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「教師の子育て訓:学校で教え子にするように、我が子を育ててはいけない」~孫2号の七五三で考えたこと

 先週土曜日は孫2号の5歳の七五三祝い。
 たくさんのおとなたちに囲まれて、2号も嬉しそうだ。
 かなりうまく育っている。それもこれも教員である父親が、
 職場でやっている教育を、我が子にはしなかったおかげだ。
という話。(写真:フォトAC)

【イーツよ、うまくできたぞ!】

 先週の土曜日、東京に住む孫2号の七五三参りがあり、夫婦でお祝いに行って来ました。5歳の祝いです。
 2年前の3歳のときもそうでしたが、娘夫婦には両家の親(孫にとっては祖父母)に祝ってもらいたいという気持ちがあり、夫婦ともに弟や妹との仲がよいのでその人たちにも声をかけると、それぞれが配偶者を連れて参加。孫は1号・2号と二人だけなのに関係する大人が12人と、今日では珍しい大家族でのお祝いとなりました。
 孫2号のイーツ(仮名)は兄のハーヴ(これももちろん仮名)と違って生まれながらの暴れん坊で、しょっちゅうあちこちをぶつけて泣いたりしているのに、素人着付けとは言え、羽織袴の盛装となるとどこかシュッとして大人びて見えます。父親方の祖母からも、
「あら、ほんとうに孫にも衣装ねぇ」
と、冗談とも本気ともつかない言われ方をして、本人もまんざらでもなさそうです。
 予約してあった近くの神社の社殿に入っても、日ごろに落ち着きのなさはどこへやら。禰宜さんからは、
「大人の皆さんは、その都度ご起立をお願いしたりしますが、イーツ君はまだ小さいので座ったままでいいですよ」
と言われたにも関わらず、周囲に合わせて何度も立ったり座ったり、首(こうべ)を垂れたり手を打ったり、精一杯頑張っていました。最後に千歳飴の入った袋を渡されると、神妙な顔をして、親から促されたわけでもないのに、
「ありがとう」
ときちんと言えます。そういう子ではないと思っていたので、とても感心しました。

【とにかく親が厳しい】

 イーツは2019年生まれのまさにコロナの子(などといったら悪いかな?)なので、一番面白い3歳くらいまでの期間を、私は余り見ないで来てしまいました。ですから親のどんな指導を受けて今日まで来たのか、あまり知らないのですが、その点で兄のハーヴは違っていました。
 初めての子ということがあり、新生児仮死で生まれたという事情があり、さらには結果的にDCD(発達性協調運動症)のあることもあって、ハーヴはとても育てやすかったにも関わらず、心配させることも多い子でした。そのため私も何度も東京に足を運んで面倒を見ましたし、娘も三か月と置かず、繰り返し帰省していたので、その成長の様子や娘夫婦の子育ての様子は十分に観察することができたのです。
 意外だったのは、問題の多い出産と成長だったにも関わらず、私の娘で母親であるシーナ(仮名)は甘くならず、ハーヴに対しては厳しくすべきところは驚くほど厳しかったことです。父親で小学校の教諭でもあるエージュも、猫かわいがりにかわいがる一方でシーナに輪をかけて厳しい面があります。
 
 3年ほど前にシーナから送られてきたビデオに、「夕飯が完食できずにデザートを諦めざるを得なかったハーヴの号泣」というのがあります*1。父親方の祖父母から送られてきたラーメンが口に合わなかったみたいで食べられず、シーナから「もういいよ」と容赦してもらったのはいいのですが、主食が完食できないとデザートも食べられないという鉄則に従って、手つかずのデザート皿をみずから台所へ返しに行くという悲劇的な場面で、途中でたまらず、泣き出してしまったのです。
 その様子を見て少し容赦してやるという考え方は、両親二人ともにないみたいです。実の親がやらないことですから、ジジが出ていくわけにもいきません。
*1:2021.02.04「鉄の掟:完食せざる者、デザート食うべからず」~ハーヴとイーツに起こったこと②

【我が子を、教え子と同じように育ててはいけない時代】

 子育ては人生の一大事業、しかしことの成否は下駄を履くまで分かりません。「下駄を履くまで」というのは、私の見積もりでは、育てた子が大人になって結婚し、やがて生まれた子(つまり孫)が4~5歳になったころのことを言います。その時期の孫(自分が育てた子の子ども)がなんとかやっていけそうだと思えたら、子育てはいちおう上手く行ったかな、と肩の荷を下ろしていいと思うのです。ちょうどいまの私がそのくらいですが、息子のアキュラのところにはまだ子がありませんからアキュラに関する子育てがうまくいったかどうかを見極めるには、もう少し時間がかかりそうです。

 シーナのところの二人の孫はそこそこいい子に育っています。こちらはひとまず荷を下ろしてもいいでしょう。シーナも、最近はあまり私たちに頼らなくなっています。何と言っても両親がしっかりしていますから。
 ただ切ないのは、父親で小学校教師のエージュが、家庭では自分の子を厳しく躾けているのに、同じ基準で教室の子を育てていない点です、少なくとも完食指導はしていませんし、宿題など、すべきことができなかった場合の許容量も、孫の1号2号の場合に比べてはるかに大きくしている点です。
 他人の子を、我が子のようには育てていない――、それはエージュが選び取ったものではなく、強いられた状況で非常に不本意なものです。
 もしかしたら教員と一部教育関係者の子どもたちだけが、うまく育つ親ガチャ社会が目の前に迫っているのかもしれません。