子どもから質問されて扱いに困る問題の筆頭は、
教師個人の性に関する問題である。
この、かつての超難問は今やぐんと楽になっている。
しかし、軽く扱えない状況は今も残っている、
という話。
(写真:フォトAC)
【性教育の黎明期の話】
年齢によって、男女によって、あるいは既婚者か独身者か、子どもがいるかいないか。児童生徒との距離感によっても異なりますが、特定の教師だけに投げかけられ、しかも答えに窮しやすい質問というのもあります。性に関する問題です。
性教育は学校ですべきものだという考え方は、昭和も最終盤になってから広まったものです。その前は女子だけを集めた(いわば)「生理対策授業」みたいなものはありましたが、性全般をきちんと扱った「性教育」はなかったのです。
それがいよいよ本格に始まるということになって最初に困ったのが、「誰が教えるか」という点でした。「養護教諭にやってもらえばいい」という時代が終わって、「個々の子どもの特性を一番よく知る学級担任がすべきだ」という時代が来ているのはわかっていましたが、教師たちみんなが及び腰だったのです。いままで開けることのなかったパンドラの箱を開くのです。何が飛び出してくるかわかりません。
【若い教師は性をどう教えるのか】
中でも話題となったのが、若い、独身の、教師たちの問題。特に女性教諭をどういう立場で教壇に立たせたらいいのかということでした。
他の授業なら、例えば歴史の専門家でもないのに歴史を教え、数学の専門家でもないのに算数を教えるということには問題もありません。「専門家ではないが、それなりに一生懸命勉強したので教えられます」でいいのです。ところが性教育では、「専門家ではありませんが一生懸命勉強したので」と言えば「なにをどんなふうに勉強したの?」とツッコまれそうで怖い、そんな感じもありました。
ありていに言えば性教育の場で、「それで、先生もそういうことヤッてるワケ?」といった質問が出された場合、あるいはあからさまに質問されないまでも、そうした好奇の目を感じたとき、教師はどう対応すればいいのかわからなかった、つまり家庭で性教育がしにくいのと、同じ条件がそこにはあったのです。
10年近く以前のテレビドラマ*1では、教壇にたった主人公の新人女性教諭が、
「最初に言っておきますが、先生は、処女です」
と高らかに宣言して、「彼氏いますか?」「何カップですか?」と騒ぐ男子生徒たちをドン引きさせる場面がありました。平成の終わりに近い時代のテレビドラマの話で、昭和時代の普通の教師に、そこまでの胆力を期待するのは無理でした。そこで、
「その質問には直接答えられませんが、私は性の問題で、誰かを、そして自分自身を、傷つけるようなことは一度もしたことがありません。それだけははっきり言っておきます」
などといった恐ろしく真面目な模範解答をいくつも用意しておいたものです、
しかし今は令和の時代、もっと素晴らしい、破壊力も十分にある答え方が生まれています。
【待っていました、ハイ、ありがとう】
児童生徒から教師自身の性に関する質問があった場合は、まず「待っていました、ハイ、ありがとう」から答え始めます。そして「それ、セクハラです」と付け加えます。
「個人的な性に関する経験・状況・考え方、体のサイズや健康状態、嗅覚や視覚など五感でとらえられるその人の肉体的な特徴、それらに関する質問や言葉の投げかけ・態度はすべて、現代では、セクシャル・ハラスメント(性的嫌がらせ)として厳しく糾弾されることになっています。
おとながそれをすればどうなること言うと、例えば教師の場合は、軽くても給料を下げられる減給、あるいは勤務を止められる停職。もちろん停職は単に休んでいなさいということではなく、後々の給料やボーナス、年金が片っぱし減らされます。セクハラの状況がさらに悪ければ最悪の場合、懲戒免職。つまりクビ。教員免許が?奪され、退職金はゼロ、家族は全員で路頭に迷うことになります。
もちろんあなたたちは人生の初心者で、世の中が分かっていないから、そんな質問をしたのでしょう。そんな愚かな質問をしたのが校内で、しかも相手が私だったことはむしろラッキーでした。私はあなたたちが思っているよりずっと優しいのです。しかもあなたたちのおかげでセクシャル・ハラスメントについて学習できたわけですから、一度だけなら許してあげましょう。けれど二回目はない。私に対してはもちろん、ほかの先生や同級生・下級生に対しても、です。
覚えておきなさい。私たちはセクハラを、自分が受けたものも仲間が受けたものも絶対忘れることなく、生涯、記憶にとどめ続けます。そして何年たっても、繰り返し話題にしますので覚悟しておいてください。わかりましたね」
先ほど紹介したテレビドラマの、「先生は、処女です」の続きは次のようなものでした。
「当然、ここにいる女子も全員そうです。彼氏がいるのいないの、カップがFのGのと、屈辱的な暴言を吐いた男子は、愛と謙遜をもって守り続けたこの純潔を、神に背いて奪う覚悟がおありになるのかしら?」
言葉はこの通りにならないと思いますが、覚悟は今も昔と同じでかまわないと思います。
【教師の私事が指導の邪魔にならないように】
セクシャル・ハラスメントという概念が社会に行き届くようになって、「性」というデリケートな問題は多少扱いやすくなりました。しかし男性も含め、若い教員に襲い掛かる子どもたちの質問の罠は二重三重に張り巡らされています。
「先生、彼女いる?」
と気軽に聞いてくる生徒に対して答えた「いるよ」や「いないよ」が、両方とも、のちに面倒くさい話になって帰ってくる可能性はいくらでもあります。その時になって、「よけいな自分の話題を整理しなければ本質的な指導が始められない」といったことにならないように、予め、「いかにも子どもが訊きそうな質問への答え」をたくさん用意しておいて、足元をすくわれないように準備しておくことは大切かと思うのです。
(この稿、終了)