カイト・カフェ

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「大人社会はコンニャクのように、撥ね退けるか取り込む」~過渡期の結婚問題を考える②

結婚式というのはけっこう厄介な行事だ。
形式自体は古いので歴史の滓(おり)がたっぷりついている。
しかしそれを完全に払しょくすると、
今度はついてこれない人が続出する、
という話。(写真:フォトAC)

【大人社会はコンニャクのように、撥ね退けるか取り込む】

 もちろん今後私自身が結婚式を挙げることはありませんし、ふたりの子どもも既婚者ですので再び結婚式に関わる可能性は極めて低いのですが、それでも式にこだわるのは、これを巡って新旧の価値観がぶつかり合うことが少なくなく、もち方によっては親子関係にひびの入ることもあるからです。

 昨日取り上げた記事の女性も、
「今まで生きてて、短期間でこんなにジェンダーバイアスを感じたのは結婚式が初めてだった」
と言うように、普段の生活の中では価値観の相違が目立つことは稀です。しかしいったん壁が見えると、古い価値観で構成された大人の社会はおどろくほど堅牢です。ただしそれは鋼のように固いものではなく、言わばコンニャクのように柔らかく、押せばかなり奥まで押し込むことはできるものの、ある程度まで行くと押し返すようになり、それでも無理に押し込もうとすると思いもかけない力で跳ね返すか、逆にそのまま飲み込んで我が手のうちにしてしまう、そんな存在です。

 ジェンダーバイアスに苦しんだ昨日の女性も、結婚式そのものは良い思い出になったらしく、
「結婚式は挙げてよかったと心から思っている。人からお祝いをしてもらって、私の幸せをみんなも幸せと思ってくれていることにエネルギーを感じた」
などと呑気に言っていますが、参加者の大半は大人ですから女性の幸せを喜んでいるふうに装うってくれますが、内実はどうか――。気の付かないところで呆れられたり見捨てられたり、あるいは恨みに思われたりといったことがなったかどうか、私は心配しています。

【年寄りは大切にしなければ恨み、死んでからは祟る】

 私のような年寄りは、
「招待状はウェブ招待状、ご祝儀は『PayPay』で、写真はGoogleで共有」
などといった結婚式に招かれたら、素直な気持ちではいられないのです。私自身はPayPayこそ使っていませんが別のキャッシュレスでバーコード決済には慣れていますし、ウェブサイトもブログも運営しているくらいですからウェブ招待状も苦にしません。写真のGoogle共有も大丈夫です。しかし仲間の中にはそういうことのできないひとも大勢います。そうした私たち年長者を脇に置いたような結婚式に招かれて、新郎新婦の幸せを自分の幸せのように感じろと言われても、浮かんでくるのは呪いの言葉だけです。

 結婚式を行うから来い、時間を使え金を使え、祝儀を出せ祝えと言うなら、その前に敬意を示してもらわなくてはなりません。それができないのなら、分かり合える仲間だけを呼んで、その人たちとだけで祝えばいいのです。価値観を同じくする友だちだけだったら新郎新婦の幸せは皆の幸せということもあるのかもしれません。
 しかし招待客を広く取り、老若男女、多くの人々に祝ってもらいたいなら、扱いは慎重にし、配慮を尽くす必要があります。それすらも面倒くさければ、お仕着せの式で済ませておけばいいのです。

【姉は当たり前の結婚式をして親に楽をさせた】

 なぜ「お仕着せの式」がいいかと言うと、そうした既製品ならすべての人が経験に照らしたり調べたりすれば了解しあえるからです。阿吽の呼吸でできることも多々あります。

 私の娘のシーナはある意味で至極ありきたりな結婚式を挙げました。結婚式場に併設された教会で挙式。続いて披露宴。衣装はウェディングドレスと色直しは色打掛です。新郎もそれに合わせたタキシードと紋付き袴。ウェディングケーキ入刀もあれば、式の最後の新郎の父親の謝辞、新郎謝辞とフルセット。仲人を置かないのは平成方式、キャンドル・サービスがないのは今流です。
 費用は両家折半。新郎家はより多く出すことにこだわりましたがこれも今流で折半にしてもらい、我が家の払うべき費用は全額私が出しました。“結婚式は家と家との結びつき”という建前では、当主たる私が出すのが当たり前です。もちろんいただいた祝儀は未開封で全額私が持って帰りました。

 当たり前の式にした娘ですが、一般的でなかった部分もありました。節約できるところは徹底的に節約したのです。例えばウェディイングドレスは私の妻の友人が、自分の娘のためにつくったものを1万円でいただいたもの。もっとも妻の友人はプロなので30万~50万円のレンタルに引けを取るものではありません。色打掛は貸し衣装会社のキャンペーンに応募して50万円のものを5万円でレンタルしたとか。結局、私が払ったのは祝儀総計との差し引きで80万円ほどでした。

【弟は親に気を遣って、かえって面倒なことをした】

 弟のアキュラも同じことしてくれれば問題はなかったのです。シーナのように節約ができず100万~150万円とかかったとしても、「親が子の結婚式を行った」ことには変わりないからです。ところがアキュラの方は、
「二人で話し合って、自分たちのお金でやることにした」
と、世間的には誉めてもらえることかも知れませんが、「当たり前」の観点からすれば極めてイレギュラーな提案をしてきたのです。息子夫婦としては「親に迷惑はかけたくない」ということなのでしょうが、それでは私は困るのです。娘の時は出してあげたのに、息子の場合は出さない、では落ち着きません。
 本人が「自分たちの金で」と言っている以上、援助するわけにもいきませんし、姉弟で差のついた分を遺書に「シーナについては結婚式の際、80万円出しているので、遺産はアキュラに80万円厚く」というのも何となく嫌です。

 どうしたものかと思案していたら式の招待状が届いて、見ると差出人はアキュラと妻のサーヤになっています。シーナの時の招待状は新郎の父親と私が差出人でした。そうなると私は単なる招待客のひとりですから、祝儀として相応の金額を持って行けばいいだけのことです。
 市販の祝儀袋に80万円を入れるのは新券の薄さでも大変でしたが、これで姉弟のバランスを取ることができました。しかし式が始まってしまうと、私たち夫婦はどうやら単純な招待者ではなく、ジャケットを着せたり花束を渡したりする仕事があったり、両家代表の挨拶をしなければならなかったり――そもそも個人と個人の結婚式なのに「両家」などという言葉が出て来たりと、姉の結婚式と大差ないものになっていました。だったら――と私は思うのです、
 だったら「自分たちのお金で~」などと言わずに、昔ながらのやり方でやればお互いに楽だったのに、そう思ったわけです。
 (この稿、続く)