カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「PTA会長が悪人である場合がある」①

 先週の金曜日朝、大きなニュースが入りました。 
 千葉県我孫子市ベトナム国籍の女の子の遺体が見つかった事件で、渋谷恭正という不動産賃貸業の男が逮捕されたというのです。
 驚いたことに容疑者は被害者と同じ学校に2児を通わせる保護者で、保護者会長を務め、毎朝の登校指導にも関わっていたのです。

 犯人が保護者会長・見守りボランティアということで、
「頼りにすべき人が犯人となるとだれを信じたらいいのか」
「今後は見守りの大人が子供に声をかけても、不審者と思われてしまうのではないか」
「見守り活動に取り組む人にも懐疑の目が向けられるようになるかもしれない」
などと深刻な発言が続いています。
 そして、
「もはや他人の大人はアテにならない。親が交代で子どもを車に乗せて送るしかない」とか、「集団登下校で子ども同士が守りあうしかない」とかいった話がワイドショウなどでまことしやかに流されています。しかしどうでしょう?

 

【PTA会長や役員が必ずしも立派なわけではない】

「PTA役員、特にPTA会長にはそれなりの有能な人物がなっているはずだ」というのは一面の事実です。
 児童生徒数が500人〜600人の学校となるとPTA(あるいは保護者会)会員は1000人を越えてきます(《会員=ほぼ両親》なので)。ですからそれをまとめて行くのは相当の人物でなけれなりません。
 私も多くの学校を渡り歩いてきましたが、40歳そこそこで “人格者”と呼びたくなるような方はいくらでもいました。

 ただし規模の小さな学校では、それほどでもない人物が役員に納まっている場合も少なくありません。

 かつて勤めていた一村一校の中学校でのできごとです。
 ある年のPTA役選の後、ひとりの保護者が私を訪ねて、
「先生さぁ、私、役員になっちゃったけど、中学校のPTA役員なんてロクなもんじゃないからね(覚悟しなさい)。何しろ小学校の6年間一度も選ばれなかったか逃げ回っていたのが、中学校になって逃げ切れなくてやってるんだからさ」
とかおっしゃいます。
 結論から言えば口ほどになくしっかりした方でしたが、聞いた当初は一理ある話だとは思いました。

 世の中には1学年の児童生徒数が2名だけという学校だってあって、その場合は「小学校のPTA会長はAさん、中学校3年生になったらBさん」という具合に二人で分け合うしかありません。

 それより多少規模が大きくなっても、PTA役員は“いつかはやらなければならない持ち回りの仕事”です。

 要領のよい人は学校全体に関わることの少ない小学校低学年のうちに役員をやってしまい、それで “義務”を果たしたことにしてしまいます。ところが事情に疎いと機会を逃しますから、先の「何しろ小学校の6年間一度も選ばれなかったか逃げ回っていたのが、中学校になって逃げ切れなくてやってる・・・」の中には、「のんびりとしている内に中学校の役員をやるハメになったお人好しさん」も大勢含まれているはずです。

 さて、さらに規模が大きくなってしかし「人材有り余る」とまではいかない、中規模学校の場合は厄介です。やらされる人がいる反面、義務教育の終わるまで一度も役員をやらずに逃げ切ることができる程度の規模の学校です。
 そうした場合は、役を地区に割り振ったり学年に当てはめたりと様々に工夫して強制的に掃き出させる仕組みを作ります。次年度の役員を本年度の役員が、一軒一軒家庭訪問して掻き口説く場合もあれば、くじ引きで決める場合もあります。

 くじ引きとなるともう“出たとこ勝負”で、何が起こるかわかりません。私は自分がPTA担当職員のとき、役員のなり手がなくて「完全公平くじ引き(要するに全員参加のくじ引き)」でひどい目に遭ったこともあります。とても素敵な可愛い女性(でも社会性はまるでない)が女性副会長になってしまい、何も動かなくなってしまったのです(このときは前副会長が、子どもは卒業してしまったにもかかわらず顧問として残ってくれ、一応仕事だけは回してくれたので何とかなりましたが)。

 以上が「PTA会長や役員が必ずしも立派なわけではない」理由のひとつです。
 しかし“役員に力がない”は大した問題ではありません。組織ですから全体として補い合えればいいからです。

 問題は「PTA会長に、悪い奴が役員になっている」場合です。

(この稿、続く)