カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「学校の『担任教師はつらいよ』」~学習指導要領に見る《学校が忙しくて当たり前》の話④

 仕事は、楽しくなくちゃいけない。
 しかし学校は人を育てる面白さを棄て、
 ひたすら目の前の仕事を消化する場になってしまった。
 子どもにではなく、教師に詰め込む「詰め込み教育」、
という話。
(写真:フォトAC)

【瀕死のTokkatsu】

 昨日私は、
 「海外からの注目が集まりつつあるというのに、日本の学校から「Tokkatsu」は消されようとている」
 と書きましたが、実際のところ授業時数として表に出て来ない「特活」(児童生徒会・学校行事・小学校ではクラブ活動)の時間はどれほどなのでしょう? これについては文科省「令和6年度公立小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査【概要】」という資料があって、しかも令和4年度の比較で示してあるので便利です。


文科省:4.(2)学級活動以外の特別活動の授業時数の状況【R6計画】(小学校5年)

 それによると「特別活動」の時間は全体平均で2年間に1.6時間も減っていることが分かります。令和4年度はまだ新型コロナ禍の影響も強く、学校行事等も多く控えられていた時期です。それよりもさらに減らされているわけですから如何に少なくなったかは容易に想像がつきます。
 グラフの数値は91~105時間を中心に15時間刻みに左右に振っていますが、これはかつて中央値がその辺りにあったということです。現在は0~60が最多。実に半分以下になろうとしているわけです。

 資料のこれ以下の部分を見れば児童会活動が年平均13.0時間ほど。月に一度の活動プラス総会2回といた感じでしょうか。クラブ活動は9.2時間、長期休業を除いて月一回程度。このくらいだったらやめた方がいいようなものです。かつては児童会とクラブを一週おき交互にやっていたりしましたから、隔世の感があります。学校行事も運動会は半日(午後授業)、音楽会は昼の放送で1クラスずつ発表して終わりという形で、どんどん減っていきます。

 教員の過剰労働で叩かれ通しの文科省も盛んに「行事の精選」とか言って極力「行事」を絞るよう通達を出していますし、日常活動の中で疲れ果てている先生たちの中からも「ウチの学校は行事が多すぎる」と削減を求める声が強くなっています。
 しかしだったら評判の高い「特別活動」ではなく、「総合的な学習の時間」を始めとする「キャリア教育」などの新しい教育(追加教育言います)の方をやめてしまえばいいのです。だって――。

【屋上屋を架す「総合的な学習の時間」】

 「特別活動」の目標と「総合的な学習の時間」の目標、何が違います?
《特別活動の目標》
 集団活動を通じて、協力し合う力を身につけ、生活や人間関係の課題を解決する力を育て、自分の生き方を深めて次のような資質・能力を育成することを目指す。
1. 他者と協力する集団活動の意義を理解し、適切に行動できるようにする。
2. 生活や人間関係の課題を見つけ、話し合いで解決できるようにする。
3. 集団活動を通じて得た知識を活かし、より良い生活や人間関係を形成し、自分の生き方について深く考え、自己実現を目指す。

《総合的な学習の時間の目標》
 探究的な学習を通じて課題解決能力を育成し、自分の生き方を考える力を養うことを目指す。具体的には、課題解決に必要な知識・技能を身につけ、実社会から問いを見いだし、自分で課題を立て解決策を表現する。また、協働しながら社会に積極的に関わる態度を育むことを重視する。
(いずれもAIによる学習指導要領の要約)

 結局「生きる力(確かな学力、豊かな人間性、健康・体力)」をつけるという意味では全く同じ。違いといえば前者が学校生活(学級会や児童生徒会、運動会や旅行学習、保健行事など)の具体的な活動を通して、教職員全員の協働によって行おうとするのに対して、後者が担任教諭の個性と独創性において児童生徒の力を高めようというものだという、その程度のことです。
 しかし“その程度”の差が担任教師には重く、指導内容は軽くなりがちです。

【学校の「担任教師はつらいよ」】

 ここ20~30年の間に新たに教員が背負うことになった仕事は膨大です。

  • 「キャリア教育」の開始は1999年(平成11年)、
  • 学校評価・教員評価」が始まったのが2000年(平成12年)、
  • 学校評議員制度も同じ年、
  • 「総合的な学習の時間」が同じ2000年から段階的に始まると、
  • 2002年に「外国語活動」が始まり、
  • 教育再生会議」が2006(平成18年)につくられて、
  • さっそく翌2007年(平成19年)から「全国学力学習状況調査」。
  • 副校長・主幹教諭という新しい階層がつくられて教員同士の出世競争を刺激しようとしたのも2007年。
  • 2009年(平成21年)からは教員免許更新制。
  • ゆとり教育で内容と時数を減らしたのに「脱ゆとり」(2011(平成23年)~2012年(平成24))で内容と時数を戻したので「登校日数は(中学校では時数も)減ったのに学習量が元に戻る」という苦しい状況が始まったのもこの時期。
  • 小学校英語もプログラミング教育もこのとき始まる。

 注意しなくてはならないのが、こうした過重労働のほとんどが学級担任の仕事として加算されたという点です。小学校英語やプログラミングの専科教師が配当されたわけではありません。
「総合的な学習の時間」はもちろん、「特別の教科『道徳』」「キャリア教育(職場実習やキャリアパスポート)」「ICT教育」「環境教育」「薬物乱用防止教育」「全国学力学習状況調査(その結果起こる学校間・地域間競争)」「不登校対策」「いじめ対策」「小学校英語」「プログラミング学習」、これらすべては平成時代に学級担任に被さってきた新たな仕事です。
 文科省も専門家も盛んに「DX(デジタルトランスフォーメーション)の導入」を叫びますが、この中でDXに任せられる仕事はどれですか?

 中でも教科書のない教科「総合的な学習の時間」(当初は週3時間)は重く、さらに追加された「小学校英語」や「プログラミング教育」はとまどうばかりでした。ちなみに私の場合「英語」はほとんどダメで、「プログラミング」はかなり勉強してあります。しかし教えるのは両方ともダメです。もう退職しているからいいものの、私の任せたら子どもが迷惑します。中途半端につけられた知識は、のちの学習を阻害しますから。

【自分ができることと教えられることは違う】

 先生の中には「人に教えられるほど英語やプログラミングに堪能なら、この仕事(教職)についていない」という人もいますが、まったくその通りです。
「小学生相手なら素人でもできるだろう」というのは、教師に対しても小学生に対しても、そして英語やプログラミングの教育を生業とする人に対しても失礼です。

 教育というのは広いバックグランドを必要とするもので、例えば、英語を教えるなら「この単元のこの部分で、子どもたちはどういう間違いを犯しやすいのか、その際の対応はどうしたらよいのか」といった知識や経験を、山ほど持っていなくてはなりません。さらに子どもたちのどうでもいいような質問、
「先生! 英語って、どうしてこんなに発音とスペルが違うの?」
「同じ“a”なのにやたら発音が違うのはなぜ?」
「数詞はなんで11と12だけが変わっているの? 13から19までは一ケタ目を先に読むのはなぜ?」
「ねえ、面倒くさいな。1月はファースト・マンスでいいじゃないの?」
にも、適切に答えられなくては教師としての沽券にかかわり、ひいては児童生徒の意欲に関係します。全部に答えを持っている必要はありませんが、全滅では話にならないでしょう。

【結論】

 4日間にわたって再検討してきましたが、結論は「こりゃダメだ」――です。すでに「教職」は普通の人間の就ける仕事ではなくなっています。少しくらい調整額を上げたところで、なんとかなるという問題ではありません。