれません。言いませんでしたが、実は私にも子どものころからの障害があって不便な人生を送ってきました。しかしほんとうに苦しかったのは10代から20代にかけてで、人生が定まってからはさほどたいへんでもなく、高齢となった今は忘れている時間の方が圧倒的に長いのです。その上さらに、いま、K氏と同じ状況になっても、さほど慌てることもないと思います。なぜなら10年を経たずして、足を切断しなくても車椅子の生活に入ることは十二分に考えられるからです。私は平気です。ただしK氏が同じように受け入れるかどうかは分かりません。

 それから私は2年前に一緒に会った元同僚にも事情を話して声をかけるよう依頼し、私自身も月に一回程度は電話をして励ますようにしました。4年前まで40年近くも連絡が途絶えていて、再び交流が始まってからも、年に2~3回しか連絡のなかった相手から、月一のペースで電話がかかってくることをK氏がどう思っているのか――心配する気持ちがなかったわけではありませんが、そのうちに会ったこともないK氏の夫人からハガキが来て、「これからもたびたび励ましてください」との話だったので、安心して電話をし続けたのです。
 その電話の中で、どういう会話の流れだったか思い出せないのですが、
「Tさん(私のこと)は勝ち組だからなあ」
という言葉が出たのです。一瞬で背筋が凍る思いでした。二カ月ほど前のことです。

魯迅の『故郷』】

 その「背筋が凍る思い」に記憶があるような気がしてあれこれ考えたのですが、思い出したのは中学校の国語の教科書にあった魯迅の「故郷」の一節です。調べたらこんな文章でした。
『彼の態度はやがてつつましやかになって、ハッキリと言った。
「旦那さま! ……」
 私は寒気のするような気持ちになった。私はわれわれの間はもう何か悲しむべき厚い壁によって隔てられていることを知った。私は何もいえなかった』
 都会で出世した「私」が、実家の処分のために重い足を引きずって故郷に帰ってくる。すでにかなり前に捨てた故郷は、喜んで帰ってくる場所ではない。ただ、戻って母親と話をするうちに幼馴染の「閏土(ルントウ)」が自分の帰りを待っていてくれると知って再会を楽しみにするようになる。その閏土との再会場面が上の部分なのです。
 「私」にとって閏土は単なる幼馴染ではなく、なんでも知っている憧れの存在です。会えば肩を抱き合って喜び合い、また何かを教えてもらえる、無意識にもそう思っていたのが一瞬にして壊されたのです。寒気はそこからやってきます。

 私の場合も、K氏は憧れの存在とは言わないまでも、まだ若かった私に生き方を教え、人生を示してくれた人です。上下関係として考えたことはありませんが、年齢も社会的地位も、社内の役職も学歴も、全部上で、私は見下ろしたことがない――そのひとから「あなたは勝ち組だ(私は負け組だ)」といった言われ方をしたのです。背筋が凍ります。
(この稿、続く)