明日はマイケル・ジャクソンの16回目の命日。
キング・オブ・ポップと呼ばれた男の偉大さは
代々受け継がれていくべきだ。
しかし、栄光の日々はずいぶん昔になってしまったな、
という話。
(写真:フォトAC)
【明日は「舞、蹴る、釈尊」の命日】
明日6月26日はキング・オブ・ポップ:マイケル・ジャクソンの命日だそうです。2009年のこの日、マイケルは突然の心停止に陥り、51歳の若さで亡くなります。その死は様々に憶測されましたが、公式は薬物の過剰摂取が原因とされ、のちに主治医が過失致死罪で有罪判決を受けています。
2001年にスタジオ録音としては最後のアルバム『インヴィンシブル』をリリースしてから数々のスキャンダルに見舞われ、長い沈黙を経たのちの2009年、大々的なカムバック・ツアー「THIS IS IT」を企画してその公演の矢先、わずか一か月前の死去でした。ちなみにワールド・ツアー「THIS IS IT」の全50公演のチケットは、発売からわずか数時間で完売したといいます。
ギネスブックに「人類史上最も成功したエンターテイナー」として認定され、全世界でのレコードの総売上は5億枚を超え、13回のグラミー賞受賞(ノミネートは38回)、アルバム「スリラー」は単独で7000万枚も売り上げたとされています。ロックの殿堂には兄弟グループ:ジャクソン5のメンバーとして、そしてソロアーティストとして、2回も顕彰されています。日本でも「舞い、蹴る、釈尊」として神仏(かみほとけ)のようにあがめられた、というのは当時の私の作り話です。
正直にいいますと私自身はマイケル・ジャクソン最も活躍した1970年代~80年代の大半はファンではなく、1987年の日本公演の特別番組*1で心惹かれ、30代半ばにしてムーン・ウォークの練習を始めた(結局うまくできなかった)という経歴を持っています。エンターテイメントというものがどういうものなのかを知ったのもこのときが初めてで、十数年ぶりにコンサートというものに行ってみようと思い始めたのも、マイケルのおかげです。
ただしだからと言ってその後、大ファンとなったわけではなく、亡くなったと聞いたときも「せめて『THIS IS IT』の完全版VTRを観たかったな」程度の感慨でした。その時のワールド・ツアーへ向けたリハーサル風景は、「THIS IS IT」という同じ題名の記録映画としてブルーレイディスク*2に収められ、これは購入しました。実際に行われていたらとんでもなく素晴らしいコンサートになったと思われる内容です。
【1970年代のロック・ポップス黄金期】
私の青春時代である1970年代の洋楽は、ロック、ソウル、ディスコ、フォークなど多様なジャンルが花開いた黄金時代でした。ちょっと調べただけでも、
- 天国への階段(レッド・ツェッペリン)
- スモーク・オン・ザ・ウォーター(ディープ・パープル)
- ドリーム・オン(エアロ・スミス)
- マネー(ピンク・フロイド)
- ボヘミアン・ラプソディ/ウィ・ウィル・ロック・ユー(クイーン)
- レット・イット・ビー(ビートルズ)
- スーパースティション(スティービー・ワンダー)
- やさしく歌って(ロバータ・フラッグ)
- ホテル・カリフォルニア(イーグルス)
- ステイン・アライブ(ビージーズ)
- 僕の歌は君の歌(エルトン・ジョン)
- ダンシング・クイーン(アバ)
- スターマン(デビッド・ボウイ)
しかしこんなふうにリストにするのはかなり危険で、一言いえば、
ちょっと待て、カーペンターズはどうした? ビリー・ジョエルはなぜ外すんだ、サイモン&ガーファンクルだってまだヒット曲を出していただろ、ジャニス・ジョプリンはどうしてくれるんだ、キング・クリムゾンはどうすんだ、キャロル・キングはどこへ行った? シカゴは? キッスは? ドナ・サマーは? Tレックスは絶滅したのか? オリビア・ニュー・エルトン・ジョン・デンバーって歌手、いなかったっけ?
――と収拾がつかなくなりそうです。そのくらい華やかで豊かな時代だったという思いがあります。マイケル・ジャクソンはその頂点にいました。
【半世紀前の私の青春時代の、そのまた半世紀前の話】
しかし1970年といえば今や55年も前の話です。1970年に限らず、「70年代」という言い方をしても45~55年前、ざっと「半世紀も前」の話をしているわけです。私が得々と当時のことを話したとして、今の若者はそれをどんな感覚で聞くのでしょうか?
昭和レトロとか言って昭和の風物が一部で人気になっていることは知っていますが、70年代のアルバム「クリムゾンキングの宮殿」とか「原子心母」だとか、あるいは「チープ・スリル」とかを聞かせても、それは結局レトロで、古い音楽だとしか感じられないのでしょうか? ちょっと聞いてみたいような気もします。
我がこととして考えれば自分が若者だった時代のさらに半世紀前となると1920年代。調べてみると音楽事情は、
- 都市部ではようやく蓄音器が使われ始め、「船頭小唄」(1922年)「東京行進曲」(1928年)「波浮の港(はぶのみなと)」(1929年)などがヒットした時代、
- 1925年にラジオ放送が始まり、各地の民謡がアコーディオンやピアノといった新しい伴奏でアレンジされて、都会でも「会津磐梯山」「佐渡おけさ」が歌われるようになった時代。
- それとともに「赤とんぼ」(山田耕筰/三木露風)や「シャボン玉」(中山晋平/野口雨情)、「七つの子」(本居長世/野口雨情)といった童謡・唱歌が歌われるようになった時代、
ということになるようです。
1970年代の私はおそらく、お年寄りから「船頭小唄」や「佐渡おけさ」の話を熱っぽくされても理解できなかったでしょう。マイケル・ジャクソンやビートルズについて熱く語るのは、それと同じかもしれません。
やめておきましょう。