ハーヴにDCD(発達性協調運動障害)があるとして、
重複障害はないのか。何か原因めいたものはあるのか、
予兆は? そしてこれからどう対応していくか、
そして私は?。
という話。(写真:フォトAC)
【重複障害の可能性】
ハーヴのDCD(発達性協調運動障害)はきちんと診断の着いたものですからこれは間違いないのですが、DCDは注意欠陥多動性障害(ADHD)や自閉症スペクトラム障害(ASD)との重複障害、もしくは並立も少なくない障害です。そこでADHDやASDの可能性を疑ってみると、確かにそれらしい面がないこともありません。
例えば勉強は好きなのに集中力に欠け、ケアレスミスの多いこと、おそらく身体接触が苦手でハグされてもあまり喜ばないこと、幼児期は裸足で砂や草を踏むことがほんとうに嫌いだったこと、ひとから誉められることに執着せず、誉めることが成長にもストレスにも繋がっていかない感じのすること――などがそれです。もしかしたら軽度のADHDやASDはあるのかもしれません。
ただし今のところ生活に支障をきたすほどではありませんから、障害というには不十分でしょう。様子を見ます。
【心当たり】
思えばハーヴは最初から親に心配をかける気がかりな子でした。
60時間を越える難産の末に仮死状態で生まれ、新生児の健康状態を示すアプガー・スコア(10点満点)は、最初の1分でわずかに2点、5分後判定でも4点しかありませんでした。7点が正常値の下限ですからかなり低い数字です。その7点をようやく越えたのが7分後。かなり深刻な子育ての始まりでした。
(2015-09-14「いのちのこと」1~シーナは幸福とともにある以下 2015-10-06「いのちのこと」14~まとめまで)
その後、新生児仮死が成長にどう影響するのか、母親のシーナと父親のエージュは息を飲むように育ててきました。しかし3カ月検診で言われたのは全く予想外の「太りぎみ」。
その「太りぎみ」を解消して出かけた6・7カ月検診では、「顔にかけられた布を払いのけるテスト」でうまく通過できず、他の子ができる「寝返り」もまったくする様子が見えません。
できたのは手を前についてのお座りが2・3分、支えてもらっての立ち姿勢がバランスよくとれるようになってきたことと、その程度です。
さらにほかの子たちが急速に成長を遂げる9カ月・10カ月に《置いて行かれる感》がたっぷりで、寝がえりしない、ズリバイしない、ハイハイしない、バイバイしない、(手を合わせての)パチパチしない、模倣しない、親指使って物をつまめるかはちょっと怪しいといった感じの「ないないづくし」。せめて「ハイハイ」をするようになってからと2カ月も先の伸ばしにして行った9・10ヶ月健診では、「約3ヶ月、発達が遅れている」と医師から指摘されてしまいます。
さらに半年後の1歳半検診では積み木を積む検査が通過できず、絵を見て「ワンワンはどーれ?」と問われ指で答える「指さし」もまったくできなかったようです。そもそも何を要求されているのかさえ理解できない――。
のちに自閉症と診断される子どもの多くが、この「ワンワンどーれ」のテストで求められる「応答・報告の指差し」を獲得しにくいと言われています。その日のハーヴは『要観察』の判定がつけられて帰ってきました。
【それほど気にもせずに来た理由】
ただしシーナには、さほど苦にする様子はありませんでした。実際はそうでもなかったのかもしれませんが、出産時に覚悟した「この子は重大な障害を持つことになるかもしれない」という思いに立ち返れば、たいていのことは恐れずに受け入れられたからです。
やがて1歳半の発達課題を医師が予言した通り「3カ月遅れ」で通過すると、あとは何事もなかったかのように忘れてしまいました。これといった問題も見つからなかったからです。
弟のイーツが生れてある程度成長し、兄の特異を身をもって指摘するようになるまで、たくさんのことが日常の中に隠されてしまいました。
数字が好きで足し算や引き算に早くから興味を持ち、簡単な文章もすらすらと読めるようになる、5歳の誕生日に希望したのは「日本地図パズル」といった《賢さ》に目を奪われて、ペットボトルが開けられないといった不都合やそれが意味すること――将来、友だちからバカにされるとか、バカにされる前に自分で気づいて傷つくとかいった可能性――には、ほとんど気づかず来たのです。
【ハーヴの今と私の想い】
この二学期から、ハーヴは学校の特別支援学級に通級して訓練を受けるようになりました。
母親のシーナは今のハーヴと同じ小学校2年生のころ、あこがれていた登校班の班長が特別支援学級に入っていくのを見て、羨ましくてしかたがなかったことを覚えていました。ですから小学校2年生だったら、抵抗なく支援学級に通級できると踏んだのです。正解でした。
原級のどの授業を空席にして支援学級に行っているのかは知りませんが、楽しんでいけるとしたら良いことです。DCDが完全に克服されることはないと思いますが、ひとつでもできないことが減って悔しく思うことが少なくなれば、それが本人に最もよいことであるのはもちろんです。
私はハーヴを支援学級に通級させるというシーナやエージュの判断を尊重し、支持します。私がハーヴの親でも――あるいは20年遡って自分の子のシーナやアキュラが同じ問題を抱えていたとしても――何の躊躇いもなく支援学級通級を選択します。なぜならその方が圧倒的に得だからです。
もちろん他人からアドバイスを求められても「絶好のチャンスです。是非とも通級させましょう」と言うに決まっています。それなのに――、
元教師でも元父親でもない祖父としての私は、心の片隅で、
「昔なら対応しなかったことじゃないか、そこまでやらなくてもうまく行くかもしれないじゃないか。なのにひとりだけ違うことをさせるのは、かわいそうじゃないか」
と思ったりしているのです。ほんとうに少々、ほとんど目に見えない、様々な思いの辺境での話です。
5年ほど前に亡くなった妻の母親はは、私たちが子育てをしている間じゅう、
「『おばあちゃん子は三文、安い』、年寄りは自分が寒いので、すぐに孫に着せて子どもをダメにしてしまう」
そう言って手出し口出ししないように気を遣ってくれました。
真似しましょう。本当にジジババの孫に対する思いと言うのは、ロクなものではありませんから。