教師は叩いても壊れない。
平成の失われた20年間、教員は優位性を失い、
ノルマを課せられて厳しく監視されるようになった。
過酷なだけになった教職が不人気なのは当たり前だ、
という話。
(写真:フォトAC)
【もはや教員だからといって優遇されるべき時代は終わった】
昨日は2005年12月19日の「カイト・カフェ」*1(当時は「デイ・バイ・デイ」というタイトルだった)が引用していた朝日新聞12月17日付の記事「公立小中の先生、給与優遇見直しへ 人材確保法、廃止も」を振り返り、自民党文教族議員の「給与が低くても教師になりたい、という人物を募った方が教育の質は向上する」という言葉に注目しました。
しかし教員給与を引き下げたらどうか、少なくとも優遇されている部分についてはなくしていこうという考え方は2005年の年の暮れになって初めて出てきたものではなく、文科省や財務省によって再三問題視されてきた歴史があります。
「カイト・カフェ」は2005年に始めたブログですので2004年以前の記録は残っていませんが、同じ2005年の10月24日の記事*2には、財務省財政制度審議会の会長の言葉として、次の2点が書き残されています。
「教職員をあまりにも優遇しすぎた。この制度は現実離れし、既得権益になっている」
「もはや教員だからといって優遇されるべき時代は終わった」
ほとんど言いたい放題。教師はなぶりものみたいなものです。
【2005年の学校不信:教師は叩いても壊れない】
西暦2005年と言えば平成17年。“失われた10年”が10年で済まず、未来永劫“不況”のままではないかと思われかけたころで、あとから見ればいったん不況を抜け出しかかり、一息つきかけた時期でもありました。わずか3年後の2008年にリーマン・ショックが起こって“失われた20年”が決定的になる直前、とも言えます。
世間は殺伐として、前年の奈良幼児誘拐殺人事件に引き続いて広島や栃木でも幼児が誘拐され、殺されます。子どもを守れない学校や教員に対する風当たりはさらに強まり、学校を外部から監視すべく、翌2006年からは全国学力学習状況調査によって子どもたちの学力を可視化し、教員評価や学校評価によって教師や学校を制御しようとする動きが始まります。さらにそれでも不十分と考えた政府は、2009年から教員免許更新制を導入してなんとか教師たちの質を支えようとしたのです。
この時期に教師たちは、倍率12.5倍(1993年度)を頂点とする厳しく高倍率な教員採用試験を勝ち抜いた人たちで、校種・教科によっては30倍近い倍率になった県もありました。当時は、それほど難しい試験を経た教師でも質が疑われたのです。
あのとき本気で学校教育に不安を持った人たちは、採用試験の倍率が2倍を切った現状を、どう考えているのでしょう?
結局、人材確保法は廃止されず、公立学校の教員の給与優遇制度は見直されることはありませんでした。理由のひとつはいうまでもなく「教職調整額」が「ヤミ給与」などではなく、いわば「ヤミ減俸」であって、正規に残業手当を払ったりするととんでもない額に上ると分かったこと、そしてもうひとつは、もしかしたら故田中角栄元総理が鳴り物入りで創設し、田中伝説の一部にもなっている人材確保法の旗印を、官僚が下せなかったからかもしれません。田中角栄は功罪の幅の大きな人でしたが、公教育と学校の先生を大切にしたという点では評価が定まっていたのです。
さらに、単なる歳出削減なら教員だけを相手にするのではなく、公務員全体を締め上げるほうがよほど効率よくできることが明らかになったこともあったのかもしれません。
【校長になったら給料が下がった人の話】
小泉純一郎元総理の「聖域なき構造改革」は公務員の定数を大幅に削減するとともに給与も大幅に切り崩していきました。
すでに1999年には人事院勧告によって給与が0.1%引き下げられ、2003年には月例給・期末手当が下げられ、2006年には本俸の0.3%引き下げ、2009年にはリーマン・ショック以降の不況のための給与引き下げ、2011年からは東日本大震災のために国家公務員の給与が特例法によって平均7.8%の減額。地方公務員もそれに準じて引き下げられます。2年間だけの時限立法のはずでしたが、2014年になっても給与が元に戻されることはありませんでした。
笑い話みたいなものですが、私の先輩で2004年に校長に昇任した人がいます。夫人がマメな人で給与明細のチェックを怠らなかったのですが、校長になったまさにその年、給与改定があって収入が減ったのです。「出世したのに給与が減る」という現象に遭遇して、ほんとうにびっくりしたとおっしゃっていました。笑い話であるとともに意気の上がらない、意欲をそぐ話です。そういえば同じころ、私も給与から目を逸らして働いていました。真面目に収入を考えたら、とてもではないがやって行けない、そういう職だということは十分に知っていたのですが――。
【これから、教師の質はどう上がっていくのか】
総じて平成の初期(1990年ごろ)と平成末期(2019年)を比べると公務員給与は約10~15%も下がったといわれています。
私の父は地方公務員でしたが、1980年ごろ、冬のボーナス100万円を現金で持って帰り、酔った勢いで玄関から居間まで全部並べて見せたといいます。2014年に退職した私のボーナスはそれにはるかに及ばない額でした。35年も前の人を上回れないというのも意欲をそぐものです。
もはや教員だからといって優遇されるべき時代は終わった
それは現実となりました。人材確保法は残りましたが他の公務員よりは給与のベースが高いというだけで、残業代も含めて考えると、教員の方がいいとは必ずしも言えません。一般公務員はその時々で。「教員より高い残業代」と「教員よりはるかに多い余暇」の、どちらかを選べばいいだけです。ましてや民間との比較で教職が勝てるわけがありません。
「給与が低くても教師になりたい、という人物を募った方が教育の質は向上する」
かどうかは、20年~30年後の教育の成果を見てみなくてはわからないことです。
(この稿、終了)