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「私たちのガバナビリティ:誰にも迷惑をかけたくないという信念」~いちおう終わったことになる新型コロナ禍の、数字で見る世界⑥

 マスクも自粛も、他人の目に強制されてやったものではない。
 それが私たち日本人のガバナビリティだからだ。
 その力によって8度、感染拡大を抑えた。
 しかしウイルスは、まだ感染の余地があると言っているようだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【ガバナビリティ(governability)】

 統治というのは国家と国民の相互関係で、国家がどんなに素晴らしい理念を掲げたところで、それにふさわしい国民が育っていなければ無意味どころか危険ですらあります。明治の初年、日本政府の代表者が西欧に憲法の勉強に行った際、まだ早いと一蹴されたのもそのためでした。
 1930年代になって理想主義的なワイマール憲法の下でヒトラーが出現したのもそのためですし、ソビエト連邦は70年におよぶ残酷な社会実験の後に滅ぼざるを得ませんでした。民主主義や社会主義が悪いのではなく、人類がそれを実現するためにはまだまだ未熟だったということかもしれません。

 自主的により良く統治されるための国民の能力を、ガバナビリティ(governability)というのだそうです。これは掌握されやすい、屈しやすいということとは違い、自ら政府を信頼し、政府が信頼に応えようとしている限りは、こちらも可能な限り協力しようと考え、実際に行動に移せる能力だと考えてもいいでしょう。
 日本人のガバナビリティに最初に注目し、これを称賛したのは大統領時代のビル・クリントンでした。スキャンダルもあって苦労していましたから、日本の為政者が羨ましかったのかもしれませんね。

【誰にも迷惑をかけたくないという信念】

 政府が国民にうがい手洗い・マスクを推奨し、三密を避けるよう呼びかけて自粛を要請すると、世界で最も厳しいロックダウンに似た状況が生まれる――それが日本人のガバナビリティです。

 この国で最も重要な価値は「他人に迷惑をかけない」であって、どんなチンピラでも人に迷惑をかけているかどうかを気にして、ときには「誰にも迷惑かけてねぇじゃねえか!」とか叫ぶものです。頭のてっぺんからつま先までどっぷり浸かった自由主義者も、「人に迷惑をかけない限り、何をやってもいいのです」と制限付きの自由しか主張できないのがこの国です。
 今回のコロナ禍ではそうした国民性がいかんなく発揮されました。

 緊急事態宣言が発令されている間じゅう人々が外出を控えたのは、単に感染するのが怖かったからだけではなく、ましてや政府に言われたからでもありません。新型コロナウイルスは感染すると自覚症状もないまま他人にうつす可能性があると知ったからです。
 自らが感染して仕事に穴をあけ、“他人に迷惑をかける”のは怖い。しかしそれより恐ろしいのは自らの感染に気づかないまま他人にうつし、その先で誰かが大変な目にあったり、死んだりすることを怖れたのです。

【果たしてあれは同調圧力だったのか】

 今回、コロナ禍の際中、「同調圧力」という言葉が盛んに用いられ、
同調圧力に屈しての自粛ならしなくていい」
同調圧力でマスクをするくらいならしない方がいい」
といった風潮が生まれたことを、私は非常に残念に思っています。なぜなら日本人のほとんどは同調圧力のために仕方なく自粛し、仕方なくマスクをつけたのではないからです。

 もちろん満員電車の中やラッシュアワーの人混みで、マスクをつけなければ千の視線に射られたような気持ちにもなるでしょう。インタビューを受ければ「人の視線が気になる」という言い方にもなります。
 しかし胸に手をあててよく考えてみましょう。私たちがこの2023年の5月も末になろうという時期でも、時と場所によってはマスクをつけたくなるのは、誰かに注意されるかもしれないからでしょうか? みんなが冷たい目で見るからですか?
 
 どうです? 違うでしょ?
 自分がマスクをしないことで、周囲にひとりでも不安になったり嫌な気分になったりする人がいるかも知れないと考えたら、気持ちが落ち着かないからですよね? 見知らぬ誰かに迷惑をかけないで済むなら、マスクをつけるなんて大した問題ではないと、そんなふうに思っているからでしょ?
 私なんぞは3月のツイッター上に、
「マスク外して良くなるのはいいけど、マスク越しでもわかるおじさん達の口臭を直で受けるのは無理だなマスクしてて欲しいな…。こちらもしとくから、頼むよ…。」
というつぶやきを発見して、一生マスクを放さないと決心したほどです。

【第九波は必ず来る】

 いずれにしろ私たちは、この国の特異な国民性によって8度に渡って感染拡大の危機を乗り越えてきました。その様子は下のグラフからも分かります。   
 しかしお気づきでしょうか、感染拡大の波はオミクロン株の流入した六波から七波・八波と次第に大きくなっているのです。この形は他のどの国とも似ていません。他の国々は爆発的な感染の後、感染拡大の規模は次第に小さくなってきているからです。(イギリス・イタリアの右のほう(最近の部分)は、一週間あるいはそれ以上をまとめて報告するようになったため人数が増えているように見えるだけで、実際にはさほど増加しているわけではありません)

 こうしてみると日本の第九波は必ず来ますし、今まで以上に大きな感染拡大となる可能性もあることがわかります。ウイルスに言わせれば、まだ十分にいきわたっていない――そんな感じなのかもしれません。
(この稿、次回最終)