「子どもたちはけっこう先生たちが好きだ」~学校の現実をまったく理解しない人たちへ②

 マスコミやネットメディアによって、
 学校の姿はどんどん歪められ、真実かのように広められていく。
 しかし待て、
 現実の学校では、子どもたちは教師とかなりうまくつきあっているのだ。

という話。

(写真:フォトAC)

【悪夢】 

 久しぶりに自分が現職教員だという夢を見ました。この種の夢で楽しかったこと、うれしかったことは一度もありません。
 7月も中旬に差しかかったというのに、なんと私は通知票の所見欄が一行も書けていなくて、絶望的な思いでいるという夢です。そう言えば提出ノートにもほとんど目を通しておらず、さらに振り返ると1学期中一度も授業に行ったことがないのです。生徒の顔と名前すら一致しない――そんなこんなで苦しんで、布団の中でのたうち回って目が覚めました。
 夢に限らず昔のことを思い出そうとすると、失敗したことや人に迷惑をかけたこと、いやな思いをさせたことばかりが思い出されるのでほんとうに嫌だ――そんな話は以前にも書きました。

【学校は本当にだめかもしれないと思い始める黒魔術】

 私も学校を去って間もなく10年になります。このブログでは先週の末、研究者も官僚も政治家も、そして世間の大半の人々も、学校教育を生の目ではなく、マスコミやネットを通した歪んだ像として見ている、そんな書き方をしました。しかし私も、生の姿を見なくなって10年、学校の見る目が歪んできます。例えばICT化がどれほど進んで先生たちがどのくらい楽になったのか、あるいは逆にICTためにどれほど苦しんでいるかについて、まったく情報を持っていません。そのくせ今も関心が強く、テレビや新聞、ネットメディアで常に見ていますから、さらに認識は歪んでいきます。


 昨日のYahooニュースの教育関係の見出しは、
  • ・部活遠征中に飲酒、宿舎で生徒に平手打ち 教諭を停職3カ月懲戒処分
  • 今や「顔パンツ」若者に欠かせなくなったマスク 体育や登下校…熱中症予防でも「今さら外せない」
  • 自ら考えて変える「当たり前」 コロナを機に丸刈りをやめた球児たち
  • もみ消し図る学校、卑劣な教育委員会 小3女児の暴行被害を「なかったことにする」教育者たち
  • 私立小学校低学年の学力が「以前より相当落ちている」ワケ
  • 帰宅途中の女性教諭、高速道で速度超過60キロ…校長は国道で36キロオーバー
  • 「ごみを拾っても拾ってもきりがない」中学生が学校近くの川で清掃活動
  • 東京都小学校PTA協議会 全国組織からの退会を正式決定…活動の方向性の違い 
 歪みを是正するために「学校の不祥事はネタとして取り上げやすいから」とか「日本には幼小中高あわせて100万人近い教諭がいるのだから、1万人にひとりという稀有なバカが事件を起こしても100件にも上る」とか、あるいは「99・99%の先生たちは誠実な仕事を続けている、そんなことは分かり切っているじゃないか」とか、さまざまに言い訳しても、毎日毎日こんな見出しを見ていると、学校の悪評はボディー・ブローのようにジワジワと効いてきます。

 もしかしたら私のいないうちに学校はそこまでひどくなってしまったのかもしれない、かつて30倍近い競争率を勝ち抜いてきた先生たちはみんな優秀だった、しかし今は競争率も下がって質もぐんと落ちてきているのかもしれない、そんな思いに取りつかれそうになります。

 しかしそんなことはないはずです。私は30年間、教員であり続けましたが、その間、一貫して先生たちは誠実で熱心でした。学校で一番すばらしかった先生がのちに破廉恥罪で警察に捕まり、懲戒免職となるということもありましたが、教師としては常に一流だったと、今でも思っています。児童や保護者からの信頼も飛び抜けて高かった。
 そんな彼がなぜ不祥事を起こしたのか――そこには調べてみるべき諸事情があるかと思うのですが、それとこれとは別です。


【子どもたちはけっこう先生たちが好きなんだ】

 実際の経験者である私こそが、学校の本来の姿を思い出さなくてはならないのです。
 高い緊張感をもって24時間張りつめているわけではありませんが、先生たちは常に子どもたちのことを想っています。子どもが好きなのです。大真面目で子どもたちの成長を願い、いつも心配し、常に手助けの方法を考えています。

 子どもの方は――、小学生なんかを見ていると、「この子、ほんとうに先生のことが好きなんだなあ」と思うような子がいくらでもいます。中には個々の先生の人格と無関係に、「先生という人種」が無条件に好きな子もいます。こういう子は、ほぼ確実に健やかな成長を遂げます。

 中学生は――中学生にとって教室は道場であり、教師は方程式だの現在完了形だの、自分たちが決して望まないハードルを次々と目の前に置く人ですから単純ではなくなります。しかし真剣に向き合ってくれる教師のことをいつも見ています。もちろん簡単に「好き」だとは言いませんが――。
 ちょっと不良がかったヤンチャな子が、もっとも好きな先生はその学校で一番厳しいと言われる先生です。それはそうでしょう。悪い方向へ進んでしまう自分を、職を賭け、体を張って守ろうとしてくれるのでから嫌いなわけがないのです。


【生の学校を見よ】

 子どもたちは学校で教師たちの横暴に苦しんでいる、自由を奪われ、鍛錬主義の犠牲となっていつも喘いでいる――そう信じる人たちは三か月くらい学校で過ごしてみればいいのです。そこでは真面目で誠実な教師たちが、常に子どもたちのことを考えて活動している姿が、いつでも見られるでしょう。
 子もたちは――先生に近づいて戯れ、遊び、いつも何かを話しかけようと身構えています。少し大人に近づいた子どもたちは、教師をからかい、ふざけ、時にはたしなめたり慰めたりと、人間らしい会話を楽しんだりしています。もちろん切っ先鋭く対立する場面もありますが、そこまで子どもと真剣に対応してくれる大人はそうはいません。だから子どもは教師を見捨てず、いつまでも絡んでくるのです。それが常態です。

 三カ月も学校にいられないという人は卒業式を取材してみるといい。式のあとの卒業生の教室で、学級担任と生徒たちがどんなやり取りをしているか、卒業生見送りの場面では教科担任の先生や養護教諭、図書館司書や校務員とどんな会話をしながら別れていくか、それを観察するだけで、現在の日本の学校が、どれくらいうまく機能しているか分かろうというものです。

 離任式(転任あるいは退職する先生の紹介の場)で、学級担任や部活の顧問が学校を去ると知ったときの子どもたちの表情を、私は全国の人々に見せてあげたい。
さっき卒業式でさんざん泣いた卒業生までもが、また一緒に泣いているのです。自分も学校から出ていくというのに――。

 しかしいま、度重なる教育改革によって、日本の学校は根底から覆されようとしています。義務教育学校は、いったんすべて解体し、ゼロから再構築すべきだと信じている人さえいます。