カイト・カフェ

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「ボクにはできないことがたくさんある」~DCD(発達性協調運動障害)、子どもの姿が見えてくるとき②

 8歳になった初孫のハーヴが何となくおかしい、妙に不器用だ。
 最初にそのことに気づいたのは、いつも一緒によく遊ぶ父親だった。
 そして4歳下の弟が、自分がやって見せることで、
 兄のできないことを浮き彫りにする。
 という話。(写真:フォトAC)

【ハーヴにはできないことがたくさんある】

 ハーヴの異常に最初に気づいたのは父親のエージュでした。現役の小学校教員ですし、ハーヴたちと遊ぶことをまったく苦にせず、いつも一緒に何かをしているような人なので発見も早かったのです。

 まず気づいたのはハサミの使い方でした。子どもは2歳~3歳でハサミが使えるようになると、面白くて面白くて切っていけないものまで切ってしまうので注意が肝要です。ハーヴも同様でした。しかし楽しんでやっているにもかかわらず、ときどき切ることができなくなるのです。
 原因は簡単で、親指を入れる穴(動刃側リング)に親指が深く入りすぎて、リングとリングを離す(=つまり先の方で刃を広げる)ことができなくなってしまうのです。もちろんハサミを使い始めたばかりの子にはありがちなことで、何度も失敗するうちにいつか親指の第一関節を常にリングの内側に引っ掛け、そのまま外さずにおけるようになるのですが、ハーヴはそれがなかなかできない。さらにいつまでたっても真っ直ぐな線、型の縁をとる線などがきちんと切れないのです。
 
 意外なことにペットボトルの蓋が開けられません。あまりにも明らかな不具合なのに、一人っ子や長子だった場合にはこんなことにも気づくのが遅れます。
 小さくて力がないのだから開けられなくても仕方ないと手伝っていたりすると、7歳になったころ、下の3歳が大人の見よう見まねで簡単に開け閉めできるようになり、それで初めて気づきます。
《これって、できるのが普通なんだ――》

 やがて紐靴を買って、蝶結びどころか豆結びもできないと知ってようやく、親は不安になり始めます。蝶結びができないのは《教えなかったからだ》で納得できますが、豆結びは教えなくてもできるのが当たり前、どこかで学んでくるはずだと普通の親は思い込んでいるからです。

【成長が子どもたちを振り分ける】

 父親のエージュは早い段階からハーヴの不器用さを「巧緻性に問題がある」という表現でとらえていました。しかし母親のシーナが本格的に心配し始めたのは、弟のイーツがある程度の年齢になってからのことです。ハーヴができなかったり苦労してやっとできたりすることを、イーツが易々とやって見せたりしたからでした。

 生まれたばかりの子どもは、乳を飲んで眠って起きて、何か不都合があれば泣くくらいしかできない、他は何もできないという意味では平等です。それがいつしか、「首が座ってきた」とか「寝返りをうつようになった」とか、「ズリバイをするようになった」「笑うようになった」「伝い歩きをするようになった」「歩くようになった」と、いくつもの関門をクリアしながら、次第に個体差が見えてきます。
 そこには単に遅れているだけですぐに追いつくものもあれば、関門と見えたものを飛び越して次の段階へ進んでしまう場合もあります。
 例えばシーナの友だちとその友だちの子は、親子二代に渡ってハイハイをすることなく、座ったままの移動法からつかまり立ちへ、二足歩行へと移行してしまいました。ハイハイは成長の必須項目ではないのでそれでもいいのです。
 しかし「首が座らない」とか「座った姿勢を保持できない」となると、そこに何らかの問題を想定しなくてはなりません。
 
 ハーヴは寝返りを打つのがとても遅くて心配された子でした。ハイハイも遅く始まりましたが終わるのは早く、歩くのは《比較的遅かった》という程度でした。
 今から考えて紐結やペットボトルの蓋開け以外にできないことと言えば、、例えば食事が遅い、やたらとこぼす、口の周りの汚れを苦にしない、着替えも遅い、保育園や小学校のリズム運動で、先生の真似をするのが難しい等々、無視すればできないこともない、そしておそらく10年後は問題にならないだろうことがいくつも挙げられます。ひと昔前ならなんの対応をされずに、ただ通りすぎてしまったものばかりとも言えます。
 だから特に手を打たず、放っておいても何とかなるかもしれない――そういう見方もあるでしょう。しかし現在の課題は克服されても、10年後に同じ不器用さが別な側面で、ハーヴを苦しめることになるかもしれない――そう考えると、やはり何らかの手は打ってみる必要はあるのかもしれません。

【部分的に大きく落ち込むハーヴの能力】

 子どもを対象とした知能検査WISC(ウィスク)の第4版WISC-Ⅳを受けさせたところ、ハーヴは四つの指標のうち「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリ」でかなりの高得点を上げたにもかかわらず、「処理速度」で大きく平均を割り込んでいました。「処理速度」は視覚情報を処理するスピードに関する指標で、例えば「黒板に書かれている内容を、目で見てノートに写す速さを問われている」と言えばどんな感じか分かるかと思います。

 ハーヴは指先が白くなるほど強い力で押さえないと、きちんとした字をきちんとマス内に納めることができません。したがって黒板を見て内容を頭に入れ、ノートに目を移して”一生懸命“書く、その”書く“部分に筆圧と集中力を奪われて、せっかく覚えた内容が頭から失われて行ってしまう、そういうこともあり得そうです。小学校2年生のいまは追いつけていますが、このさき写す内容が増えると難しくなるかもしれないと言われています。

 あるいは高校生になって数学や化学・物理学で凄まじい計算力・計算速度が必要となった時、頭が十分に動いていても手がまったくついて行かなない、したがって計算が遅れるといったことも大いに考えられることです。
 
 問題は学力が十分に伸びないということではありません。頭は先に進んでいるのに作業が追いつかない、知識・理解は十分で思考力も十分なのに、それでも競争相手に負ける、そのことによる自己効力感の不全、自己肯定感の持ちにくさ、自尊心の崩壊。
 あるいは私たちにはまったく想像がつかない部分・場所で仲間から浴びせられ心ない言葉、からかい、そこから生まれる被害妄想、不安、自己否定、そういったものが心配されるのです。
(この稿、続く)