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「日本が危機を乗り越えた四つの要素」~いちおう終わったことになる新型コロナ禍の、数字で見る世界⑤

 欧米に比べて極端に少ない感染者数、死亡者数。
 そこから日本人の中に眠る「ファクターX」が想定された。
 オミクロンによる大規模感染でその可能性は消えたが、
 日本には他にない、特殊な事情があったのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【ファクターXとは何だったのか】

 2020年3月末から4月にかけての第一波感染拡大、同年8月の第二波感染拡大、この二つの山を越えても日本における新型コロナの死亡者は一向に増えようとはしませんでした。第一波のピークで30~35・36人、第二波では最大でも20人ほどで、ここから日本人は新型コロナウイルスに罹りにくい、罹っても死なない何らかの要因があるのではないかと考える人たちが出てきました。なにしろ同じ時期、ヨーロッパでは1日に1200人~1300人、アメリカ合衆国に至っては日々2500人もの死者が出ていいたのです。しれと比べたら、日本の「せいぜい二けた、しかもまるっきり前半」はあまりにも特異に思えたのです。
 iPS細胞の山中伸弥先生は、これをファクターXと呼びました。

 ファクターXの正体として考えられたのは、例えば世界的には廃れていたBCGの予防接種。しかしすぐに同じ接種国のイスラエルから反論が出されます。そんなの関係ない!
 MARSやSARSの時期に、日本へもほとんど目立たないコロナウイルスが伝播しており、それがいつの間にか免疫をつくっていた、といった話も出ました。しかし“そこまで目立たないウイルス感染が東アジアで留まっているはずがない”といった反論を受けてあえなく撃沈。
 日本人はハグや握手・キスといった身体接触が少ないからという話も、じゃあオーストラリアやニュージーランドはどうなんだという話になり、結局わからずじまいでした。

 しかし現在、もはや誰もファクターXについて話題にしません。2021年の三波・四波・五波、そして22年の六波・七波、23年にかけての第八波、そうした感染状況と死者数を見ると、少なくとも抗体だの遺伝子だのといったレベルでのファクターXなどなかったことは明らかだからです。


【日本が危機を乗り越えた四つの要素】

 ただそれでも、欧米が絶望定的な感染拡大を続けていた2020年、あるいは3度の波に襲われて、われわれ日本人でさえもいよいよダメかと思われた2021年、日本はどのようにして危機を乗り越え、ワクチンが行き届いて治療薬や治療法に進展の見られた2022年まで頑張ることができたのでしょう。
 これについては四つの要素があったと私は思っています――というか2020年7月5日付のニューズウイークに書いてあったことが、結局、正しかったと思うのです。「ファクターX」が語られ始めて間もない時期の記事です。やはり力のあるライターは見る目が違います。

www.bbc.com

第一は運。

 2020年の一月末から2月にかけて、春節の休暇で日本に押し寄せたあれほどの中国人観光客を受け入れながら、3月に入ってもまだ感染経路がたどれる程度にしか感染が広がらなかったのは運としか言いようがありません。
 韓国ではすでに2月下旬に宗教団体で大規模なクラスターが発生し、スペインやイタリアは大感染拡大のとば口に立っていました。日本政府も慌てて全国の学校を休校にしたりしましたが、それは実質的な感染拡大の抑止策というよりは多分に警告的な意味があったように思われます。

 私はかつて社会科の教員として歴史を教える中で、わが国の運の良さに心から感心するとともに、周辺の国々に申し訳ない気がすることも少なくありませんでした。モンゴル来襲に際してなぜ二度までも暴風雨が訪れたのか、イエズス会を先兵に植民地された国はいくつもあったのになぜ日本だけはそうならなかったのか、幕末に開国を迫ったアメリカはなぜ手をひたのか、第二次大戦後、日本はなぜドイツや朝鮮のように分割されずにすんだのか――それと同じです。

第二に、誰が何と言おうとやっぱりマスク

  日本人は昔からマスクと相性がよく、マスクが好きでした。2020年の3月、店先からマスクが払底すると小さなパニックになったのも、マスクに対する信頼と信仰が深いからに他なりません。

kite-cafe.hatenablog.com いわゆる“アベノマスク”はケチョンケチョンの評判ですが、布でもカーゼでも何でもいい、とにかくマスクをしていたいという一部の国民の心情に応えるものでした。あれを機に、さまざま布マスクが世間に出回って、私たちは一息つけました。

第三は「三密」

 このわかりやすい概念が日本独自のものだったというのは驚きです。のちに“Three Cs”という言葉で海外にも知らされますが、「換気の悪い密閉空間」「多数が集まる密集場所」「間近で会話や発声をする密接場面」――そこから想起されるカラオケやライブ・ハウス、クラブは早期から避けられました。とりあえずそこだけは何とかしようという合意の結びやすい言葉だったのです。
 おそらく今後、新たなウイルス感染が広がっても必ず持ち出される便利な言葉となるでしょう。そして、

最後は政府の方針を良く守ろうとする国民

 日本では一度のロックダウンも実施されませんでしたが、政府の要請だけで最も厳しいロックダウンに近い状態が維持されたのです。そのたびに感染の拡大は押さえられます。
 下のグラフの示すところがそれです。