カイト・カフェ

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「私たちの轍は踏まないでほしい」~東日本大震災以降14年之夢⑤

 強い労組を失った教師たちは惨めだ、
 自分たちの大切なことが雲の上で決められていく。
 危機に際して必須のものが、平時にお荷物に見えた、
 そんな私たちの過ちを、キミたちは繰り返さないでほしい。
という話。(写真:フォトAC)

【知らないうちに追い詰められていた】

 残業代の代わりに公立学校の教員に給料月額の4%を現行支給する教職調整額を、50年ぶりに改善する給特法改正案が先月2月7日に閣議決定され、今通常国会で審議される運びとなっています。来年1月から1%ずつ段階的に引き上げ、6年後の2031年には10%まで拡充する計画です。

 文科省は初め、調整額を来年度(今年4月)から一気に10%以上の増額することを目指し、一時は12%という数字まで示して気勢を上げたのですが、財務省は頑として受け入れず、逆に「教員の残業時間削減の実績に応じて調整額を上げよう」と提案してきました。教員の働き方が今のままだと、たとえ調整額を上げたところですぐにまた給与を上げろといった話になる、そう考えたのです。
 そもそも公立学校教員の待遇改善は現職教員の苦労を慮ってのことではなく、「学校教育の質の向上に向けて、教師のすぐれた人材を確保するため」*1ですから、働き方改革が先行もしくは同時進行でなくてはなりません。収入は増えた(6年後に21000円ほど)が無給残業は100時間のまま*2、では人材など確保できるはずがありません。

 おそらくそこから文科省財務省の激しいやり取りがあって、結局、文科省は小中学校や教育委員会を吊るし上げてでも残業時間は減らすから、公言した10%以上は実現してくれと懇願し、財務省は「じゃあ様子を見ながら、6年間、1%ずつ、ゆっくりとやってみましょう」ということになったのだと思います。

 教員数も増やさなければ授業時数も減らさないまま学校や教委を吊し上げれば、当然、持ち帰り仕事は増えます。教員の時間外労働の大部分が不可視化され、教職の困難はさらに深まる。酷い“改善”です。なぜそんなことになってしまったのか――。
 答えは簡単です。調整額をどうするか、働き方改革をどうするかという大問題に、文科省財務省は侃々諤々の大議論をしたかも知れませんが、肝心の教職員はまったくの蚊帳の外、ひとことの発言もしないうちに話が決まってしまったからです。

【何もなければ教員組織などいらない】

 もちろん教師たちが調整額に無関心だったわけではありません。ネット上ではSNSを中心に侃々諤々の大議論、喧々囂々の文科省財務省批判が渦巻いていました。しかしそれにも関わらず議論をまとめて政府に持って行く人がいなかったのです。
 昭和時代だったら労働組合日教組日本教職員組合)が大量の署名を抱えて文科省や内閣に陳情を重ね、抗議文を送り、代表が面会を求めてひざ詰め談判をしたものです。国会議員にも教組を支持基盤とする人がいましたし、マスメディアも、たとえ形式的にしても教組の意見を聞いて報道しないわけには行かなかったのです。
 現在でも日教組は19万5000人あまりの組合員をもつ組織率19.2%の教職員最大の組織です。それにも関わらず、マスメディアはテレビに露出の多い名古屋大学教授:内田良氏の関わる教員グループを教職員の代表のように扱って取材したり報道したりしています。正直言って調整額について正反対の考えを持つ人たちなので、私としては彼らに教職員を代表されるのは非常に困るのですが――。

 何も問題がなければ労組などなくてもいいのです。組合費は取られるわ、集会には参加しなければならないわで労組なんてロクなものではありません。あんなもの、なくたって「誰も困らない、むしろ楽なくらい」なのです。
 しかし今後数十年の自分たちの働き方が決まろうという時に、教師自身は何の影響力ももたず、ネット上で怒鳴り、抗議しながらも、現実としてはただ政府の善意に期待し、善き政策が「お上」から下されるのを待っているだけです。そんなバカなことがありますか?  だれがこんな状況をつくってしまったのでしょう?*3

