「鉄の掟:完食せざる者、デザート食うべからず」~ハーヴとイーツに起こったこと② 

 5歳の孫のハーヴは夕食が食べきれず、そのためにデザートがお預けとなった、
 そして一口も食べられなかったデザート皿は、本人の手で台所に運ばれる。
 ハーヴはそこで激しく泣いた。
 鉄の掟が立ちはだかっていた。
という話。

f:id:kite-cafe:20210204065832j:plain(レストランでの食事風景です。いつもこんな豪華なものを食べているわけではありません)

【その夜、ハーヴに起こったこと】

 5歳7か月の孫のハーヴは夕飯を完食できず、おかげでデザートも食べられなくなって大泣きに泣きました。それを1歳8か月の弟のイーツが慰めたというのが昨日の話の発端です。

 ハーヴが食べ切れなかったのはラーメンだったようです。父方の祖母から送られてきたご当地ラーメンで、どうやら濃厚な豚骨スープが口に合わなかったらしいのです。もともと少食な子なので、少し苦手意識が働くと入らなくなります。母親も5歳のころは少食で、食事時間が終わってもいつまでも残食のあるお皿とにらめっこをしていましたから、遺伝的な要素もあるのでしょう。

 いつまでもだらだらと食の進まないハーヴを見て、母親のシーナが「もう少しでしょ、がんばりなさい」とか、「ホラ、さっきよりだいぶ進んだじゃない、あと少しね」とか励ます様子は容易に想像できます。しかしそれでも箸は進まず、麺も伸び切って、最後は「じゃあ(時計の)長い針が10になるまで頑張って、それでだめなら諦めなさい」ということになったのだと思います。
 それでも食べられなかった――。


【食は強制されざるべきか】

 食を強制することにはさまざまな意見があります。特に学校給食ではかつて清掃時間も使って食べきることを強制した教師もいました(私はそうです)。しかし今はそういうこともなくなっているはずです。
 批判派は、
「人には食べられる量に個人差がある。それをみんなと同じように盛って全部食べろというのは、まさに虐待にそのものだ」
とか言ったりしますが、冗談ではありません。みんなと同じに盛ったら食べきれないなんてバカでも分かります。きちんとそれなりにして渡したのです。

 教師が“何が何でも完食させたい”と意地になるような子の皿の上には、5㎜角のキャベツ1粒しか乗っていない場合だってあるのです。野菜は全部ダメ、魚介類も一切ダメ、味噌汁は具がなければ飲めるといったような子を、なんとかしたいとムキになるのは教師の性としか言いようがありません。
 学校給食は世界中のどんなレストランも家庭もやっていないほど厳密に栄養バランスを考え、成長期の子どもに必要なカロリーなどを計算したうえで提供されるものです。それを食べ残すとしたら少なくとも一日一食が栄養不良のまま終わるということです。その不足分を補うだけしっかりした朝食・夕食を用意できる家庭がどれくらいあるというのでしょう?

 もちろん無理強いをせず、教師が手を抜いて全部残させてもその子が餓死する心配はありません。学校から帰って玄関のドアを開け、「ただいまー、お腹、ぺっこぺこ」と言えばテーブルの上にはショートケーキやらお菓子やらがふんだんに乗っているのですから。
 家庭が甘やかすというよりは、そこまで追い込まれているのです。家でできなければ学校がやるしかない、そうしないとこの子がかわいそうだ、大人になってあちこちで躓いてしまう、その5㎜角を食べることで何かが始まるかもしれない――教師は反射的にそう思ったりしますが、今は食べさせること自体が禁止事項に入ってしまいました。納得できませんが。


【家庭内の鉄の掟】

 話はそれましたが、食事であれおやつであれ、出されたものはすべて食べなくてはならないとシーナは考えます。その点で私と同じです。
 食べなければならないものを、食べられるように計算して出しているのですから、食べてもらわなくてはならないのです。それを完食できずデザートだけは別腹だというのは、お天道様だって許さない――とシーナは考えます(たぶん)。
 こうしてシーナの家では、「完食せざる者、デザート食うべからず」が鉄の掟となります。

 時間が来てもラーメンが食べきれなかったハーヴは、おそらく目の前からデザートを取り上げられたのではないでしょう。鉄の掟ですから粛々と執行されます。
 具体的に言えば、「もう時間だね」あるいは「もういいよ」と言われてハーヴは椅子からすべり降り、食べ残しのラーメンと箸と副菜の皿を台所のカウンターに運びます。それからいったん席に戻って食べることを許されなかったデザートを、手つかずのまま、自分で持って台所に運ぶのです。その姿はやがて自分が架けられる十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう、イエス・キリストにも似ていたのかもしれません。
 カウンターの上にデザートの皿を置くと、ハーヴはそこで耐えきれず大泣きに泣きます。動画に映っているのはまさにその場所です。そこにイーツが慰めに来る。


【5歳児に最も大切なこと】

 鬼ですね、冷酷ですね。しかしその残酷さはまったくの親(私たち)譲りです。
 ルールは一度でも破ると終わりだ――とまでは言いませんが、一度、二度と破ると、三度目からは子どもの側にも期待が生れます。今回もまた許してもらえるかもしれないという期待です。そうなると頑張りもききません。ほどほどに頑張ったところで切ない目で親を、見て許しを請います。
《「もういいから早くデザートを食べて」って言って!》

 親は悩みます。
 前回許したときとその前許さなかったとき、そして今回の状況を計量してハムレットみたいに「許すべきか、許さざるべきか、それが問題だ」と悩むのです。しかしこの問題には要素が多すぎて容易に答えにたどりつきません。
 それをほぼ毎日やらなくてはならないのです。たいていの親はここで挫けしまい、ルールがなくなってしまうのです。

 シーナそうではありません。この冷酷な母親は粛々と掟が実行されるのを待ちます。ハーヴはこれまで奇跡が起こらなかったように今回も起こらないこと知っていますから、黙って従うだけです。たとえ苦しくて嗚咽を漏らそうとも、ルールが変わることはありません。

 可哀そうです。本当に可哀そうです。大甘のジジとしては側にいればひとこと助け舟を出したいところです。しかし側にいても、実際にはしないでしょう。
 家庭内に鉄の掟があって常に試されているということが、5歳のハーヴにとってとても大切なことだと知っているからです。

(この稿、続く)