「愚かな不審者対応」②〜いいことはやめられない

 13年前の大阪教育大学付属池田小学校事件、その再発を想定した避難訓練が今も行われていると聞けば、世間の人たちはどう考えるでしょう。「学校はよくやっている」と思うのか「アホなことを」と思うのか、想像がつかないところです。
 しかし実際に、暴漢侵入対応訓練は現在も行われています。それもけっこうたくさんの学校で、犯人役の警察官や教員を、サスマタを持った教職員たちが追い回しているのです。
 私の勤務してきた学校も同様で、たびたび「もうやめよう」と発言して中止に追い込んだのですが、いつの間にか復活してしまいます。そこで私も諦めて、毎年同じような訓練に参加してサスマタを振り回し暴れてきました。こんな訓練役に立つのかと思いながら。

 そもそも乱入者対象不審者対応訓練は想定範囲が狭すぎます。
 基本的な想定は「子どもを無差別に殺すことを企図した侵入者が、ひとりでナイフを振り回す」というものですが、そんなぴったりの状況で加害者が現れるとは限りません。犯人が二人になっただけで全く様相が変わってしまいます(アメリカのコロンバイン高校の乱射事件では犯人は二人、銃を使っての無差別殺人でした)。
 また現実に、この13年間、類似の事件は一件も起きていないのです。13年間起らなかったものは10年たっても起る可能性はほとんどありません。それより毎年何件も起っている「路上連れ去り事件」への対応の方がよほど意味がありそうです。しかしどうしても「乱入者対象不審者対応訓練」なのです。
※ これに関して、学力第一主義の方々から、「そんな無駄なことをするくらいなら授業をやれ」という圧力がなぜかからないのか、いつも不思議に思っています。

 もうひとつ。
 9年前、奈良の事件を初めとして三つの幼女誘拐事件が続けて起りました。そのとき全国に広がった安全対策は現在も続いています。具体的には地域の見守り隊組織、そして集団登校です。

 見守り隊は、組織としての活動はずいぶん衰えましたが、献身的な個人(その多くはお年寄り)によって今日も続けられています。ほんとうに頭の下がる思いです。

 しかし集団登校の方はそうはいきません。学校のやることで自然消滅ということはまずないのです。
 実は集団登校自体は新しいものではなく、私が小学校の時代でさえ行っていました。地域の6年生は近所の子どもを引き連れて登校するのが当たり前だったのです。別な見方をすれば、それができた時代だったとも言えます。
 けれど2005年に始まった集団登校はまったく様相が違っていました。現代の小学生は先輩の指示に従うなって真っ平だと思っています。1〜2年生など、そもそも従わなくてはいけないという感じ方自体がありません。だからすぐに列から外れる、列に遅れる、道草を食う、しゃがみこんで動かなくなる――。
 面倒くさいのは高学年も同じです。なにしろ地域が同じというだけで好きでもない相手と一緒の移動ですからケンカだのイジメだの、トラブルはしょっちゅうです。それを統率しなければならない6年生もたいへんです。少しでもうまく行かないと怒られるのも彼らです。

「このままいけば集団登校が集団不登校になりかねない」
――そう言われてから何年もたつのに、これをやめようという話は(校内にいる限り)さっぱり盛り上がりません。なぜならそれらは“いいこと”だからです。悪いことはすぐにも是正できますが“いいこと”を止めるには相当な理由と環境整備が必要になります。今のところ、集団登校を止める決定的な説明はどこからも出てきません。

 学校に求められることで“悪いこと”はひとつもありません。“いいこと”だらけです。そして“いいこと”はやめられないのです。そうである以上、何か具体的なことを始める場合は、よほど慎重にならなければならないのです。

(この稿、続く)