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「ウラジーミル・プーチンを子どもたちにどう教えるか」~ウクライナ戦争を巡る断想③

現在進行形の政治状況を子どもたちに教えることは難しい。
評価も定まらず変化も大きいからだ。
しかし目の前の具体的な事象を教えずして何の教育か。
そこで私はこんなふうに話した。
という話。(写真:フォトAC)

ウラジーミル・プーチンを子どもたちにどう教えるか】

 真実も歴史的評価も定まっていない現在進行形の社会的事件を学校でどう扱うか。これはけっこう厄介な問題です。正しいと思っていたことが間違っていたり、偽情報が飛び交ったり、うまく行ったと思ったことが過ちの第一歩だったりといったことは政治に限らず多くありがちなことです。
 しかし逆に、教師がいま起きている生々しいできごとを扱わないで何の教育か、という考え方もあって、それもまた正しい見方と言えるでしょう。
 
 そこで私は時事問題を朝の会の話題として、子どもたちの目をニュースに向けるだけで深入りをしないようにしました。社会科などの時間に扱うとどうしても時間が長くなり、授業計画も狂ってしまいますが、朝の会だったら長く話せても10分が限度、余計なことを言わなくて済みます。
 内容も「テレビではこう言っていた」と、事実を分かりやすく説明するだけで終わりです。
「あとは自分で考えてください」
 
 毎日10分、五日連続で話せば50分の授業を1時間やったのと同じです。わずか10分ですから集中できる授業5セットと考えると、むしろ普通より有意義な指導ができた場合もあったのかもしれません。もちろん興味のない子もいますから五日連続ということはなく、続けてやっても三日が限度で他の日は別の話をしていました。しかしそれでも、生徒が大人になってから招かれた同窓会では、朝の時事ネタに記憶のある子は少なくありませんでした。

【世界は不正に満ちている。しかし正そうとする人々も少なくない】

 しかし時事ネタを語るにしても、それが国内問題だったらまだしも、国際政治となるとさらに扱いが難しくなります。そこでは必ずしも正義が貫かれるとは限らないからです。不正も横暴も人権無視も平気でまかり通っています。それにもかかわらず国際社会はしばしば不正を放置しているかのように見える、そうした点を子どもたちに納得させることが難しいのです。私も具体的に何もしていない一人です。
 仕方ないので、私はこんなふうに言っておきました。
 
 国内にいる限り、キミたちは自由で平和で平等でいられる。
 多少の問題はあってもこの国の人間である限り、キミたちが不当に自由を制限されたり平和を脅かされたり、あるいは不平等な扱いを受けたとしてもと、必ずどこかに解決の糸口はある。
 社会科をしっかり勉強して、どこに解決策があるか、困ったらどこに行けばいいのか、市役所か裁判所か警察か福祉事務所かその他か、せめてそれだけでも覚えておいて大人になったら自分自身や友だちを助けるために知識を使うといい。諦めたり自暴自棄になったりする必要は絶対にない。それがこの国に生きていることの意味だ。
 
 しかし国際社会は違う。世界の国と国との間には乗り越えようのない壁があったり、信じられないほどならず者が個人としても国家として存在したりする。
 世界ではたくさんの人が貧困に苦しみ圧政に支配され、信じられないくらいの子どもたちが餓え、そしてとんでもない数の人たちが毎日殺されている。しかも問題を完全に解決してくれる警察も裁判所もない。
 しかも私たちはしばしば、不正義や不当がまかり通っている世界を、ただ指をくわえて見ているように見える。私たち大人がそんなふうにしている姿を、これからもキミたちはたびたび目にすることだろう。
 けれど一方で、世界中のあちこちに不正を正そうとする試みがあることも事実だ。まだまだ非力で目立たなかったとしても、多くの人々が正義のために地道な努力を続けている。やがてキミたちの一部も、確実にその正義の戦列に加わって具体的な活動をすることになるだろう。私たちはそういう人たちを応援していかなければならない。

 私たちが勉強しなくてはならない理由のひとつがそれだ。私たちの中から平和の戦士を生み出し、その活動を支えていく、それがキミたちのこれからの仕事なのだ。だからキミたちには頑張ってもらいたい。世界を、せめて今の日本程度には安全で心休まるものにしてほしい、それが今の私の願いだ。

 【未来の平和の戦士を育てる】

  ウラジーミル・プーチンは今も困っているはずです。振り上げたこぶしの落としどころがない。
 ほんとうはこうなる前に手を打たなくてはならなかったのですが国際社会はロシアを見誤ってしまいました。
 今の子どもたちには現状を変える力からはありません。しかし将来も現れるだろう幾百幾千のプーチンを抑えるためにも、子どもたちに現在を知らせ、今を学ばせ、準備させなくてはならないのです。