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「可能性のない、あるいは教師の過重労働に繋がる文科省の働き方改革に加担しないでいただきたい」~NHK解説委員:二宮徹さんに手紙を書いた②

 NHK解説委員:二宮徹さんに書いた手紙の後半。
 追加教育以外の教師の多忙化の原因、
 働き方改革が教師をさらに追い詰めるかもしれないということ、
 管理職も疲れ切っている、

という話。

f:id:kite-cafe:20210604064836j:plain(写真:NHK)

 

【追加教育以外の多忙化の要因】

 直接子どもの指導にかかわる追加教育以外にも、教師の多忙化を進めた要因はかなりあります。例えば「全国学力学習状況調査」「教員評価・学校評価・授業評価・地域からの評価」「地域ボランティア・地域交流」「教員免許更新制度」「発達障害支援」「不審者対応」など。

 もちろん「全国学力学習状況調査」は実施が1日のみ、採点も分析も文科省の委託業者がやってくれますからそれ自体は大した負担ではありません。しかし文科省が火をつけた都道府県間、市町村間、学校間の競争は楽なものではありませんでした。文科省は「競争に資するものではない」と再三言っていますが、全国学テのアイデアはまず「互いを競わせること」を目的に生まれ、のちに糊塗とされたものです。点数が低ければ面倒な教委の指導が入りますから、テスト対策は入念にするしかありません。
 
 「地域との連携を計れ」「説明責任をしっかり果たせ」といった簡単な指示も、現場では「学級だより」「学年だより」「学校だより」「学校ホームページの拡充」といった大ごとに発展します。そのひとつひとつは大したことはないのですが、やがてボディーブローのように効いてくるのです。
 どれもこれも必要なものには違いありません。ただし昭和の時代にはなく、平成になってから新たに付け加えられ、学校を圧迫するようになったものです。
 
 

【教師は絶対に増えない。仕事は確実に増え続ける】

 仕事が増えたからといって、それで単純に多忙化するわけではありません。仕事量に応じて教員数が増えればいいだけのことです。民間企業でもきちんとしたところなら、新しいプロジェクトのためには新しい組織を立ち上げて人材を募るか、外部に委託にします。政府だってかなりの数の委託事業を抱えています。

 しかし学校の場合、仕事が増えようが増えまいが、はたまたまったくなくなってしまったとしても、児童生徒数によって(正確には児童生徒数によって決まる学級数に応じて)教員数が決まる定数法によって、教師の数は変わりません。
 おまけに残業手当もありませんから、「払える予算がないから事業はそこまで」というブレーキも効かないのです。

 増員については「総合的な学習の時間」が始まるときも私たちは期待しました。栄養教諭の配置が決まったときも期待しました。特別支援コーディネータの配置が決まったときも、副校長や主幹教諭の話が出た時も、小学校英語やプログラミング教育・新しい教科道徳が始まると聞いた時も、小学校の教科担任制が提案されたときも――、そのたびに新たな教員の配置があるのではないかと期待しましたが、全部、現有の職員が研修を受けたり免許を取ったり、人の入れ替えで対応するものだったりしたのです。負担は減るどころか、むしろそのたびに増えました。

 誰かが病気になって休職しても、早期退職に追い込まれても、新たな人材が入らなくても、学校の仕事は確実に増え続ける仕組みになっているのです。
 
 

【可能性のない、あるいは教師の過重労働に繋がる文科省働き方改革に、加担しないでいただきたい】

 現在の苛酷な労働環境を改善するには、ひとを増やすか仕事を減らすか、あるいは両方ともやるかの3択しかないはずですが、政府はいずれに対しても不熱心です。特に学習内容の精選ないしは削減についてはほとんど言及がなく、「総合的な学習の時間」はやめましょうとか、もういっぱいいっぱいなのだからプログラミング教育や小学校英語は先延ばしにしましょうとかいった話も、いっさい出て来ません。

