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「金正恩を子どもたちにどう教えるか」〜子どもたちに伝える三つのこと

 最近ネット上で拾ったブラック・ジョーク
 二人の人間が砂漠を歩いている。一人は水筒を持っていて、もう一人は拳銃を持っている。拳銃を持っている人間は、もう一人を撃ち殺して水筒を奪おうか、あるいは脅して奪おうか考えている。ところが水筒を持っている人間は「水を1杯やれば大丈夫だろう」と思っている。どちらが韓国か北朝鮮か、みんな分かるだろう。(2017.09.16 朝鮮日報日本語版【コラム】全く、国とは言えない)  

 さてこのジョークが紹介された前日の15日、東京新聞に次のような記事が載りました。
「ミサイル」に戸惑う子どもたち 「こえーな」 「私もママも死ぬかも」 「北朝鮮をやっつけろ」毎日新聞2017年9月15日 東京夕刊

 暴力ではなく、話し合いなさい。子どもに対してこう諭したことがある人は多いのではないか。だが、北朝鮮は15日午前にも、弾道ミサイルを発射。度重なる挑発行動が、教育現場にも影を落としている。「危機」が叫ばれる今、私たちは、子どもたちとどう向き合っていけばいいのだろうか。
(中略)
 ある教師は「北朝鮮からミサイルが飛んできたら真っ先に頑丈な建物の中に隠れるんだ。公園の木の下じゃ駄目だよ。ミサイルは木を貫通して落ちてくるからね」と教えた。だが、男児の自宅から学校までの通学路は住宅街や公園ばかりで、強烈な爆風などから身を守れそうな建物はほとんどない。同級生たちは「隠れるところねーじゃん。一体どうしたらいいんだよ」「こえーな!」と声を上げた。この日の下校時は、みんなで空ばかり見ていたという。
(中略)
 戦争が起きるかもしれない、という恐怖心は既に子どもの心に忍び込んでいる。北朝鮮弾道ミサイルを発射した今春、首都圏に住む女子児童(8)は学校でミサイルへの対応が記された手紙を教師からもらった。「戦争になったらどうしようと思ったら泣いてしまった」と、その時のことを打ち明けた。北朝鮮関連のニュースは怖くて見られなかった。「戦争になれば私もママも死んでしまうかもしれないから……」。しばらく教師や友人たちに不安な気持ちを明かせないでいた。
(中略)
 教育現場では、教師たちも「どう伝えるべきなのか」と悩み続けている。ミサイルが発射された8月29日にJアラートが作動した地域にある中学校の女性教師(30)は「多くの生徒たちが『北朝鮮をやっつけろ!』『日本は何をやっているんだ!』と言っていました」と明かす。ただ、対応策は校内で協議しておらず、校長から「Jアラートが鳴ったら、とにかく情報を収集しろ」との指示を受けただけという。
(以下略)

 この記事は最終的に 、
 北朝鮮の問題も『どうしてこんな現状になったのか』『どうやったら武力衝突を防げるか』などについて、子どもたちと地道に考えていくしかないと思うのです。
 北朝鮮の「危機」がいつ収束するかは見通せない。それでもいたずらに「危機」をあおるのではなく、子どもたちに向けた「答え」を模索し続けるしかないのではないか。
といったところに収斂していくのですが、現実の学校に子どもたちと地道に考えていく時間的余裕はないし、特設でそうした時間を設けたとしても、世界中の誰もが「答え」を見出しかねている問題について教師に「こどもたちに向けた『答え』」を求めても困惑されるだけでしょう。

 しかしそうは言っても危機感を煽るだけで対応策を与えない指示や、怯える子や乱暴な言辞を弄ぶ子を放置する教育はないのであって、そこにはプロとして、当然与えるべき指示や指導があるはずです。
 情報はテレビやネットや口コミを通して無分別に流入してきます。それを統制し方向付けるのが私たちの仕事でしょう。

