カイト・カフェ

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「結婚式のジェンダーバイアス」~過渡期の結婚問題を考える①

 ジェンダーフリーの考え方からすると、
 結婚式はジェンダーバイアスだらけだという。
 しかし待て、
 結婚式はそもそもそういうものではなかったのか?
という話。(写真:フォトAC)

【結婚式のジェンダーバイアス

 最近のネットニュースを見ていて「はて?」と首を傾げた記事のひとつは、
「今まで生きてて、短期間でこんなにジェンダーバイアスを感じたのは結婚式が初めてだった」という内容の記事です*1
 ジェンダーバイアスとは、「男らしさ」「女らしさ」など男女の役割を勝手に決めつけてしまう偏見のこと
だそうで、例えば、招待状に自己紹介を書こうとしたら、実際に作成しているのは新婦だというのに新郎を先にした方がいいと言われたとか、披露宴の最後の謝辞も、新婦である「私もしたい」といったところ、司会者に「新郎が言った方が締まる」とアドバイスされたとか。
 結婚式の定番のブーケトスも、既婚者が参加できない――ある意味、独身者を炙り出すイベントで、考えてみれば『キャッチできたら次に結婚できる』というのもかなりお節介な話だと感じて、結局やめることにしたとか。
 その他、
 ご祝儀は「PayPay」で、写真はGoogleで共有、お互いに名字を変えることに抵抗があり事実婚を選択した
とか――。

 私の「はて?」は、PayPayにアカウントを持っていない人は祝儀を払わなくて済むのか、全員にPayPayに入るようにしてもらったのかとか、インターネットの使えない人、Googleにアカウントのない人(例えば祖父母・両親)などは写真がもらえないのかとか、ウェブ招待状のURLはどのように伝えたのかとか、山ほどあるのですが、それらすべてをさしおいても最も聞きたいのは、一番基本的な部分、「新郎新婦(“婦”は“女”に“帚〈ほうき〉”)」とか「花嫁(“嫁”は“女”に“家”)」とかいった、いかにも使われ勝ちでジェンダーバイアスの塊みたいな用語を、式の中でどのように回避したのかということ。あるいは“妻となる人”(“新婦”を避けた言い方)はウェディングドレス、“夫となる人”はタキシードといった思い込みを,どう是正したのかということです。
 神式だったら三々九度の順番、キリスト教式だったら“夫となる人”が先に入場し、妻となる人”はあとから父親と一緒に入場するというジェンダー・バイアスを、記事の女性はどう乗り越えたのでしょう、それも聞いてみたいところです。

 ブーケトスは独身女性を炙り出て「次はあなたよ」と決めつける余計なお節介という言い方は受け入れてもいいのですが、だったら貴重な一日(前泊後泊が必要な場合は3日間)と交通費を含めて数万円の費用を払って式と披露宴に参加する人の立場も考えなくてはなりません。「妻となる人」「夫となる人」は“招待”という形で「近しい人」と「そうでない人」を仕分けました。それは見方によれば他愛ないブーケトスよりもはるかに罪深い行為なのかもしれません。
 さらに言えばその中に独身者が含まれる場合、式や披露宴はマウントを取る行為になりませんか? そう捉えるひとがいないわけはないと思うのですがいかがでしょう。
*1:ブーケトスは余計なお世話? 招待状に謝辞も…「結婚式はジェンダーバイアスだらけ」新婦の訴え

【他に道はあったろう?】

 まるっきりイチャモンのつけ合いみたいですが、元々が家父長制的でジェンダーバイアスの集合体みたいな結婚式・披露宴に、それらを否定する概念を持ち込むから面倒なことになるのです。
 ほんとうにそうした概念が大切ならば、式は市役所に婚姻届けを出すことで終了し、披露宴は普段着の立食パーティ程度で済ませればいいのです。今や式も披露宴もせず、やっても写真撮影だけというカップルが37%にも上るのです*2。ムダに結婚式だの披露宴だのを開いてその上で、封建的だのジェンダーバイアスだの言って不快になるのもいかがなものでしょう。
*2:マイナビウエディング「2023年 結婚・結婚式の実態調査」

 (この稿、続く)