 出ているのは二宮委員の紹介の通り、「35人学級」と「教科担任制」「部活動の外部委託」「教員免許更新制の見直し」程度の話です。問題の大きさに対して、あまりにもショボいと言わざるを得ません。そしてある意味、危険でもあります。

 35人学級についてはないよりはマシですが、すでに焼け石に水。恩恵に浴すのは36人~40人という特殊な学級を持つ担任だけで、それほど多くはありません。

 教員免許更新制がなくなれば(おそらく完全にはなくならない)家計の負担軽減にはなります。しかしもともと夏休みに受けていた研修です、日常業務の軽減にはなりません。
 さらに言えば更新制見直しの真意は教員の負担軽減ではなく、産休や療休といった急な講師の必要に際して、代替を頼みたくても退職教員や在宅免許証所有者が軒並み失効していて手配がつかない――そういった今日的課題を解消するのが目的です。教師の負担軽減などと恩着せがましく言われても困ります。

 それでも上記2点については害があるわけではないのでかまわないのですが、心配なのは教科担任制と部活の外部委託です。
 小学校の教科担任制については先生方から期待の声が上がっていますが、教員数を増やさずに行う教科担任制ですから、そうおいしい話にはなりません。基本的には1学年2クラスの学校で、授業交換によって教科担任制を実現しようというもの(A先生は1・2組両方の算数を、B先生は同じ時間に両方の国語を教えるというやり方)で、もともとは子どもの学力向上を目指すアイデアでした。
 しかし中学校国語と中学校数学の免許をもつ教員を同じ学年でセットにするという人事が、果たして可能なものか――。また教師個々について言えば、一定の期間、特定の教科を教えずに過ごすということがその人のキャリアにとっていいことかどうか、不安です。
 さらに小学校の教科担任制に関して、算数や国語・小学校英語などの授業を、近隣の中学校の教科担任に来てやってもらうというアイデアもあり、ただでも限界にきている中学校教諭の首を絞めることにならないかと心配したりもします。

 部活動の外部委託は、もちろん政府はお金を出してはくれますが、人まで探してくれるわけではありません。
 私の市には18の中学校の吹奏楽部がありますが、土日だけとはいえ18人の吹奏楽の専門家をそろえるのは容易なことではありません。ほかにもバスケ部、バレー部、野球部、サッカー部など、必要な顧問の数は数百人におよぶと思われます。

 そうなると人材としては、すでに他校に異動になって現在は部活顧問をしていない旧顧問、あるいは小学校に勤務する教員の中で経験のある人、どうしようもない場合は現職の顧問が私人として外部委託に応じるといったことになります。
 10年ほど前、「部活動の社会体育へ移行」が盛んに叫ばれたときはそうでしたから、今回もそうなるでしょう。 
 
 

【最後に――管理職も疲弊している】

 一般教員も疲弊していますが管理職も疲れています。
 良い授業や指導をしてもらうためにも、部下の教職員には早く帰ってもらいたいと思っても、ウチの学校は「総合的な学習の時間」を廃止するとか、環境教育はやらないとかいった権限を持っているわけでもありません。下手に「帰れ」と言って「じゃあ仕事、しなくてもいいってことですか」などと凄まれてもかないませんから、サービス残業も黙認せざるを得ません。
 PTAや地域交流における外部の人との連絡調整も、相手が勤め人の場合は時間外にやってもらうしかありません。これも暗黙の了解でお願いするだけです。

 文科省や教委に何を言っても無駄なことは何年もかけて学んできたことです。向こうだって政治家や世論との板挟みで困っているのです。
「『#教師のバトン』に書いたところで何も変わらない。だったら文科省や教委から問い合わせが来ても面倒だから書かんでくれよ」
 そのくらいの気持ちになっても不思議はありません。かわいそうですね。

 もっとも「そんなに簡単にあきらめてどうする」「もっと勇猛に文科省と戦え」という意味でしたら、管理職の意識改革も必要なのかもしれませんが――。

(この稿、終了)