【一人では対処できないものへの対応】

 文明というのはもともと人間が個人で対処していたことを、道具や機械、システムに代行してもらう仕組みのことを言います。
 ですから世界4大文明というとき、そこにあるのは青銅器や鉄器、馬車や戦車といった道具や機械とともに、国家という組織が重要になります。国家は最初、ひとりでは対処できない大規模農業工事だとか、外敵の侵入から身を守るためにつくられました。あくまでも必要が出発点でした。
 近代にいたってつくられるようになった労働組合も、経営者に対して立場の弱い労働者を守るためのもの。町内会もPTAも、自らの要求を貫徹したり構成員の福利のためにつくられたものです。
 
 結婚式は地域及び姻族集団への入団式のようなもので、構成員に加わったことをお披露目するために《披露宴》を開きます。来ていただいた来賓名簿はそのまま「いざというときに頼っていい人リスト」として使えるもの、逆に言えば半分はそのリストを手に入れるための披露宴でした。
 葬式は少し違って基本は除霊と厄除けですが、同時に人間関係の引継ぎ・再構築という側面があります。喪主の挨拶の締めくくりとして、
「生前父にしてくださったように、今後とも、私たち家族と変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします」
とか、
「生前賜りましたご厚情に対し、深くお礼申し上げると同時に、今後私どもに、変わりのないご厚情を賜りますようお願いいたします」
という言い方をするのはそのためです。

【あの日だから“絆”を理解した】

 14年前の東日本大震災の際にあれほど大切に思えた人間どうしの絆が、およそ三年半のコロナ禍を経てすっかり色褪せてしまいました。コロナの時期、家族以外の活動がほとんどを停止しても、何も変わらなかったからです。むしろ“楽さ”だけが記憶に残りました。けれど思い出してください。14年前に「絆」があれほど大切に思えたのは、危機が目の前に見えたからなのです。命も文明も儚く拙いもので、簡単に失われると、思い知ったからなのです。

 労働組合も町会も、結婚式や葬式が更新する親戚や地域の人々との人間関係も、普通に生活しているときはさほど重要ではないのです。しかしいざという時、困った時、誰かに助けを求めたいとき、それらは突然、輝きと重要性を増します。
 フジテレビ労組は今年1月当初の時点で80人の組合員でしたが1月23日には約500人に増加したといいます*4。それでもいいのですが、遅くとも3年前に500人いたら、そもそも問題は火種さえ生まれなかったのかもしれません。

 PTAを解散した学校で大きな事件が起きたら、誰が代表として学校と話し合い、追及してくれるのでしょう? あるいは子どもたちの学習環境改善のため、誰が市教委に赴いて掛け合ってくれるのでしょう? 校長は地域の情報を拾ったり探ったりするのに誰を頼りにしたらいいのでしょう?
 今は町会長を通して行っている「家の前の道路が傷んだ」だの「街灯が切れている」だのいった話は、どうやって市に頼めばいいのでしょうか? そもそも頼む相手は「市」でいいのかどうか――。

【私たちの世代の轍は踏まないでほしい】

 人類が身を守るためにつくり、纏っていた防衛のための組織を、私たちはひとつひとつ脱ぎすてて今は裸同然になろうとしています。私たちはいつ、組織を使わずにすべてをひとりで対処すると、覚悟を決めたのでしょうか? ほんとうに大丈夫なのでしょうか? 
 私の世代が労働組合の力を削ぎ、現代の教師たちを政治的に無力化してしまったように、現在の現役世代が、将来の地域住民や保護者、家族関係の道を閉ざさないといいのですが――。私たちの世代の轍は踏まないでほしいものです。

(この稿、終了)

*1:公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法等の一部を改正する法律案の概要

*2:小学校高学年をみると学校六日制で登校日数が240日もあった昭和時代と同じ授業時間(年間1015時間)を、いまは学校五日制200日でやらなくてはならないのですから苦しいに決まっています。中学校も同じ1015時間ですが昭和時代は1050時間もやっていたのですから、それよりは楽になっています

*3:日教組が力を失ったことについては、政府・マスコミによる激しい締め付け、身近な要求を丁寧に扱わず極端な平和運動に傾いた執行部の姿勢、そして急激な多忙化の中で組合運動を省みなかった平成の教職員すべて(私を含む)に責任があります。

*4:フジテレビの労働組合員数急増の背景と意識変化