「キミは必ず戦争に行く」②

 先週土曜日にNHKで放送した「そしてテレビは“戦争”を煽った〜ロシア・ウクライナ2年の記録」を中心に、“自分の国が戦争の当事者であるとき、客観的であることはとても難しい”、そういったジャーナリストの立場について紹介しました。
 70数年前あるいは80数年前の日本も同じで、大手メディアはこぞって政府を翼賛し戦争に加担していったのです。学校の教師も多くが教え子を開拓地や戦地に送り出すことをためらいませんでした。
 日本の戦後はその反省の上に立って成り立っています。しかしそれにもかかわらず、戦争が始まったら日本でもウクライナやロシアと同じことが起きます。自国民が大量に殺されることに、私たちは黙っていられないからです。
 国民が怒ればメディアも沿った記事を書かざるをえません。無碍に反対して購読者や視聴者を減らせば経営自体が成り立っていかないからです。その記事や映像にに煽られ、私たちはさらに激高していきます。「そしてテレビは“戦争”を煽った〜」で見た通りのことが始まります。
 日本はウクライナやロシアのような民主主義の歴史の浅い国とは違う、というのは幻想です。日本よりはるかに民主主義の歴史が長くネットも含めて多様なメディアが発達しているアメリカでさえ、時には万雷の拍手をもって兵士を送り出すからです。“テロとの戦い”の始まりはまさにそうでした。

 そうした状況にあって、私たち個人はどのうに振舞えるでしょう。
 話を最初に戻して(戦争が始まったら)「山の中に逃げる。戦争が終わるまでじっと我慢して頑張る」と発言した愚かな子どもたち(それはさらに昔の私たちでもあるのですが)、彼らに向かって私は自信を持ってこう言うことができます。

「キミたちは必ず戦争に行く。山の中に逃げて籠ったりしない。なぜなら友だちが何人も戦争に行って、そこで何人もが死んで、それでもキミたちが平気で山の中に籠っているなど、とても信じられないからだ。キミの仲間、つまり日本人があちこちで殺され、将来はキミの家族も友だちも殺されるかも知れないと感じながらなおかつノウノウと山の中で生きられる、キミたちはそんな卑怯者ではない。
 山に逃げたキミたちの妹や弟は学校に行っていじめられる。いじめる子たちのうちの何人かは戦争に家族を送り出しているからだ。それなのにキミの妹や弟の“お兄ちゃん”つまりキミは山の中で怠け暮らしている。そんなことはありえない。
 お父さんもお母さんもお祖母ちゃんもお祖父ちゃんもみんな肩身が狭い。だって同僚や友だちは戦争で子や孫を亡くしているのだ。亡くさないまでも死ぬのじゃないかと毎日心を凍らせている、それなのにキミだけが安全なところで生きている、そんなことはありえない。
 家族全員が卑怯者だと責められ、キミ自身も友の霊や無言のまなざしに悩まされる、罪の意識に苛まれる、そんなことにキミたちは耐えていけない、キミはそんな情けない子ではない。
 だからキミは必ず戦争に行く、もしかしたら勇んで行く。
 戦争が近づいたり始まってしまうと他に道はないのだ。好むと好まざるとによらず、キミは銃を担いで戦場に行かざるを得ない。それはもう間違いない。
 だからできることはただ一つだ。
 戦争が近づく前にそのずっと手前の方で、意を強くしてこの国と世界を平和に向けさせるしかないのだ。そちらに大きく舵をきるしかない。この国が戦争に向かわないように、わずかでも可能性があるならその道をこじ開ける、それがキミたちにできることで、同時にしなければならないことだ」