カイト・カフェ

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「日本にあこがれる魂」〜展覧会のハシゴをしてきた2

ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と書いたのは荻原朔太郎です(1925年《大正14》刊行「純情小曲集」)。

 その40年ほど前、当のフランスに、熱烈に日本に憧れるひとりの画家がいました。
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。オランダからパリに出てきたばかりのゴッホは、そこで日本の浮世絵に夢中になるのです。

印象派の誕生】

 さらに遡ること20年ほど前、日本では幕末の動乱期に当たるころ、ヨーロッパ、特にフランスでは絵画に大きな変化の兆しが見えました。時代の変化が、西洋絵画を一気に追い詰めようとしたのです。

 それはまずカメラの技術が進んで“そっくりに写す”という点で絵画を上回ってしまったことから始まりました。しかもそれは相対的に安価であったのです。
 同じ時代、チューブ入りの化学絵の具が発明され、屋外での描画が可能になりました。非常に明るい絵の具で、しかも屋外に持ち出せる――そこから画家たちは自由な表現への欲求を高めます。
 ところがそうした時代の変化にもかかわらず(あるいはだからこそ)、当時美術界を支配していた芸術アカデミー(政府の傘下にある芸術組織)は保守化が進み、貴族や新興ブルジョワジーの意向を重視して、画家の自由な表現を認めない傾向が強まったのです。 

 ロマン主義バルビゾン派はそうしたアカデミーへの抵抗運動という意味合いを持ちます。そしてその最も過激な反抗グループは、のちに「印象派」と呼ばれた人たちです。

印象派の人々】

 印象派はさまざまな方面から刺激や影響を受けていますが、そのひとつはまさに絵画を危機に追い詰めたカメラそのものからでした。

 動きの、ある瞬間を切り取ること――それはカメラの最も得意なところです。
 色彩に対する強烈な意識――これは当時のモノクロカメラには絶対できないことです。
 主観主義――客観的な正確さという点では無比なカメラに対して、絵画が追求すべきは対象の主観的な姿だ、そういう明確な方向づけが生まれます。

 印象派に大きな影響を与えた第二のものとして、当時日本から輸入された陶磁器の詰め物としてもたらされた浮世絵があげられます。

 遠近法や立体感にとらわれない自由な造形。
 黒い輪郭線で囲まれた人物の、溢れんばかりの色彩の塊
 左右非対称な構図、やや上空から見下ろす風景
 単純な数本の線で描かれる表情豊かな人の顔
 画面からはみ出す人物や画面の中央に置かれた大木など、これまでの西洋画にない大胆な配置、等々。
 浮世絵から学ぶものは非常に多かったのです。

【日本に魅入られるゴッホ

 遅れてきた青年(というかほとんど中年入り口)のゴッホもそれに夢中になった一人です。

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「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ」

「日本美術を研究すると、明らかに賢く哲学的で、知的な人物に出会う。その人は何をして時を過ごしているのだろうか。地球と月の距離を研究しているのか。違う。ビスマルクの政策を研究しているのか。いや、違う。その人はただ一本の草の芽を研究している。(……)どうかね。まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる。こんなに単純な日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

「日本の芸術家たちがお互い同士作品交換していたことにぼくは前々から心を打たれてきた。これら彼らがお互いに愛し合い、助け合っていて、彼らの間にはある種の調和が支配していたということの証拠だ。もちろん彼らはまさしく兄弟のような生活の中で暮らしたのであり、陰謀の中で生きたのではない。(中略)また、日本人はごくわずかな金しか稼がず、素朴な労働者のような生活をしていたようだ。」

「日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国には何と偉大な画家たちが生きていたことか」

 ゴッホの手紙の中にあるのは湧きあふれて尽きることのない日本愛です。
 ここまで恋焦がれる姿を見ると、
「ちょっと待って、それ、日本とちゃうかもしれん」
と止めたくなるほどです。

【アルル=南フランスの日本へ】

 日本にあこがれながらとても行くだけの旅費を用意できないゴッホは、気候が似ていると思われた南フランスに移住することを考えます。
「日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、日本へ行こうとはしない、つまり、日本に似ている南仏に。結論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変って、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる」

「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。〈日本にもう着くか、もう着くか〉と心おどらせていた。子供みたいにね。」

 そしてようやく着いた1888年2月20日のアルルには60cmの雪が積もっていました。
「まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」

「親愛なるベルナール、君に手紙を約束した手前、僕はまず次のことから筆をすすめよう。清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、アルルはまるで日本だ!夢のようだ。水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。大地を青く浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け…」


「将来、日本人が日本でしたことをこの美しい土地でやるほかの芸術家が現われてくることだろう。ここの自然がいつまでも好きなことは今後も変るまい、それはまるで日本美術のようなもので、一度好きになると決して飽きない」

「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」、「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」

 おそらくゴッホが憧れた日本は本物の日本とは少し違っているようです。けれど150年ほど昔、本気で日本に恋をして全身で日本を取り込もうとした情熱の画家がいたというだけで、私はもう舞い上がってしまいそうです。

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢】 東京都美術館 2017.10.24〜2018.01.08

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 東京都美術館「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」は、日本に恋焦がれたゴッホの油絵と、彼が影響を受けた浮世絵の数々を対比的に展示する優れた展覧会です。それが第一部。

 後半は数十年後、そんなゴッホに恋焦がれて次々とフランスへ向かった日本人芸術家たちの物語(第2部)です。

 何か非常に壮大なドラマを見た印象でした。