【子どもの言葉を額面通り受け取らない】

 ところで、子どもに限らず、私たちは常に良く考え吟味したうえで言葉を使うわけではありません。大した意味も配慮もなく、そもそも深い想いもないまま頭に浮かんだことを口にするのはよくあることです。
 ですから例えば、子どもが、
「先生なんか大嫌いだ!」 と言い出しても落ち込むことはありません。ましてや、
「オレだってお前のことなんか、でーきれーだ!」
と対抗するのは愚の骨頂です。

 同じように子どもが、
「隠れるところねーじゃん。一体どうしたらいいんだよ」「こえーな!」
と言っていても、それがどこまで続く感情なのか、しっかり吟味しておく必要があります。
北朝鮮をやっつけろ!」「日本は何をやっているんだ!」
というのもさして深刻なものではないかもしれないからです。
「戦争になったらどうしようと思ったら泣いてしまった」「戦争になれば私もママも死んでしまうかもしれないから……」。
は少し考えてあげる必要はありますが、慌ててカウンセラーのところに連れて行くほどの問題でもないでしょう。

 大切なことは第一に、
「無暗に怯えさせるのではなく、正しく科学的な知識を与える」
ということ。二つ目は、
「年齢相応の指導をすること」
 そして三つめは、
「内と外を分ける」
ことです。

【正しく科学的な知識を与える】

北朝鮮からミサイルが飛んできたら真っ先に頑丈な建物の中に隠れるんだ。公園の木の下じゃ駄目だよ。ミサイルは木を貫通して落ちてくるからね」
 これはもちろん間違った情報ではありません。しかしその前に与えるべき情報があります。
 それは単純に、「Jアラートは鳴っても、今のところ日本を狙って飛んでくるミサイルはない」ということです。

「今、ニュースを見たり大人の話を聞いていると、今にも私たちのところにミサイルが飛んでくるような気になるかもしれないけど、実はまだまだ戦争は始まらないし世界中が必死に戦争にならないよう頑張っている。だからおそらく戦争にはならないし、少なくとも日本にミサイルがバンバン飛んでくるような事態は避けられると思う。
 それでももし本当に危なくなったら、その時は先生たちが必死に君たちを守る方法を考えるから、その時まで安心して暮らしていればいい。

 もちろんその前に、日本の上空を飛んでいくミサイルが何かの故障でバラバラになって落ちてくるかもしれないって言っている人もいるけど、それを心配するなら毎日空を飛んでいる飛行機から部品が外れて落ちてくるとか飛行機そのものが落ちてくるとか、あるいは人工衛星が落ちてくるかもしれないとか、そういうことも恐れなくちゃいけないよね。
 実際にこれまだって部品が落ちるとか飛行機が墜落するということはあったけど、それにあたって死ぬといったことはほとんどない。それよりも道を走っている自動車や電車にぶつかって死んだり怪我をしたりする方が、何百倍も多いんだ。
 おそらく北朝鮮のミサイルよりそちらの方がずっと危険だ。だからミサイルのことは当分心配しなくていい」

【年齢相応の指導をする】

 小学校の1〜2年生までは確実に、そして3〜4年生までの多くは、とても素直で単純な世界に生きています。
 この年頃の子どもが「将来お医者さんになりたい」と言っても、「いや、お前の能力ではとても無理だ」とか「ウチにはお前を医学部にやるだけの財力がない」とかいって抑える必要は全くありません。一緒になって「そうだね、頑張ろうね」と言っておけばいい。現実世界の制約は、いつか自然に理解します。

 同じように、この年頃の子たちが、
北朝鮮をやっつけろ!」「日本は何をやっているんだ!」

と言っていても深刻に考える必要もなければ、国際政治の綾や歴史的経緯について詳しく話し、理解を促したりする必要もありません。そもそも話したところで理解できません。

 ですからそういう子たちには、
「乱暴な言い方をしてはいけません」「政府の人たちも一生懸命やってるんだから、汚い言い方をするものではありません」
と諭しておけばいいのです。

