カイト・カフェ

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「研究者や政治家はメディアに侵されている」~学校の現実をまったく理解しない人たちへ① 

 日本の子どもたちは過剰学習のために勉強の面白さが理解できていない
 ――そういう研究論文を読んだことがある。
 都会における中学受験の過熱が問題視されたころのことだ。
 実際の子どもたちはむしろ不勉強だった。それなのに学ばないことが奨励された――

という話。

(写真:フォトAC)

【私の見つけた不思議な研究】 

 ちょうど四半世紀ほど前、内地留学で時間をもらった私は、大学院の心理学研究室で学習心理学の研究を始めていました。とは言っても法学部卒で心理学は自己流。そのため自身の研究を始める前に先行研究の調査ばかりをさせられ、少々ウンザリしていました。読まなければならない論文は膨大でした。必要なことですが、焦りもあったのです。

 そんなある日、私は不思議な論文に出会います。ひとことで言うと、「日本の子どもたちは学習を他人に打ち勝つ道具として考えているため、学ぶことの楽しさも学問の面白さも知らないでいる」という仮説を証明したものです。
 現職の教員としては「日本の子どもたちは学習を他人に打ち勝つ道具として考えている」と言われた時点で頭の中に「?」が点灯するのですが、さらに違和感があったのは「中央値」という、それまでの論文にはなかった概念が出てきたことです。
 担当教官に訊くと「中央値なんて、訊いたこともないぞ」とけんもほろろ

 1000人近い小学生を「勉強は他を打ち負かすための道具」と考えるグループと「自分自身のためのもの」と考えるグループの二つに分ける場面で中央値が使われたのですが、分からないので自分の娘ほどに若い同輩に訊くと、簡単に答えてくれました。
「中央値で二つに分けちゃダメでしょ。だって例えば野球が『とても好き』から『とても嫌い』まで5段階に分けて調査して『好き』『どちらかと言えば好き』が600人もいてどちらでもない」が300人、『どちらかと言えば嫌い』『嫌い』が100人しかいなかったとするでしょ。これを中央値で分けるというのは500人ずつに分けるってことだから、『どちらかと言えば好き』の中の100人と、『どちらとも言えない』の300人が、まるごと「嫌い」のグループに入れられちゃうわけ。それじゃあ正しい結果にならないじゃない」 

 そこから先は想像がつきます。
 私が読んでいたのはアメリカの研究を下敷きにした論文で、おそらく合衆国では「他を打ち負かすため」と「自分のため」がほどよく拮抗したのでしょう。しかし日本ではダメなのです。
 日本の場合、子どもは小さなころから「勉強は自分のためにするもの」と教えられて育ってきますから、本気でそう思っているかどうかは別としても、訊かれればほとんどが「自分のため」と答えるようにできているのです。
もしかしたら、というよりはおそらく、9割から9割5分以上がそう答えて、研究の基本部分が台無しになってしまった、そこでやむなく「中央値」を使った・・・。

 その世界では一流の研究雑誌に掲載された論文です。審査が通ったということは、審査員側にも同じ錯誤があったということでしょう。しかしなぜ、そんなものが通ってしまったのか――。


【果たして子どもたちは勉強しすぎだったのだろうか】

 それにしても、
「日本の子どもたちは、学習を他人に打ち勝つ道具として考えているため、学ぶことの楽しさも学問の面白さも知らないでいる」
 いかにもマスコミ受けする仮説だとは思いませんか?

 その研究が発表されたのは私が論文を見たさらに一昔前、中学受験をする小学生の過剰学習が問題となっていた時期のことです。都会では小学4年生が毎晩10時まで塾で勉強して、帰宅してからも勉強している、中には学校を休んでまで受験勉強をする子がいる、と言われたころです。

 私は教師になる前、東京で10年間も家庭教師や塾講師をしていたので分かるのですが、確かにとんでもない勉強をさせられている子もいたものの、それはごく一部のことで大半の子どもたちは、特に私が指導していた子どもたちは、みんな普通か普通以下、放っておくとサッパリ勉強しないので親から投げ込まれて来たよう子たちばかりだったのです。

 さらに言えば田舎教師となった私の周辺に、過剰学習を心配しなくてはならない子はひとりもいませんでした。教師の基準からすればむしろしないことを心配しなくてはならない子の方が圧倒的に多かったのです。それにもかかわらず、マスコミに影響された親たちが、子どもの勉強しないことを許容する方向に動くとしたら、それはとんでもないことです。


【研究者たちはマスコミに侵されている】

 そのとき感じたのは「研究者たちはマスコミに侵されている」ということです。大学の先生たちも自身で「学校の先生からは、現場を知らないとよく怒られます」と自嘲的におっしゃったりしますが、知らないだけでなく「マスコミを通してバイアスのかかった知識・認識を持っている」という自覚まではありません。

 今日ではマスコミだけでなく、ネットメディアでも巻き込んで、エコーチェンバーのように似たような情報だけが増幅され、研究者や”専門家“、読者の間に響いているのかもしれません。さらに言えば中央教育審議会の委員の大部分も、文科官僚も大臣も、そして政治家たちもすべて、日本の学校教育を生の目ではなく、マスコミやネットから学んでいるのかもしれないのです。
 例えば今朝のYahooニュースの見出し、私のもとには次のような記事が届いてきます。
  • 授業中に児童の前でハイボール、男性教諭を停職6カ月に 仙台市教委
  • 話題の学生向けジェンダーレス水着 トランスジェンダーに聞く「あれば着てた」「あくまで選択肢の一つ」
  • 「注意したが聞いてもらえずカッと」中学校教員が生徒の顔にひざ蹴り 学年主任も静止せず傍観 大阪・堺市
  • 県立学校助手の30歳男、別の少女にもみだらな行為 児童福祉法違反の疑いで福井県警が再逮捕
  • 中学校部活の「地域・民間移行」への取り組み 教育現場や生徒からも”歓迎”の声
  • 修学旅行下見先の京都で女子高校生にわいせつ 川崎市立中の男性教諭を懲戒免職 
  • 北九州市の学校給食にまた異物混入 けが人なし
  • 「喋らない、対面しない」感染対策しっかり3年ぶりのプール授業
  • 市立高校の講師を逮捕 女性宅で下着を盗んだ疑い 京都府
  • 立川志らく 男児骨折で救急車を呼ばなかった小学校に苦言「先生も自分の子供だと思って接して」
 もちろん私のところに来るのは、フィルターバブルのかかった教育関連のものばかりですが、学校や教師を誉める記事にはめったに出会いません。教師の不祥事や学校の無理解を嘆くものばかり――。
 これでは政治家や行政の担当者が不安になるのも当然です。教員の研修をさらに徹底するとともに、学生上がりではない、社会常識を学んできた一般人の採用枠を広げようとするのも無理なからぬことです。たとえ教員免許はなくても、大学で学んだだけの教師よりはるかにマシだとでも考えているのでしょう。
 学校は、学校を誤解している人たちによって、方向を決められているのです。

(この稿、続く)