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「負け犬は黙って引き下がるしかない」~おっちゃんプリゴジンの2・26

 ブリゴジンの率いたワグネルの反乱はあっけなく終わった。
 モスクワまで200kmに迫って何の問題もなかったのに――。
 しかし私には分かる。
 おっちゃんはただ甘い夢を見ていただけなのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【おっちゃん=プリゴジン

 ロシアの民間軍事組織ワグネルを率いて、つい先日たいへんな評判になったプリゴジンという御仁に興味があります。
 今年になって軍服姿でSNS に登場することも多くなりましたが、それまでは静止画としてしか知らず、とにかくとんでもなく泥臭い強面ながら、世界じゅうから武器だの弾薬だの、時には戦闘機や戦車も調達してくる5万人の傭兵部隊の総帥ということで、かなり冷淡な、エリートタイプの人間を想像していたのです。
 ところが動画として登場したプリゴジンはエリート臭などまったくしないただのおっちゃんで、とにかく激しく口汚く罵る。最近では放送禁止用語を連発するようで発言の中にしばしば“ピー”(発言を消すための電子音)が入るのですが、あれはロシアでも放送禁止用語には日本と同じ処置をするのか、それとも少ないとはいえロシア語の堪能な日本人が不快な思いをしてはいけないという日本の放送局の配慮なのか、まずありえないと思うのですがもしかしたらプリゴジンの叫んでいる放送禁止用語が、いちいちぜんぶ日本語なのかもしれないなどと一人思い悩んでいます。

【案外、頼もしい】

 もっとも最近のプリゴジンは前線で兵士とともにあり、時には兵士の遺体を指さして、
「これは今日戦死したワグネルPMCの兵士たちだ。まだ血も乾いていない。彼らをみんな撮れ。(中略)いいかよく聞けこのくそったれ! 彼らは誰かの父親か、誰かの息子なんだぞ! 畜生めが! 砲弾を寄こさないくそったレは、地獄で内側からはらわたを食われてしまえ!」 
 などと噛みつく姿を見れば、ワグネルの兵士でなくても「この人について行くのも悪くないかもしれない」と思おうというものです。もっとも苛酷な戦場に弾薬もないまま置き去りにされて、それでも黙っているような指揮官ではついて行きようがありません。
 プロ野球の監督でもときどき我を忘れて審判に抗議して退場になる人がいますが、あれもどこまで本気でどこまでが演技か分かりません。しかし黙って引き下がったのでは選手が納得しないという場面はいくらでもあります。
 学校の教員だって自分の担任するクラス、あるいは所属する学年職員、校長になってからは全教職員の手前、多少ムリ筋だと思っていても出て行かなくてはならない場合もあります。逃げは統率力そのものに影響するからです。
 今回のワグネル反乱は「モスクワまで言って抗議する」という姿勢を見せることが目標で、実際に行ったところで何がどう変わるといった目算があったわけではないように思われます。
 何かこれって、西郷隆盛が鹿児島を出て、政府に請願をかけようとしたときの状況に似ているように思えません?

【大統領を裏切ったことはない】

「政府を倒す意思はなかった」という点で注目するのは、プリゴジンがおそらく一度もプーチン大統領を非難したことがないということです。ワグネルの敵は徹底的に国防省であり、個人で言えばショイグ国防相でありゲラシモフ侵攻総司令官です。この人たちがプーチンに正しい情報を与えないために大統領は正しい命令が出せない、ブリゴジンはそのように考えます。
 6月23日のSNSでは、
ウクライナNATO北大西洋条約機構)はロシアを攻撃しようとしていなかった」
「ドンバス地方ではウクライナから『非常識な侵略』はなかった」

と言い、
ロシア国防省が偽の情報でプーチン氏と国民を欺き、侵攻に踏み切らせた」
「侵攻はロシアのオリガルヒ(新興財閥)の利益のためだった」

とさえ言っています。

 プーチン大統領は侵攻の根拠のひとつとして、2014年から紛争が起こっていたウクライナ東部ドンバス地方でウクライナがロシア系住民を抑圧したほか、NATOの支援を得てロシア国内への攻撃を企図していたと主張していましたから、それを真っ向から否定したことになります。しかしそれもおそらく、国防省に塞がれた大統領の耳をこじ開け、目を覚まさせようという試みだったに違いありません。プリゴジンは大統領が大好きで信頼しているのです。

プリゴジンの2・26】

 1936年2月24日未明、大雪の東京で、皇道派と呼ばれる陸軍の青年将校が1500名近くの下士官・兵を率いて首相官邸その他を襲い、7名の大臣や秘書官を殺害して一人に重傷を負わせました。他に警察官5名が殉職し、1名の重傷者も出ています。世にいう「2・26事件」です。
 この昭和史最大の内乱は、しかし天皇直々の命令によってわずか四日で鎮圧され、首謀者たちは死刑になっています。

 事件を起こした将校たちの言い分はある意味で単純でした。彼らの多くは小隊長クラスでしたから最下層の兵士と日常的に接し、世界恐慌以来の兵士や兵士の家族の窮状に詳しかったのです。
「現人神が統(す)べるこの国で、なぜこれほどの貧困が放置されているのか―」
 彼らの疑問の答えは明快でした。それは民の声が天皇に届いていないからです。私利私欲に走る財閥と官僚・大臣たちが天皇に届くべき声を遮っているに違いない、だから彼らを排し、天皇親政を実現すれば必ず日本は良くなる、そう信じたのです。
 
 ところが頼みとする昭和天皇はまったく異なる考えを持っていました。将校たちは陸軍首脳を通じ天皇昭和維新の実現を訴えましたが、天皇は激怒してこれを拒否。私の臣下を殺した者たちを許さない、自ら近衛師団を率いて鎮圧することも辞さずとの意向を示されたのです。これを受けて陸軍首脳部の方針も一変し、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧することが決定されたのです。天皇の意思を知った青年将校は自ら投降するしかなくなり、皇軍相討つ事態は避けられたのでした。
 今回のワグネル反乱に似ていません?

【負け犬は黙って引き下がるしかない】

 専門家の中には今回の事件を、来年の大統領選を見越したプリゴジンの布石だという人もいます。自ら大統領になろうとしているのだというのです。しかしそんな先まで見越せるような人ではありません。窃盗だの詐欺だので20代のほぼすべてを刑務所で過ごしたような人です。それほど賢くない。
 ただプーチンを信じ、プーチンのために働き、プーチンときちんと話ができれば必ず分かってもらえると信じてモスクワの200kmまで進んだ――。そこでプーチンの「裏切者」という評価を聞くのです。

 プリゴジンプーチンにショイグ国防大臣の更迭を求めましたが、それはとんでもない思い上がりです。ショイグはプーチンの昔からの親友、飼い犬のプリゴジンとは格が違います。負け犬は飼い主の思いがここにないと知れば、黙って引き下がらざるをえません。
 そう考えるとプリゴジンは、もしかしたらロシアの岡田以蔵なのかもしれないという気もしてきます。