 この年頃の子に教えるべきは原理原則、学ぶべきは基礎基本です。
 信号が赤だったら車が来ても来なくても、夜中でも、さらに故障中の赤でも、渡ってはいけない。人はいじめてはいけないし勉強はしなくてはいけない、学校は行かなくちゃいけないし、乱暴な言い方や人を責める言い方もしてはいけない――。
 それでかまいませんし、言い切って、子どもに引き取ってもらいます。「なぜ乱暴な言い方や人を責める言い方をしてはいけないか」といった本質的な話を始めると、必ず泥沼にはまります。

 ただし小学生も高学年以上、中学高校生となるとそうはいかないかもしれません。

【内と外を分ける】

 最初に出てきた新聞記事の文言、
 暴力ではなく、話し合いなさい。子どもに対してこう諭したことがある人は多いのではないか。だが、北朝鮮は15日午前にも、弾道ミサイルを発射。度重なる挑発行動が、教育現場にも影を落としている。
 このような矛盾が生まれるのは、学級内あるいは仲間内の問題と国際問題を同じ地平で考えるからで、それを切り離さない限り問題は解決しません。

「私はいつも、暴力はいけない、話し合いで解決しなさいと教えてきました。クラスの中で、友だちの間では、話し合で解決しないことはほとんどないからです。
 みんなでよく考え、話し合えば必ず解決策が見つかる、それが学校であり、友だちであり、そのために先生たちもいるようなものです。

 さらに大きな話をすれば、この日本にいる限り、正しいことは正しい、正義は必ず通ると、私は言い切ることができます。
 もちろん特殊詐欺みたいな人はいるし、殺人もあるし、悪いことをする人はいくらでもいますが、そういう人たちは必ず捕まる、罰を受ける――間違ってもノウノウと平和に、豊かに生き続けることなんてあり得ない、そう信じることができるのです。
 日本の中については、私が保証しましょう。

 しかし世界はどうでしょうか? 世界の方は怪しいですよね。

 もし世界中どこに行っても正義が通るとしたら、地球上に苦しんでいる子どもなんて一人もいなくなるはずでしょ?
 でもそうじゃない。今もシリアではたくさんの子どもが爆弾を落とされ、銃で撃たれ、食料ももらえず、家族を失っています。アラビア半島のイエメンという国では国内で様々な人たちが殺し合い、何が何だか分からなくなっています。当然子どもたちもひどい目にあっていますが、その様子も伝わってこないくらいにひどい状況なのです。
 最近ではまた、ミャンマーロヒンギャと呼ばれる人々が住んでいた町を追われ、隣に国に逃げ込んだりしているという話も聞こえてきます。
 でもそれらは現在たまたま注目されているだけで、世界中で苦しむ子どもたちは何百万何千万といるのですよね。

 残念なことに、世界では正しいことが正しいと通じない、正義が正義として実現しないことも多いのです。
 国と国との関係もまさにそれで、互いに自分の国の利益を最優先に考えているので単純に話し合えばすべてがうまくいくというようにはなっていません。
 わがままな国があります、身勝手な国もあります、わがままや身勝手をしないと生き残れないと思っている国もあります。お互いに話し合って何とかしようという気持ちはあるのですが、武力を見せて脅さないと何ともならないと考える人々もいたりします。

 今、北朝鮮を中心とした東アジアで起こっていることは、そういうことで、それぞれの国や様々な人々の思惑がぶつかり合って、どこをどうしたら平和に全てを丸く収められるのか、まるで分らなくなっているのです。
 しかしそれでもなお、私は人々の善意を信じようと思います。

 今は武力をちらつかせたり、あるいは近い将来、実際に戦争のようなことが始まるにしても、きっといつか、どこかでお互いが納得できる答えを見つけ、平和な地域を作ろうとできるのではないかと思うのです。

 つらくシンドイ時代です。
 しかし大人たちは今、君たちの将来に永久につながる平和を求めて、必死に考え、必死に話し合い、必死に声を掛け合っています。いま私たちにできることはその様子を落ち着いて見つめ、慌てず、騒がず、歴史の進む方向を見極めることです。

 私も君たちとともにいます。
 いざとなれば私たちが君たちを守るために精一杯のことをします。
 だから安心して、今の事態と世界の行く末を見ていきましょう」